1月26日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

有料駐車場の日、パーキングメーターの日。
1959(昭和34)年1月26日、東京都が東京都千代田区の日比谷と丸の内に、公共駐車場として日本初の路上駐車場を設け、1,283台のパーキングメーターを設置した。この日から、有料駐車場時代が始まったとも言える。料金は駐車15分に付き10円で、この時代、東京都において10円で買えるものは、豆腐1丁、郵便はがき1枚等で、大学卒の初任給は、平均で約15,200円程度であった。パーキングメーターとは、駐車料金を徴収して、車両を一定時間駐車する権利を提供する機械である。特に、地方自治体や道路管理者が設定し、道路交通管理の一環として、駐車制度を運用する場合に使用することが多い。1935(昭和10)年、アメリカ合衆国南中部、オクラホマ州の州都オクラホマシティに初めて設置され、翌1936(昭和11)年には量産が開始されて、1980年代まで増産が続いた。初期型は、硬貨投入口、開始スイッチとしてのダイヤル、残り時間を示す針と文字盤等から成る。この構造は、2連方式のものや異なった材質の使用等、外観の一部変更を除き、40年以上も継承された。1980年代中期に、針と文字盤や機構部分を電子部品(回路板、キーボード、ディスプレイ)に置換えたデジタル版が投入された。このおかげで、EEPROM(コンピュータ等の電子機器で、電源を切っても保持しておくべきデータを格納するのに使われているメモリの一種)を使用し、駐車時間がより柔軟的に設定できるようになった。1990年代初頭までには、世界各国でパーキングメーターが導入されていたが、パーキングチケット発給機等、メーターより新しい徴収方法や、電子マネー(情報通信技術を活用した、企業により提供される電子決済サービスのことで、法的に位置付けられた通貨等、いわゆる貨幣そのものではない)方式を導入するところが増えた。なお、「パー(8)ク(9)」の語呂合せから、駐車場管理業者としては日本国内最大手の貸し駐車場管理会社、パーク24が制定した「パークの日(駐車場の日)」は、8月9日とされている。 
携帯アプリの日。 
2001(平成13)年1月26日、携帯電話等の無線通信サービスを提供する日本の最大手移動体通信事業者、株式会社NTTドコモが携帯アプリを開始したことから、多彩なゲームやツールが登場し、日本の携帯電話が世界をリードするきっかけになった。これを記念して、東京都新宿区西新宿に本社を置き、携帯アプリの様々な事業を展開するモバイルメディア事業会社、スパイシーソフト株式会社が制定。株式会社NTTドコモの同業他社であった、日本テレコム株式会社は、2001(平成13)年6月22日に「Javaアプリ」を開始した(現在は、ソフトバンク株式会社で「S!アプリ」)。また、KDDI株式会社は、2001(平成13)年7月に「EZアプリ」を開始し、「iアプリ」と同様なサービスが行なわれた。携帯アプリとは、携帯電話(先進的な携帯機器用OSを備えた携帯電話の一種であるスマートフォンも含む)上で動くゲーム(携帯電話ゲーム)や各種ツール等のアプリケーションソフトウェア(ユーザーが要求する情報処理を直接実行するソフトウェア)のことである。アプリケーションソフトウェアの例としては、一般的な事務作業を支援するワードプロセッサ、表計算ソフト、データベース管理システム (DBMS) や、映像や音声を再生するためのメディアプレーヤー等が挙げられる。世の中の多くの人が共通的に利用できるものとして、汎用化して売出したものは、パッケージソフトウェアと呼ばれている。
1ドア2ロックの日。 
東京都港区芝に本社を置く、国内シェア約6割を誇る錠前(扉等に取付けて締める金属、機械的、又は電子的道具で、一般には錠やロックと呼ばれる)のトップメーカー、美和ロック株式会社が制定。防犯性を高めて空き巣の被害を減らすために、玄関を「1ドア2ロック」にすることを推奨、啓発することが目的。日付は、1月26日の「1」と「26」で、「1つのドアに2つのカギ(ロック = 6)」の語呂合わせから。「1ドア2ロック」とは、1つのドアに錠を2つ付けること(主錠の他に補助錠を付けて防犯性を高めること)を言う。錠が2つ以上付いていることにより、不審者や窃盗犯等が侵入に要する時間も2倍以上掛かることになり、見た目にも侵入を諦めさせる効果がある。