2月12日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ボブスレーの日。
1938(昭和13)年2月12日、北海道札幌市で日本初の全日本ボブスレー選手権大会が開かれた。ボブスレーは、ウィンタースポーツの1つで、独特な形状と機構を持つ専用のそりに乗って、氷が張ったコースを滑走し、タイムを競う競技である。最高速度は時速約130kmから時速約140kmに達し、「氷上のF1」と呼ばれる。オリンピックでは、1924(大正13)年にフランス東部にある登山とスキーのリゾート地、シャモニー(シャモニー=モン=ブラン)で開催されたシャモニーオリンピック(第1回オリンピック冬季競技大会)から正式競技として行なわれている。競技は1台ずつで行なわれる。選手は呼吸を合わせながらそりを押して走り、加速を付けて素早く乗込む(押す距離は約50mから約60m)。この時、1人でも乗込めなかったら失格になる。後は、ドライバーがハンドルを操作、残りの選手は空気抵抗が少なくなるよう頭を下げ、約1,300mの曲がりくねったコースを滑降、タイムを計る。スタートダッシュでどれだけ加速できるかが、勝負を大きく左右する。また、選手の技術だけでなく、そりの性能の差も勝敗の鍵を握ると言われる。そり本体と選手の体重を合わせた合計重量には制限があり、男子2人乗りは390kg、男子4人乗りは630kg、女子2人乗りは340kgとなっている。競技は2日間に4回滑り、順位を決める。現在、日本国内でボブスレーの競技が可能な施設は、長野市の長野市ボブスレー・リュージュパーク(通称は「スパイラル」)の1ヶ所のみとなっている。なお、長野市ボブスレー・リュージュパークは、世界最南端に位置するボブスレー、リュージュ(そりに先に足を乗せる状態で仰向けに乗って氷上を滑る速さを競う競技)、スケルトン(極めて簡易な構造の小さなそりで滑走し、全長1,300mから1,500mのコースの速さを競う競技)の兼用競技施設である。1998(平成10)年に開催された長野オリンピック(第18回オリンピック冬季競技大会)のボブスレー・リュージュ会場として使用された。近年では、競技向けボブスレー用そりは、空気力学(空気の運動作用や、空気中を運動する物体への影響を扱う流体力学の一種)の観点からの研究開発が進んでおり、2010(平成22)年に開催されたバンクーバーオリンピック(第21回オリンピック冬季競技大会)では、イタリアチームがフェラーリ(レーシングカーと、王侯貴族や富裕層に愛用される高級スポーツカーのみを製造している、イタリアの自動車メーカー)製、ドイツはBMW(モータースポーツに古くから積極的な姿勢を見せている、ドイツの大手自動車メーカー)の開発協力によるものを使用する等、レーシングカーの開発とよく似た開発競争が繰広げられている。日本でも、長野オリンピック(第18回オリンピック冬季競技大会)の際には、自動車関連会社でレーシングカーの設計・製造事業も行なっている童夢の協力によるボブスレーの開発が構想されたことがあるが、実現せずに終わった。南北アメリカ大陸に挟まれたカリブ海地域にある南国の島国、ジャマイカが、初めて冬期オリンピックに参加したという事実を元に、フィクションの内容を加えて制作された、アメリカのスポーツ・コメディ映画『クール・ランニング』では、挫折を味わったジャマイカのボブスレーチームが、様々な苦難と戦いながら友情を深め、1988(昭和63)年に開催されたカルガリーオリンピック(第15回オリンピック冬季競技大会)で活躍する姿を、フィクションの内容を交えつつ、コミカルでありながらも感動的に描いている。 
ボンカレーの日/レトルトカレーの日。 
1968(昭和43)年2月12日、日本初のレトルトカレー「ボンカレー」が発売されたことから、大阪市中央区大手通に本社を置く、「ボンカレー」発売元の食品メーカー、大塚食品株式会社が制定。レトルトカレーの代名詞とも言える「ボンカレー」は、2008(平成20)年に発売40周年となった。甘口、中辛、辛口の三種類があり、現在の主流はフルーツベースのボンカレーゴールドとなっていて、温色で描かれた同心円のパッケージで知られる。商品名の由来は、フランス語の形容詞「bon」からきていて、「良い(優れた)、おいしい」という意味である。「ボンカレー」を発売するきっかけとなったのは、会社にあった不良在庫のカレー粉をなくすため、と言われている。