2月7日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

北方領土の日。
1981(昭和56)年1月6日、日本政府が閣議決定で制定した。その由来は1855(安政元)年2月7日(新暦[グレゴリオ歴]での日付)、江戸幕府とロシア(当時は帝政ロシア)との間で、最初に国境の取決めが行なわれた日露和親条約が締結され、北方四島が日本固有の領土として認められたことから。北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層の推進を図るために制定された記念日である。各地で、講演会や署名活動等、北方領土返還のための運動が行なわれる。北方領土は、北海道北東部、根室半島の沖合にあり、現在ロシア連邦が実効支配している歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島、及び内閣総理大臣が定めるその他の北方の地域である。この地域は、日本の都道府県の区分としては北海道の一部とされ、根室振興局(旧:根室支庁)の所管区域となっている。面積は約5,036平方kmで、5,081.91平方kmの千葉県とほぼ同じ広さを有する。昭和50年代に入り、北方領土返還運動の高まりから、青年、婦人、労働の各団体において「北方領土の日制定」を求める決議が次々と行なわれるようになった。そして、1980(昭和55)年には、国会の衆参両院において「北方領土の日」の設定を含む「北方領土問題の解決促進に関する決議」が、全会一致で決議されたのを始め、全国の都道府県議会や市町村議会、全国知事会、全国市議会議長会、全国市長会、全国町村会等でも、同様な決議が行なわれるようになった。こうしたことを背景に、広く関係各層の意見を聞くために同年12月、有識者らからなる「『北方領土の日』に関する懇談会」が開催された。この懇談会の答申を受け、毎年2月7日を「北方領土の日」とすることが決定した。日本国政府は、ロシア連邦が自国領土として占領し、実効支配している北方領土について、返還を求めている。1945(昭和20)年8月14日、日本が連合国に対し、「全日本軍の無条件降伏」等を求めた全13ヶ条から成るポツダム宣言(正式には「日本への降伏要求の最終宣言」で、宣言を発した各国の名から、「米英支三国共同宣言」とも称される)の受諾を決定した後、1945(昭和20)年8月28日から9月5日にかけて、ソビエト連邦赤軍(地上軍[陸軍])は、アメリカの協力により、艦船や武器の提供、上陸訓練等の指導を受け、北方領土に上陸し占領した。北方領土は、現在に至るまでソビエト連邦(ソビエト社会主義共和国連邦)、及び、それを継承したロシア連邦が実効支配を継続している。ロシア連邦による事実上の領有状態のため、日本国政府が領有権を主張しているものの、一切の施政権は及んでいない。第二次世界大戦後、現在に至るまで、ソビエト連邦・ロシア連邦に占領・実効支配されており、日本は固有の領土として、その返還を求めている。当事国が領土の帰属問題について合意することが困難な際、国際連合機関である国際司法裁判所を利用することができる。しかし、国際司法裁判所の制度によれば、付託するためには紛争当事国両国の同意が必要であり、仮に日本が提訴した場合、ロシア連邦が国際司法裁判所への付託に同意しない限り、審議は開始されない。個別交渉の場合、ソビエト連邦(現在のロシア連邦)は「日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約、昭和27年条約第5号)」に参加していないため、北方領土問題解決には、ロシア連邦の同意が不可欠となっている。1956(昭和31)年10月19日に日本国とソビエト連邦が、ソビエト連邦の首都モスクワで署名し、同年12月12日に発効した外交文書(条約)、「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言(日ソ共同宣言、昭和31年条約第20号)」によって、日ソ両国は戦争状態を終結し、外交関係を回復した。そして、日ソ両国は引続き、平和条約締結交渉を行ない、条約締結後にソビエト連邦は日本へ、北方領土の内、歯舞群島と色丹島を引渡し(譲渡)する、とされた。しかし、今なお、国境確定問題は先送りされたままとなっている。