1935(昭和10)年、美和ロック株式会社の前身となる軍需会社、美和工業が、政府の要請を受けて創業され、機関砲弾の製造や信管の切削、加工を手掛け始める。第二次世界大戦終戦後は、美和産業に社名変更し、除草機用の刃物等の製造を手掛けたが、1950(昭和25)年には、日本銀行から現金輸送箱の封印錠を受注したのを機に、錠前・鍵の研究・開発を始める。そして1957(昭和32)年、現在の独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)の前身、日本住宅公団により。公団住宅用錠前の指定メーカーとなる。これを機に、大口需要を獲得していく。1972(昭和47)年に社名を「美和ロック工業」に改称した後、1993(平成5)年には製品の販売会社と関連会社を統合し、現在の美和ロック株式会社が誕生した。 
モンチッチの日。
東京都葛飾区西新小岩に本社を置き、「モンチッチ」を始めとしたぬいぐるみ、人形、オルゴール、雑貨等を企画製造販売する玩具等のメーカー、株式会社セキグチが2018(平成30)年に制定。世界中で愛されているマスコットキャラクターの「モンチッチ」の魅力を、さらに多くの人に知ってもらうことが目的。日付は、「モンチッチ」の誕生日である1974(昭和49)年1月26日から。「モンチッチ」とは、フランス語で「私の」を意味する「モン」と、「小さく可愛いもの」を意味する「プチ」で、「わたしのカワイイもの」を意味する。また、「モンキー」の「モン」とおしゃぶりをいつも「チュウチュウ」と吸っているので、「モンチッチ」という名前が付けられた。猿に似た妖精の生き物をイメージした「モンチッチ」は、顔と手、足の部分は人形(ビニール)で、胴体はぬいぐるみである。1972(昭和47)年に株式会社セキグチが発売した「くたくたモンキー」の改良版として1974(昭和49)年1月26日に発売された。発売日の1月26日は、株式会社セキグチ社長(現会長)の関口晃市の誕生日である。そして、テスト販売の翌年には、ベビー人形マドマゼルジェジェのデザインをしていた人形デザイナーのミドリデザイン室に、完全完成版と大型版のデザインを正式に依頼し、当時社内デザイナーであった遠藤隆が第二デザインを施す。この第二デザインが、世界初のコピー防止デザインとなった。柔らかくてクタクタしている独特の触感があり、日本のおもちゃ界に衝撃を与え、社会現象となるようなヒット商品となり、シリーズ商品が生まれ、テレビアニメも放映された。その後、日本では販売を一時中止していたが、フランスではずっと、途切れることなく販売されていた。1996(平成8)年から、国内とフランス以外のヨーロッパの国々で再び販売され、今日まで順調に販売が続いている。
腸内フローラの日。
腸で生抜く力が強い植物性乳酸菌のラブレ菌が、1993(平成5)年に京都の伝統的な漬物「すぐき漬け」から発見されたことから、愛知県名古屋市中区錦に本社を置き、乳酸菌のサプリメント等を手掛ける、調味食品、保存食品、飲料等、食品の製造、販売を行なう大手総合メーカー、カゴメ株式会社の大阪支店(大阪市淀川区宮原に所在)が、2017(平成29)年に制定。乳酸菌や食物繊維で、腸内フローラを調えることのアピールが目的。 日付は、年末年始で食生活が乱れ易い1月と、「フ(2)ロ(6)-ラ」の語呂合わせを組合わせたもの。ヒトや動物の腸の内部に生息している細菌、腸内細菌の内、消化管の下部に当たる、腸管内の常在細菌が腸内細菌である。腸の内面を広げるとテニスコート約1面分にも相当し、さながらお花畑のように細菌類が生息していることから「腸内フローラ」とも呼ばれる。フローラとは、「花畑」を意味している。腸内細菌は、草食動物やヒトのような雑食動物において、食物繊維を構成する難分解性多糖類を短鎖脂肪酸に転換して、宿主にエネルギー源を供給したり、外部から侵入した病原細菌が腸内で増殖するのを防止する、感染防御の役割を果たす等、宿主の恒常性維持に役立っている。

寒の土用丑の日。
