1月26日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

帝銀事件の日。
1948(昭和23)年1月26日、東京都豊島区長崎の帝国銀行(後の三井銀行、現在の三井住友銀行)椎名町支店(1950[昭和25]年に統合閉鎖され、現存しない)で帝銀事件が発生した。東京都の衛生課員と名乗る男が、「近くで赤痢が発生したので予防薬を飲んでもらう」と偽り、行員16名に青酸化合物(シアン化合物とも呼ばれる、極めて強い毒性を示す化合物)を飲ませる。その結果、11名が直後に死亡、さらに、搬送先の病院で1名が死亡し、計12名が殺害された。犯人は、現金16万円と額面17,450円(現在の価値では数百万円相当)の小切手を奪って逃走したが、現場の状況が集団中毒の様相を呈していたため、混乱が生じて初動捜査が遅れ、身柄は確保できなかった。なお、小切手は事件発生の翌日に現金化されていたが、関係者がその小切手の盗難を確認したのは、事件から2日経った1月28日の午前中であった。当初は、青酸化合物の扱いに熟知した旧陸軍731部隊(正式名称は関東軍防疫給水部で、満州[現在の中国東北部に所在]に拠点を置いて、防疫給水の名の通り、兵士の感染症予防や、そのための衛生的な給水体制の研究を主任務とすると同時に、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関でもあった)関係者を中心に捜査されていた。そして、陸軍関係の特殊任務関与者に的が絞られたが、突如、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)から、旧陸軍関係への捜査中止が命じられてしまう。捜査本部は、1947(昭和22)年10月14日と1948(昭和23)年1月19日に起きていた2件の類似事件の遺留品である名刺等から、1948(昭和23)年8月21日にテンペラ(乳化[互いに混ざり合わない液体の一方を微粒子にして他方に分散させること]作用を持つ物質を固着材として利用する絵具による絵画技法)画家の平沢貞通を、北海道小樽市で逮捕した。警視庁は平沢貞通を被害者に面通ししたが、この男と断言した者は1人もいなかった。逮捕当初、平沢貞通は一貫して否認していたが、逮捕されてから約1ヶ月後の9月23日から自供を始め、10月12日に帝銀事件と他の2銀行の未遂類似事件による強盗殺人と強盗殺人未遂で起訴された。12月20日より東京地方裁判所で開かれた公判において、平沢貞通は自白を翻し無罪を主張するも、1950(昭和25)年7月24日、東京地方裁判所で一審死刑判決。1951(昭和26)年9月29日、東京高等裁判所で控訴棄却。1955(昭和30)年4月7日には最高裁判所で上告が棄却され、5月7日、死刑が確定した。しかし、審理に不審な点が多く、冤罪であるとして、その後何度も再審請求が出された。平沢貞通は刑を執行されないまま1987(昭和62)年に獄中で病死したが、現在でも支援者が名誉回復の為の再審請求を続けている。この事件を題材にして、松本清張の長編小説『小説帝銀事件』や第二次世界大戦後日本の怪事件を取上げたノンフィクション『日本の黒い霧』、横溝正史の長編推理小説『悪魔が来たりて笛を吹く』等、多くのノンフィクションや小説、エッセイ等が書かれ、映画やテレビドラマでも題材とされている。警視庁に在籍した刑事警察官、平塚八兵衛は、「落としの八兵衛」「喧嘩八兵衛」「鬼の八兵衛」「捜査の神様」等、数々の異名で知られる敏腕の刑事であった。平塚八兵衛が在任中に手掛けた事件は、殺人だけでも124件に上り、第二次世界大戦後の大事件の捜査でも第一線に立ち続けた。犯人に身代金を奪取された後に、犯人の声をメディアが大々的に報道されて国民的関心事となる中で、迷宮入り寸前になり第二次世界大戦後最大の誘拐事件と言われた1963(昭和38)年の吉展ちゃん誘拐殺人事件において、犯人の小原保のアリバイを崩して自供に至らせた粘り強い取調べや、1968(昭和43)年、東京都府中市にある東京芝浦電気(現在の大手電機メーカー、東芝)工場の従業員に支給されるボーナス約3億円(2億9,430万7,500円)を積んだ乗用車が、白バイ警官に扮した犯人に強奪された「三億円事件」の捜査主任を務めたこと等で有名な平塚八兵衛は、逮捕された平沢貞通の取調べも担当したが、この取調べはかなり厳しいものであったと言われ、平沢貞通は、逮捕された4日後の8月25日に自殺を図っている。また、その後も2回自殺を図ったという。帝銀事件から6年後の1954(昭和29)年、茨城県内で青酸を使用した大量殺人事件が発生した。この手口が、保健所を名乗り毒物を飲ませるという、帝銀事件と酷似したものであったことから、弁護人が調査の為に現地入りしたが、逮捕された容疑者が服毒自殺してしまったため、調査も進展しなかった。