2月8日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ロカビリーの日。
1958(昭和33)年2月8日、ロカビリーブームの火付け役となった、日劇ウエスタンカーニバルが開催されたことに由来する。日劇ウエスタンカーニバルは、日本劇場を運営する東宝(映画・演劇の製作配給・興行等の事業運営会社)が開催していた音楽フェスティバルである。第1回の観客動員数は初日だけで約9,500名、1週間で約45,000名を記録し、ドーム球場や日本武道館(1964[昭和39]年に開館した、東京都千代田区北の丸公園にある武道館で、武道以外の屋内競技場、多目的ホールとしても利用される)といった、大きな「ハコモノ」が存在しない当時としては異例の記録であった。この企画が当たったことで、以後も定期的に開催されるようになった。1950年代にはロカビリーブームを生み、1960年代後半には、グループ・サウンズブームが巻起こった。ロカビリーは、1950年代に誕生した音楽で、RAB等と略記する場合もある。当時はロッカビリー(Rock-A-Billy)と呼ばれ、バップ(黒人ブルースマン等が、床を'TAP'するより強く'BOP'した個人ダンス)やジャイヴ(スウィング・ジャズに合わせて踊るダンス)、ジルバ(社交ダンスの一種)を踊った。同時期にアメリカで流行したこのロカビリーやロックンロール、ティーンポップ(ティーン向けのポピュラー音楽)という一連の音楽を日本に輸入する際、一緒にされてしまったことから、日本ではロックンロールとロカビリーの違いが曖昧になっている。1958(昭和33)年、カントリー・ミュージック(アメリカ合衆国南部発祥の音楽)のバンド『オールスターズ・ワゴン』に在籍していた歌手、平尾昌晃(後に作曲家等でも有名となる)がソロ・デビューし、歌手・俳優・タレントのミッキー・カーチス、初期『ドリフターズ(サンズ・オブ・ドリフターズ)』でメインボーカルを務めていた歌手の山下敬二郎と共に、「ロカビリー三人男」と称され「日劇ウエスタンカーニバル」等に出演し、「ロカビリー・ブーム」に発展した。和製プレスリーと称した歌手・俳優・声優・ナレーターで、アニメソングで多くのヒット曲を持つことから「アニメソング界の大王」と呼ばれる佐々木功(現在は、ささきいさお)、歌手・ミュージシャンで、グループ・サウンズ(ギター等の電気楽器を中心に数人で編成される、演奏、及び歌唱を行なうグループ)の礎を築いたグループの1つ『ザ・スパイダース』の元メンバー、かまやつひろし(ムッシュかまやつ)らも、この頃に登場している。2005(平成17)年、音楽評論家・作詞家・翻訳家の湯川れい子、音楽バンド『桜井輝夫とザ・ドリフターズ』のメンバーで、ミュージシャン・タレント・俳優の小野ヤスシ、放送作家・タレント・演芸評論家高田文夫らにより、「全日本ロカビリー普及委員会」が発足した。その会長には、「キング・オブ・ロックンロール」や「キング」と称され、ギネス世界記録(イギリスの出版社、ギネスワールドレコーズが、地球上のあらゆる世界一を探求し、認定・登録してきた記録集)では、「史上最も成功したソロ・アーティスト」として認定されている、アメリカのミュージシャン・歌手・俳優のエルヴィス・プレスリーに憧れて歌手となり、タレント・ライター・司会者としても活躍する、ビリー諸川が就任した。なお、現在の東京都千代田区有楽町に所在した日本劇場は、半世紀近くに亘って日本興行界を代表する象徴の1つとして存在し、日劇(にちげき)の通称で親しまれた。1981(昭和56)年に閉館し、跡地には複合商業施設「有楽町センタービル(通称:有楽町マリオン)」が建てられている。「日劇」の名称は、同施設内に設けられた映画館に引継がれていたが、 2018(平成30)年2月4日、「TOHOシネマズ日劇」の閉館で、その名は消えている。
スパの日。
