2月5日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第1月曜日 旧暦 12月26日、先勝(己亥)、月齢 24.6  
グレゴリオ暦で年始から36日目、年末まであと330日。
誕生花 オキナグサ・サクラソウ・シダ・ボケ。

職業野球連盟設立の日/プロ野球の日。
1936(昭和11)年2月5日、日本職業野球連盟(日本野球連盟、日本野球報国会を経て、現在の日本野球機構[NPB]のルーツとなる)が結成され、プロ野球が誕生した。当時の加盟チームは、東京巨人軍(現:読売巨人軍[読売ジャイアンツ])、大阪タイガース(現:阪神タイガース)、名古屋軍(現:中日ドラゴンズ)、東京セネタース(1940[昭和15]年に名古屋金鯱軍と対等合併して大洋軍となり、その後は西鉄軍となるが、1943[昭和18]年に解散[現在の埼玉西武ライオンズとの直接な関係はない])、名古屋金鯱軍、阪急軍(現:オリックス・バファローズ)、大東京軍(1952[昭和27]年に大洋ホエールズと合併して大洋松竹ロビンスとなり消滅[大洋松竹ロビンスは現在の横浜DeNAベイスターズの母体の1つ])の7球団であった。因みに、契約選手の第1号は、この時既に東京巨人軍と契約していた三原脩で、給料は月俸にして177円となっていた。当時の大卒初任給は約64円程度で、かなりの高給であったと言える。同年4月には、第1回のリーグ戦が開催された。但し、東京巨人軍は、アメリカ合衆国遠征中のために参加していない。日本の団体競技で、全国規模の社会人リーグ戦は、これが初めてである。同年7月には、東京巨人軍も参加しての連盟結成記念のトーナメント戦が開催され、9月から12月までの秋季大会で、初めて優勝チーム決定戦までを行なった。1939(昭和14)年、9球団となっていた日本職業野球連盟は、日本野球連盟と改称されたが、日中戦争におけるアメリカとの関係悪化から、1940(昭和15)年からは球団名や野球用語の英語使用が禁止され、日本語化が始まっている。1944(昭和19)年には、第二次世界大戦対米英戦の戦局悪化から、日本野球報国会と改められ、平日は軍事高揚の労働に当て、試合は週末中心に開催された。しかし、同年夏季リーグ戦を最後に公式戦は中止された。第二次世界大戦対米英戦終戦後、すぐにプロ野球は活動を再開し、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領政策の後押しも有って、急激に成長を遂げる。1947(昭和22)年には、アメリカのメジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)方式のニックネームを導入し、各球団とも「漢字+ニックネーム」の球団名に改称した。そして、1949(昭和24)年には、新チーム加盟の是非を巡って日本野球連盟が分裂し、セントラル野球連盟(セントラル・リーグ)と太平洋野球連盟(パシフィック・リーグ)が結成される。その後、両リーグ間での選手引抜き問題の沈静化を図り、プロ野球を統括して、リーグ間・球団間の利害を調整する機関として、日本野球機構(NPB)が設立された。1937(昭和12)年に勃発した、中華民国と大日本帝国の間で行なわれた戦争、日中戦争により、アメリカとの関係が悪化し、野球が敵国アメリカの国技であるため、1940(昭和15)年からは、日本野球連盟は英語使用を徹底的に自主規制した。球団名や球団旗ロゴ、用語等の日本語化が推進され、球団名では、大阪タイガースが「阪神軍」、東京セネタースが「翼軍」になる等、改称を強いられた。現在の日本野球機構(NPB)では、球団名から「軍」を外して呼んでいる。1951(昭和26)年、日本プロ野球の内、セントラル・リーグ、及びパシフィック・リーグを統括する日本プロフェッショナル野球組織が設立された。2007(平成19)年度までは、同様にプロ野球のセ・パ両リーグを纏める組織として日本野球機構が存在し、「NPB = Nippon Professional Baseball」という英称を共有するのみならず、「組織」のコミッショナーが「機構」の会長を兼ねていた。一応、「組織」がルール(競技ルール、及び選手契約ルール)面を、「機構」が興行面を、それぞれ分担するとされてきたものの、長く両者の関係は曖昧であった。2008(平成20)年度より、「組織」は社団法人である「機構」の内部組織とされた。現在、日本野球機構(NPB)は、東京都港区芝に事務局を置く、公益財団法人日本プロスポーツ協会(日本国内のプロスポーツ団体が加盟するスポーツ組織)加盟団体の一般社団法人となっている。