なお、1961(昭和36年)3月28日の夜、三重県名張市葛尾地区の公民館で発生した大量殺人事件、名張毒ぶどう酒事件は、「第二の帝銀事件」として世間から騒がれた。名張市の実質飛地と、隣接する奈良県山辺郡山添村に跨がる集落の懇親会酒席で振舞われたぶどう酒(ワイン)に、毒物(農薬のニッカリンT)が混入され、そのぶどう酒を飲んだ女性17名が中毒症状を起こし、5名が死亡した。被疑者・被告人として逮捕・起訴された犯人の男は、刑事裁判で死刑判決が確定したが、冤罪を訴えて、生前9度に亘る再審請求を起こし、死刑確定から43年間、死刑執行が見送られ続けた一方で、再審請求も認められることなく獄死した。  
コラーゲンの日。 
ゼラチンやコラーゲン、皮革等を主力事業とする株式会社ニッピ(当時は、日本皮革株式会社)の研究員、西原富雄が、コラーゲンの可溶化に成功して特許を出願した日は、1960(昭和35)年1月26日。これを記念して、東京都足立区千住緑町に本社を置く化粧品や健康補助食品のメーカーで、コラーゲンの国内シェアNo.1企業、株式会社ニッピコラーゲン化粧品が制定した。可溶化により、化粧品や食品等、コラーゲンの用途は飛躍的に増えた。コラーゲンは、皮膚、血管、腱、歯等、殆どの組織に存在する繊維状のたんぱく質で、ヒトの身体を構成する全たんぱく質の約30%を占めている。ゼラチンは、コラーゲンを変性させたものであり、化粧品、医薬品等、様々に用いられている。コラーゲンは、様々な結合組織に、力学的な強度を与えるのに役立っている。若干の弾力性もある。特に、腱の主成分は非常に強い力に耐える。腱には、筋肉が発生した引っ張り力を骨等に伝え、運動を起こす際に非常に強い力が掛かる。また、骨や軟骨の内部では、びっしりと詰め込まれたコラーゲン細繊維が、骨や軟骨の弾力性を増すのに役立っており、衝撃で骨折等が起こることから守っている。また、皮膚の弾力性や強度にも役立っている。コラーゲンは、ゼラチンやにかわ(動物の皮や骨等を原料とし、これを水と共に加熱して製造した有機たんぱく質)の原料であり、古くから食材として利用されている。コラーゲンは熱によって溶ける性質を持っているため、皮や骨付きの肉、皮の煮込みや豚骨スープ、魚の煮汁(煮こごり)等の料理から、日常的に気付かない内にコラーゲンを摂取している。コラーゲンが熱によって変成したものがゼラチンで、ゼラチンをさらに加水分解して分子量を数千程度まで小さくしたものがコラーゲンペプチドであり、近年では健康食品の素材として利用されている。コラーゲンは皮膚に最も多く存在しているが、紫外線、電離放射線、オゾン等によって発生する活性酸素により、質、量共に変化する。また、加齢により繊維芽細胞による合成が低下してしまうため、分解される量が合成される量を上回り、その結果として、しわやしみが発生して、いわゆる皮膚の老化が起こる。コラーゲンは皮膚に塗布することによって、外部からの刺激を緩和したり、水分を保つことは可能とされる。一方、コラーゲンを摂取することによって、コラーゲンの原料となるアミノ酸やペプチドを補給することはできるが、実際に皮膚の状態を改善する効果があるかについては、科学的に十分に証明されている訳ではない。
ファーストバスデー。
東京都渋谷区桜丘町に本社を置く、ベビーギフトやママ向け商品の通販、Webメディア運営等を手掛ける企業、Bestunning株式会社が制定。Bestunning株式会社は、パパとママが待ちに待った赤ちゃんと初めて一緒にお風呂に入る日を、「ファースト(初めて)バス(お風呂)デー(日)」と命名。各家庭で日付は違うが、初めて赤ちゃんとお風呂に入った尊いその時間を思い出すきっかけの日に、との思いが込められている。日付は、赤ちゃんの健やかな成長を願って親子で一緒に入る「初めての(→1)風呂(ふろ[]26)」と読む語呂合わせから、1月26日を記念日とした。Bestunning株式会社では、赤ちゃんが生まれたら選ぶ入浴剤として、無添加・微炭酸の「Babytab(ベビタブ)」を販売している。「Babytab(ベビタブ)」は、無添加・無香料・無着色で、赤ちゃんの保湿ケアができる。また、ボディソープは不要で、ぬるめのお湯でも湯冷めしにくい、という特徴がある。重炭酸イオンをお湯に溶け込ませる技術で、お湯の中で炭酸ガスがイオンに変化。赤ちゃんも入れる中性のお湯質になる。ドボンとお風呂に入って流すだけで、ラクラク汚れを落としながら肌バリアを守ってくれる。「Babytab(ベビタブ)」は、水道水の残留塩素を瞬間中和除去し、殆どゼロにする。残り僅かな、かけがえのない時間を記憶に残るお風呂の時間にしたい。「Babytab(ベビタブ)」には、そんな思いが込められている。