天竜川の源となる諏訪湖の畔にあり、うなぎの収穫量、消費量の多い長野県岡谷市のうなぎ店等で結成された「うなぎのまち岡谷の会」が制定。「夏の土用丑の日」のように、「寒の土用丑の日」にもうなぎを食べる新しい食文化を築こうと始められたもので、最初は「岡谷・寒の土用の丑の日」と称していた。しかし、今では全国で行なわれるようになり、「寒の土用丑の日」として定着している。日本で初めて鰻の養殖を始めた場所は、静岡県の浜名湖で、その温暖な気候や水等の環境が、鰻に適していたためである。天然の養殖ではなく、天然の鰻も、静岡県の浜名湖や天竜川では多く獲れていて、その浜名湖や天竜川に繋がっているのが、長野県岡谷市にある諏訪湖である。長野県岡谷市は、浜名湖や天竜川の鰻が諏訪湖まで流れてくることから、昔より天然の鰻がよく捕れ、食べられていたという。参勤交代の時に通る殿様(藩主)に鰻を出すこともあり、庶民でも鰻は身近な食材であった。そのような事情から、長野県岡谷市は「うなぎのまち」となり、「寒の土用の丑の日」を定着させようと、長野県岡谷市では毎年、「寒の土用うなぎ祭り」が開催されている。土用とは、立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間のことで、その中の丑の日(十二支の中の丑)を「土用の丑の日」と呼ぶ。丑の日は十二支を1日毎に割当てていくので12日毎に1度回って来る。 年によっては、土用の期間に丑の日が2回来ることもあり、2度目を「二の丑の日」と言う。2018(平成30)年は、1月21日が寒の土用丑の日で、2月2日が寒の土用丑の日の二の丑となっていたが、2019(平成31)年は、1月28日が寒の土用丑の日となり、寒の土用丑の日の二の丑は巡って来ない。2020(令和2)年も、1月23日が寒の土用丑の日となり、寒の土用丑の日の二の丑は巡って来ない。2021(令和3)年は、1月17日が寒の土用丑の日で、1月29日が寒の土用丑の日の二の丑となっていた。2022(令和4)年は、1月24日が寒の土用丑の日となり、寒の土用丑の日の二の丑は巡って来ない。2023(令和5)年は、1月19日が寒の土用丑の日で、1月31日が寒の土用丑の日の二の丑となる。2024(令和6)年は、1月26日が寒の土用丑の日となり、寒の土用丑の日の二の丑は巡って来ない。「土用」とは、五行(古代中国に端を発する自然哲学の思想で、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説)に由来する暦の雑節である。1年の内の不連続な4つの期間で、四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間ずつである。五行では、春に木気、夏に火気、秋に金気、冬に水気を割当てている。残った土気は、季節の変わり目に割当てられ、これを「土旺用事」や「土用」と呼んだ。「土用」の間は、土の気が盛んになるとして、動土・穴掘り等の土を犯す作業や殺生が忌まれた。但し、「土用」に入る前に着工して、土用中も作業を続けることは差支えないとされた。また、「土用の間日(まび)」には、「土用」の障りがないとされた。土用は、土公神という土を司る神が支配する期間とされたため、動土、穴掘り等が忌み嫌われていた。土公神は、季節によって遊行するとされ、春は竃(古い時代、竃は土間に置かれ、土や石でできていた)、夏は門、秋は井戸、冬は庭にいるとされた。遊行している季節毎に、竃や門、井戸、庭に関して土を動かす工事を行なうと土公神の怒りを買い、祟りがあるという。なお、土公神は竃の神(かまど神)ともされ、竃に祀り。朝晩に灯明を捧げることとされる。この神は、不浄を嫌い、刃物を竃に向けてはならないとされる。土用の期間は土を動かす作業ができないとなると、一般の仕事に支障が出るために、間日が設けられる。この間日には、土公神は文殊菩薩(古来の仏陀の教えを拡大し、新しい解釈を加えた仏教の教派、大乗仏教の崇拝の対象である菩薩[悟りを求めて修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導く者]の一尊で、一般に智慧を司る仏とされる)に招かれて天上に行くので、地上にはいなくなるという。五行の性質において、木気は、植物のような発育伸長する勢いある傾向、火気は、勢いが頂点に達し燃盛る性質、金気は、熱や勢いが衰え凝縮・固化しつつある状態、水気は、凝縮しきってエネルギーを秘めつつ静的に留まった状態であり、これらは四季、太陽、植物等の周期変化の観察から象徴化された。土気は、土壌におくと種が発芽することの観察から、大きな変化を促し、保護する働きと場所の象徴である。