笑顔の日。 
2月5日の「2」と「5」で、「ニ(2)コ(5)ニコ」の語呂合わせから、いつもニコニコと笑顔になっていようという日で、社会を明るくする活動を行なっているボランティア団体の有志が制定した。笑顔は心と体を元気にする。その健康効果は、医学的にも証明されているようで、笑わない人よりも、笑う人の方が傷の治りが早いというデータもある。笑うことで頬の筋肉が働き、また、動くことにより、ストレスが解消され、鎮痛作用たんぱくの分泌を促進させ、ストレスが下がることにより血圧を下げ、心臓を活性化させ、運動した状態と似た症状を及ぼし、血液中の酸素を増やす。さらに、心臓によい影響を与えることから、循環器疾患の治療に用いられることもある。 
エコチュウの日。 
エコロジーへの関心の高まりと共に、中古車に乗ることは、新車の製造過程で排出されるCO2削減に貢献できることを広く知ってもらおうと、愛知県名古屋市中区葵に本社を置き、クルマ情報誌「Goo(グー)」シリーズ等を展開する企業、株式会社プロトコーポレーションが制定。日付は、2月5日の「2」と「5」で、「中古(チュウ[2、two]コ[5、五])」の語呂合わせで、中古車によるエコロジーに貢献する活動を始めた日から。クルマ情報誌「Goo(グー)」は、全国エリアで展開するクルマ情報誌で、中古車物件ぺージと共に、最新のクルマ情報にスポットを当てた特集記事等で「クルマ選び」をサポートする。他にも、中古バイク物件を紹介する情報誌「Goo Bike」等がある。 エコロジーは、狭義には、生物学の一分野としての生態学(生物と環境との間の相互作用を扱う学問分野)のことを指すが、広義には、生態学的な知見を反映しようとする、文化的・社会的・経済的な思想や活動の一部、又は全部を指す言葉として使われる。広義のエコロジーの内容は、「環境に配慮していそう」なファッション等から、「地球に優しい」と称する最先端技術や企業活動、市民活動、自然保護運動、「自然に帰れ」という現代文明否定論まで、極めて広範囲に亘る。なお、エコロジーの省略形「エコ」は、和製英語(日本で作られた英語風の言葉)である。中古車は、基本的には、消費者(ユーザー)や企業・組織によって既に所有されたものが、再び売りに出されるものを指す。所有登録だけがなされ、全く使用していない車両、俗に言う「新古車」(販売店が販売数を達成するために「試乗車」等の名目で登録したもの等)も、区分上では「中古車」に分類されている。中古車の販売や買取業者には、「古物営業法(昭和24年5月28日法律第108号)」に基づく古物商の許可が必要になる。1960年代には、中古車流通の仕組みが整っておらず、ディーラーが自社で販売し切れない下取り車は直接、或いはブローカーを介する等して、独立系中古車販売業者に流していた。独立系業者は零細企業が多く、市場の主導権はディーラーが握っていたが、ディーラーは中古車部門にあまり力を注いでいなかった。1990年代には、新業態「中古車買取専門店」が各地に登場する。さらに、安定した仕入れも可能になったため、特定の車種だけを集める等の特徴を持った独立系販売業者も増えることとなった。新車から中古車へ需要がシフトしたことが追い風となり、1990年代後半まで市場全体が大きく拡大する。買取専門店チェーン等が成長した一方、市場におけるディーラーの地位は相対的に低下した。2000(平成12)年には、日本最大手の自動車メーカー、トヨタ自動車が買取専門店チェーン「T-UP」を立上げ、日本最大級のネットワークを構築する等、現在では、メーカーやディーラーも中古車に力を注いでいる。なお、「T-UP」は現在、「トヨタのクルマ買取」とサイトが改名されている。