大塚グループ(食品や飲料品等、「製薬会社」の域を越えた事業を展開する企業グループ)の化学メーカー、大塚化学株式会社での約2年の研究開発期間を経て、子会社の大塚食品工業株式会社(現在の大塚食品株式会社の前身)から世界初の一般向けの市販レトルト食品として発売されたが、当初は、阪神地区限定発売となった。レトルトパウチ(高圧釜レトルトで高温加熱殺菌する為に食品を封入する袋)の強度を増し、空気遮断機能を向上して、光も遮断するようになったため、賞味期限が3ヶ月から2年に延びた改良版レトルトパウチで、1969(昭和44)年に全国発売された。テレビCMには、パッケージのモデルである女優の松山容子と、俳優の品川隆二を起用した。ボンカレー発売当時の宣伝は「3分温めるだけですぐ食べられる」という内容のものであった。宣伝からも分かるように、保存性よりも簡便性を前面に打出しており、インスタント食品の一種として普及していった。「ボンカレー」は、発売開始以降、世界中でおよそ20億食が消費されているロングセラー商品である。近年、カレーの本場であるインドでもレトルトカレーが普及しており、夫婦共稼ぎの家庭等で人気を博している。レトルトカレーは、レトルト食品(気密性及び遮光性を有する容器で密封し、加圧加熱殺菌した食品)の1つで、カレーをレトルトパウチに封入したものである。レトルトカレーは、3分から5分程度湯煎するか、数分程度電子レンジで温めて調理するだけで、一食分のカレーライスを作って食べることができる、便利な商品である。そのため、現在、日本では子どもから老人まで、幅広い層に日常的に利用されるに至っている。レトルト食品には様々な種類があるが、レトルトカレーは、その販売量の約3分の1を占める人気商品である。カレーは味や臭いが濃いため、レトルト食品特有の「レトルト臭」が感じにくく、レトルト食品に適しているため、と考えられている。大塚食品工業株式会社は、関連会社の大塚製薬株式会社が持っていた、点滴液の加圧加熱の殺菌技術を応用することで、他社に先駆けて開発に成功したと言われている。当初はなかなか消費者に受入れられなかったが、次第に浸透し、1973(昭和48)年に放送された「ボンカレー」(大塚食品)のテレビCMで、落語家、笑福亭仁鶴(3代目)が、時代劇『子連れ狼』のパロディとして拝一刀に扮したことで一世を風靡し、「3分間待つのだぞ」という、笑福亭仁鶴によるセリフは流行語にもなった。他社も次々にレトルトカレー市場に参入したが、その中でも注目すべき成功を収めた製品は、1971(昭和46)年発売のハウス食品株式会社(即席カレールーを中心とする大手食品メーカー)の「ククレカレー」である。「ククレカレー」のテレビCMで使われたキャッチコピー「おせちもいいけどカレーもね!」(1976[昭和151]年から数年間、年末年始に放送され、CMキャラクターは、キャンディーズ→近藤真彦)は広く浸透し、レトルトカレー市場の拡大に貢献した。話題となるカレーのレトルト版は、すぐに発売されることが多い。特に、「ご当地カレー」等、さまざまな種類のレトルトカレーが発売されている。朝食や弁当のごはんに掛ける、ミニサイズで温める必要のない商品も販売されている。 
オートファジーの日。
大阪府箕面市今宮に事務局を置く、オートファジー研究の事業化を促進し、国民生活の向上に寄与することを目的に活動する一般社団法人、日本オートファジーコンソーシアムが制定。日付は、1963(昭和38)年2月12日、イギリスの首都ロンドンで開催された公式の場で、初めてオートファジー(autophagy)という用語が、ベルギーの生化学者クリスチャン・ド・デューブにより使われたことから。オートファジーとは、細胞の新陳代謝と有害物質除去の2つの作用を通して、細胞の健康を守る生命の仕組みを指す科学用語で、この機能が健康維持に重要であることが、科学的研究から明らかになっている。科学に立脚したオートファジーの理解と標準化指標の必要性を関係者に啓発し、一般の人々へも、その正しい知識の普及と啓発活動を行なう契機とすることが目的。オートファジーは、細胞が持っている、細胞内のたんぱく質を分解するための仕組みの1つである。酵母からヒトに至るまでの真核生物(核膜によって仕切られた核構造を細胞内にもつ生物)に見られる機構で、細胞内での異常なたんぱく質の蓄積を防いだり、過剰にたんぱく質合成した時や、栄養環境が悪化した時に、たんぱく質のリサイクルを行なったり、細胞質内に侵入した病原微生物を排除したりすることで、生体の恒常性維持に関与している。「auto-」はギリシャ語の「自分自身」を表わす接頭語、「phagy」は「食べること」の意で、日本語では自食(じしょく)とも訳される。