四季には、それぞれ象徴である木火金水が順当に割当てられたが、そのままでは季節が変わる際に性質の異なる気が接し、ギャップ(大きなずれ)が生じることになる。現実のスムーズな移行には、バッファ(衝撃を吸収して和らげる緩衝器)的に働き、現在から次の季節の気へと変容させる期間があり、ここで土気が活発に働いているとみたのが「土用(土の働き)」である。この期間は、1年を五行の5等分し、さらに土を四季に配分するため4等分した長さとなる。日本では土用の丑の日に、暑い時期を乗切る栄養を付けるため、鰻を食べる習慣がある。暑い時期を乗切るために鰻を食べるという習慣は、現存する最古の和歌集『万葉集』にも詠まれている古いものであるが、土用の丑の日に食べる習慣となったのは、江戸時代中期頃からの風習であるという。一説によれば「丑の日に『う』の字が付く物を食べると夏負けしない」という風習があったとされ、鰻以外には瓜、梅干、うどん、兎肉(うさぎ)、馬肉(うま)、牛肉(うし)等を食する習慣もあったとされるが、今日においては殆ど見られない。鰻を食べる習慣についての由来には諸説あり、讃岐国出身の本草学者・地質学者・蘭学者・医者・殖産事業家、平賀源内が鰻屋のために書いた客寄せの言葉からという説が最もよく知られている。鰻にはビタミンA・B群が豊富に含まれているため、夏バテ、食欲減退防止の効果が期待できる。ただ、鰻の旬は冬眠に備えて身に養分を貯える晩秋から初冬にかけての時期で、秋から春に比べても夏のものは味が落ちる。実際には、土用丑の日は春夏秋冬の四季に亘ってある。しかし現在、鰻を食べる習慣があるのは、夏の土用丑の日だけとなっている。これは、平賀源内の客寄せの言葉説が起源とされる、鰻を食べる風習が「夏の土用丑の日」であったったからとされる。また、本来鰻の旬は晩秋から初冬にかけての時期のため、以前は夏に鰻は余り売れず、その販促のために旬ではないの時期に鰻を食べる風習を根付かせようとした、との説が有名である。鰻は食用にされ、日本では蒲焼や鰻丼等の調理方法が考案されて、古くから食文化に深い関わりを持つ魚である。漁業・養殖共に広く行なわれてきたが、近年は国外からの輸入が増えている。泳ぎはさほど上手くなく、遊泳速度は遅い。他の魚と異なり、ヘビのように体を横にくねらせて波打たせることで推進力を得る。このような遊泳方法は蛇行型と呼ばれ、ウツボやハモ、アナゴ等、ウナギと似た体型の魚に見られる。一般的に淡水魚として知られているが、海で産卵・孵化を行ない、淡水に遡って来る「降河回遊(こうかかいゆう)」という生活形態を取る。嗅覚は非常に優れており、イヌに匹敵するとされる。大阪では、「うなぎご飯」のことを「まむし」という。「まむし」は、うなぎを蒸して油を抜く「真蒸す」の転語説もあれば、蒲焼きを切ってご飯に「まぶす」から、とも言われている。20世紀後半頃には鰻の養殖技術が確立され、輸入も行なわれるようになったとはいえ、野生の鰻(天然もの)の人気は根強く、釣りや延縄(はえなわ、漁業に使われる漁具の一種で、1本の幹縄に多数の枝縄[これを延縄と呼ぶ]を付け、枝縄の先端に釣り針を付けた構成となっている)等で漁獲されている。鰻は高たんぱくで消化も良く、日本料理の食材としても重要で、鰻屋と呼ばれる鰻料理の専門店も多い。皮に生息地の水の臭いやエサの臭いが残っているため、天然、養殖を問わず、きれいな水に1日から2日程度入れて、泥抜き・臭み抜きをしたものを料理する。
寒梅忌。
作家、藤沢周平の1997(平成9)年の忌日。この日の前後に、鶴岡藤沢周平文学愛好会が、藤沢周平をしのぶ会「寒梅忌」を開催している。但し、2019(平成31)年の第20回の節目を最後に終了した。藤沢周平は、江戸時代を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説作品を多く残した。特に、架空の藩「海坂藩(うなさかはん)」を舞台にした作品群が有名で、1971(昭和46)年に短編小説『溟(くら)い海』でオール讀物新人賞を受賞。1973(昭和48)年には、中編小説『暗殺の年輪』で第69回直木三十五賞(大衆性を押さえた長編小説作品、或いは短編集に与えられる文学賞で、通称は直木賞)を受賞し、冴えた小説技法によって、時代小説の人気作家となる。1995(平成7)年、科学技術分野における発明・発見や、学術、及びスポーツ・芸術文化分野における優れた業績を挙げた人を対象に授与される褒章、紫綬褒章を受章した。