東京都港区赤坂に事務局を置く、特定非営利活動法人(NPO法人)日本スパ振興協会(NSPA)が制定。健康と美の増進を目的とする施設である「スパ」に関する知識の普及と、その水準を高めることが目的。日付は、2月8日の「2」と「8」で、「ス(2)パ(8、八)」と読む語呂合わせと、スパの利用促進のためのイベント「スパ&ウエルネスウィーク」が2月に開催されること、日本スパ振興協会の設立月が2月であること等から。「スパ」は元々、水や温泉を利用した病気治療を意味していたが、近年では、ストレスの増大、長寿高齢社会を背景に、くつろぎと癒しの場として注目され、さらには、美しく健康であり続けるためのライフスタイルを学び体験できる場として、脚光を浴びつつあるという。なお、英語での温泉、療養温泉を意味する「スパ」の語源となっているのは、ベルギー東部にある温泉地スパとする説がある。2002(平成14)年8月、スパの健全な発展と将来に関心のある市民が集まって、「市民に対するスパの利用方法に関する広報と啓発事業」を主目的とした任意団体、日本スパ振興協会」を設立した。2004(平成16)年2月には、特定非営利活動法人(NPO法人)の認証を受けて法人化され、「スパ」に関する幅広い分野で、市民に対して、スパに関する知識の普及を図る活動を推進すると共に、市民が安心して利用できる環境づくりを実現するために、スパサービス提供者の水準を高める啓発活動を行なう等、公益に寄与することを目的とした非営利事業活動を行ない、新しい日本独自の「スパ文化の振興」を推進する、としている。また、国際スパ協会(ISPA)と共催して、市民と業界に最新のスパ情報を伝える活動等も実施している。スパを語源学的に大別すると、3つの意味があり、1つめは「温泉、温泉地」、2つめは「温泉、鉱泉を利用した治療を提供する保養施設」、そして、3つめが、現在世界各地で急速に市場を拡大させている新たなスタイルのスパと言える「スパ・ムーブメント」となる。「スパ・ムーブメント」の歴史は浅く、1991(平成3)年にアメリカで形作られたとされる。 当時のアメリカで、様々な要因が絡み合い、国際スパ協会(ISPA)の設立を機に、今日の新しいスタイルのスパが誕生したという。1960年代、1970年代には、カウンターカルチャー運動が様々な分野で広がり、その当時主流であった文化の流れに対抗する、「非西洋、非キリスト教の文化・価値観」「自然回帰」の流れが全米に広がった。医療、健康の分野でも、「非西洋、非近代西洋医学」等への関心や健康・自然指向が高まり、その後、老齢化問題や、それに伴なう医療費の増大、ストレス過多の生活等から、現代西洋医学以外への療法への関心は一層高まり、広く認知されるようになり、アメリカ合衆国政府の政策と補填のある代替医療、補完医療が重視された。「身体と精神を分離しないで、調和的な平衡が保たれている状態を健康とする考え方」や「自然回帰への意識」は広がり、人々の価値観、ライフスタイルまでもが変化していった。アメリカで誕生したスパ・ムーブメントの根幹は、このホリスティックな(全人的な)健康観である、とも言える。クアハウス(ドイツ語で療養の家を意味し、温泉を利用した療養、保養、健康増進施設を指す)、テルメ(欧風の温泉)に代表される西欧の伝統的なスパ文化とは異なり、今日のスパの多くが、「癒し」の第1段階であるリラクセーション、つまり「癒される」を目的としたプログラム(主に、マッサージを主とするタッチ、ボディワーク)を重要視してきたが、 現在では、「癒し」の第2段階である「気付き(Awakeness)」、さらに、「癒す」ことを目的とするプログラムが注目されるようになっている。
ツヤツヤ髪の毛の日。
大阪市中央区備後町に本社を置き、様々な家庭用電気製品を製造販売している中堅電機メーカー、小泉成器株式会社が制定。小泉成器株式会社は、ドライヤーやヘアアイロン、ヘアブラシ等のビューティー商品を通して「やさしさ」「いたわり」を第一に、ライフシーンに合わせた美しさを提案。記念日を通して、髪の毛がツヤツヤになる自社商品を、より多くの人に知ってもらうことが目的。日付は、「ツ(2)ヤ(8)」の語呂合わせと、冬の時期が静電気や乾燥等の外的要因で髪の状態が乱れ易いことから、2月8日を記念日としたもの。