フナの日。 
2月7日の「2」と「7」で、「フ(2)ナ(7)」の語呂合せから、鮒甘露煮の発祥の地とされる茨城県古河市の製造・販売業者が結成している古河鮒甘露煮組合が、2001(平成13)年に制定した。古河市を流れる渡良瀬川では鮒が取れ、甘露煮が名物の1つとなっている。フナは、コイ目コイ科コイ亜科フナ属に分類される魚の総称で、ユーラシア大陸において広く分布する魚の一種である。河川、湖沼、ため池、用水路等、水の流れの緩い淡水域等にも生息し、水質環境の悪化にも強い。他のコイ目の魚同様、背びれは1つだけで、背中側の体色は光沢のある黒色か褐色で、腹側は白い。全体的な外見はコイに似るが、口元にひげがない。また、コイに比べて頭が大きく、体高も高い。体長は約10cmから約30cm程度であるが、琵琶湖固有種であったゲンゴロウブナ等には、40cmを超えるものもいる。ゲンゴロウブナとその品種改良種であるヘラブナは植物プランクトンを食べるが、他のフナは殆どが雑食性である。水草、貝類、昆虫類、甲殻類等、さまざまなものを食べる。フナは、人間に触れ易い環境に生息していることから、身近な魚として人々に親しまれてきた。例えば、日本社会では多くの人が知っている文部省唱歌『ふるさと』(高野辰之作詞・岡野貞一作曲)には、「小鮒(こぶな)釣りしかの川」という一節があり、郷里のイメージの1つとして歌われている。また、日本に現存する最古の和歌集『万葉集』や、平安時代末期に成立したと見られる説話集『今昔物語集』にも、「鮒(フナ)」はしばしば登場している。なお、こうした古典文学におけるフナの別名としては波臣、フモジ、山ぶき等がある。また、色素変異を起こして体色が赤色となったものをヒブナとよぶ。キンギョはヒブナをさらに品種改良したものである。キンギョ(金魚)は、フナの突然変異を人為的に選択し、観賞用に交配を重ねた結果生まれた魚で、飼育が容易であるため、観賞魚として世界中で親しまれている。フナを釣上げる際には、うまくウキの動きに合わせて釣り竿を上げる必要があるが、それ程高級な釣具を使う必要もなく、さまざまな淡水域に生息している魚であるため、年齢を問わず多くの人々にフナは、魚取りや釣りの対象となっている。そのため、「釣りは鮒に始まり鮒に終わる」と言われる程、基礎的な釣りである。フナはアジア地域において、しばしば食用とされ、日本においては滋賀県の「鮒寿司」や愛知県・岐阜県・三重県の「鮒味噌」、岡山県の「鮒飯」、佐賀県(鹿島市)の「鮒の昆布巻き(ふなんこぐい)」等の伝統的なフナの料理が知られている。かつては、身近で重要なたんぱく源としてよく食べられていたが、近年では、淡水魚独特の泥臭さが敬遠されたり、フナそのものが水環境の悪化によって減少したりしているため、一般的には食べる機会は減っている。しかし、フナの食利用が途絶えた訳ではなく、例えば、滋賀県の「鮒寿司」は、現在でも著名な特産品の1つである。佐賀県南部にある鹿島市の浜町地区では、毎年1月19日の早朝から「ふな市」が行なわれ、フナが販売されている。早朝に買い求めた客は、それぞれが家庭で「ふなんこぐい」として調理するのに半日以上を要するため、翌日の二十日正月に間に合わせるため、市は早朝に開催される。ふな市では、ヘラブナよりマブナが美味とされ、より高額で売られている。その他、日本での一般的な調理方法として、塩焼きや煮付け、天ぷら、甘露煮、刺身、洗い等がある他、小さいフナを複数、一本の竹串で刺し連ね、タレをつけて焼くすずめ焼き等もある。また、小鮒を素焼き(白焼き)にしてから煮ると、よいダシが出るという。なお、2月7日の「フナの日」と同様に、「い(1)い(1)ふ(2)な(7)(いい鮒)」の語呂合せから、古河鮒甘露煮組合が2000(平成12)年に制定した「いい鮒の日」は、11月27日とされている。但し、翌2001(平成13)年からは、2月7日の「フナの日」に変更した。