2月8日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第2木曜日 旧暦 12月29日、仏滅(壬寅)、月齢 27.6  
グレゴリオ暦で年始から39日目、年末まであと327日。
誕生花 ユキノシタ・シャクヤク・ストック(ピンク)・ホトケノザ・キンセンカ。

事始め(御事始め)。
一年中の「農の事始め」がこの日にある。元々は旧暦2月8日の行事であり、新暦では3月頃に相当するので、春の到来と共に農作業を始めようとした訳である。「事」とは、正月の神事のことで、12月8日と2月8日に行なう行事を総称して「事八日」と称する。地域によって、正月を中心として12月8日を事始め、2月8日を事納めとするところと、1年の農事を中心として2月8日を事始め、12月8日を事納めとするところがある。「事八日」には、目籠(目を粗く編んだ、物を入れる竹籠のこと)を軒先に吊るす習わしがある。目籠は神様が訪れるための目印となるように、また、一つ目小僧等の妖怪が、多くの目を持つ籠に驚いて逃げ出すように、という魔除けの意味がある。他にもこの日には、針仕事を休み、いつも使っている針に感謝して供養する「針供養」が行なわれる。因みに、正月の年神様を迎えるのに良い日とされる12月13日は、「正月事始め」になる。
針供養。
縫い針を休め、折れた針を供養する日として、古くから行なわれている行事。豆腐やコンニャク等に古い針を刺して川や海に流したり、折れた針を紙に包み、神社に納めたりする。場所によっては12月8日に行なうところもあり、関西では12月8日、関東では2月8日が多い。かつて、12月8日と2月8日は事八日と呼ばれていた。12月8日を事納め、2月8日を事始めとよび、事納めには農耕を終え、事始めには始めるとされていた。この両日は、慎みをもって過ごす日とされ、この日は針仕事を休むべきと考えられていた。そして、使えなくなった針を神社に納める、或いは、豆腐や蒟蒻のように柔らかいものに刺したりすることで供養し、裁縫の上達を祈った。また、かつては、土の中に埋めたり、針を刺した豆腐や蒟蒻を、川や海に流して供養するという型式で執り行なわれる地域もあった。現在では、家庭で針仕事を行なうことが少なくなり、家事作業における感謝や祈願の意で行なわれることは少なくなったが、服飾に関わる分野においては、未だ根付いており、和裁や洋裁の教育機関や企業では、現在も行なわれている。。和歌山市の最西部、加太に所在する淡嶋神社は、全国にある淡島神社(淡嶋神社)の総本社である。祭神は、婦人病治癒を始めとして、安産・子授け、裁縫の上達、人形供養等、女性に関するあらゆることに霊験のある神とされる淡島神で、淡島神を祀る淡島堂という寺も、日本各地にある。東京都台東区浅草にある東京都内最古の寺院、浅草寺にも、淡島神を祀る淡島堂が存在する。観音菩薩を本尊とすることから、「浅草観音」や「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれ、全国有数の観光地ともなっている浅草寺では、針供養が、本堂の西側に位置する淡島堂において、2月8日に行なわれる。浅草寺は、江戸時代前期、元禄年間に、淡嶋神社の淡島神を勧請しており、本堂が1945(昭和20)年の東京大空襲で焼失したため、1955(昭和30)年までは、淡島堂が浅草寺の仮本堂となっていた。淡嶋神社は、人形供養の神社として有名で、境内には、供養のために納められた、無数の雛人形や市松人形、果てはフランス人形までもが所狭しと並べられている。また、針供養の神社としても有名で、境内には針塚が建てられており、毎年2月頃に、全国から集められた針を供養する。ただ、近年では、縫い物をする機会が少なくなっていることから、供養に奉納される針の数も減っているという。 
〒(郵便)マークの日。
1887(明治20)年2月8日、「自今 (T) 字形ヲ以テ本省全般ノ徽章トス(本省徽章ヲ創定ス、明治20年2月8日逓信省告示第11号)」により、逓信省の徽章(マーク)が、逓信の「テイ」に合わせて、甲乙丙丁の「丁(てい)」に決定したが、万国共通の郵便料金不足の記号、「T」と紛らわしいことが分かり、6日後の2月14日、「テイシンショウ」の「テ」を図案化した「〒」印に変更した。これには、「T」を第1案とし、「テイシンショウ」の片仮名の「テ」を図案化した「〒」印を第2案として提出したところ、第2案の「〒」印が採用されたが、告示の時「T」と誤ってしまったために、これを後に訂正した、という説もある。なお、逓信省は、郵便や通信を管轄する中央官庁で、1949(昭和24)年に二省分離(郵電分離)して、郵政省(後に郵政事業庁、現在の日本郵政[JP])と電気通信省(後に日本電信電話公社[電電公社]、現在の日本電信電話[NTT])が設置される。逓信省の徽章(マーク)は、郵便配達員が身に付ける帽子(丸笠)の正面や制服上着の袖口、郵便旗、或いは書状集め箱(現在の郵便ポスト)に付けられるようになった。また、当初は「丸に一引き」や封筒をモチーフにしていた「郵便局」を示す地図記号も、「〒」を丸で囲んだものと定められた。1950(昭和25)年、「郵政省において掲揚する旗章((昭和25年2月17日郵政省告示第35号)」により、「〒」の縦横の比率が、より詳細に定められた。2001(平成13)年の中央省庁再編(日本の中央省庁が、これまでの1府22省庁から1府12省庁に再編統合されたもの)に伴ない、1887(明治20)年と1950(昭和25)年に出された告示は廃止され、改めて「〒字形をもって郵政事業庁のき章とする(平成13年1月6日郵政事業庁告示第1号)」が出された。2007(平成19)年には、郵政民営化(政府が1990年代末から2000年代にかけて行なっている郵政三事業[郵便・簡易保険・郵便貯金]を民営化するための政策)後の日本郵政(JP)グループのブランドマークに「〒」を引続き採用と発表された。因みに、郵便以外でも、家庭用電気製品やその他の電気器具について、「電気用品取締法(昭和36年11月16日法律第234号)」に基づく試験に合格した証印として、逆三角形(甲種)や円形(乙種)の中に「〒」を描いたマークが使われていた。その由来は、かつて「逓信省電気試験所」が、電気製品に関する試験を行なっていたためとされている。2001(平成13)年に「電気用品取締法」が、「通商産業省関係の基準・認証制度等の整理及び合理化に関する法律(平成11年8月6日法律第121号)」により「電気用品安全法」に改題され、同義のマークも菱型や円形の中に「PSE」を描いたものに変更され、これ以降に製造された電気製品に「〒」は使われていない。さらに、1985(昭和60)年から、電話機やファックス等の端末機器について「電気通信事業法(昭和59年12月25日法律第86号)」の技術基準適合認定として、また、1987(昭和62)年からは、携帯電話端末やPHS端末等の無線機器について「電波法(昭和25年5月2日法律第131号)」の技術基準適合証明として、 「〒」を用いた円形マークを用いていたが、1991(平成3)年に統一され、1995(平成7)年から、稲妻のデザインと「〒」を組合わせた、円形の技適マークが使用されている。