1月23日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

真白き富士の嶺の日。
1910(明治43)年1月23日、神奈川県逗子市にある神奈川県下では最も歴史の古い私立男子校、逗子開成中学校の生徒12名が学校のボートで乗出し、神奈川県鎌倉市南西部にある七里ヶ浜沖で遭難し、全員が死亡した。この遭難は、社会的事件として新聞で大々的に扱われた。この悲報に接した、神奈川県鎌倉市由比ヶ浜にある私立中高一貫校、鎌倉女学院の教諭であった三角錫子が「七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の根[嶺])」を作詞し、この歌は全国で愛唱された。また、遭難地点に近い稲村ヶ崎には、慰霊碑が建立されている。逗子開成中学校は、現在は高等学校からの生徒募集を行なわない完全中高一貫校である。1903(明治36)年、東京府北豊島郡日暮里町(現在の東京都荒川区西日暮里)にある開成中学校の分校、第二開成中学校として設立されたが、これは、日本海軍による横須賀海軍鎮守府(日本海軍の根拠地として艦隊の後方を統轄した機関)の軍人の子弟教育の要請を受けてのことであった。1909(明治42)年に独立組織となり、逗子開成中学校に改名する。第二次世界大戦対米英戦前は、日本海軍の退役将官が校長を歴任し、学年を「中隊」、学級を「小隊」と改称したり、「振武隊」と称する楽隊(現在の吹奏楽部)を作って、軍艦行進曲を演奏させる等、校風は極めて軍隊調となっていった。これらの海軍寄りの校風から、卒業後の進路として、海軍兵学校(日本海軍の将校たる士官の養成を目的とした教育機関)を志す者も多く、終戦を迎えるまで逗子開成中学校は、半ば海軍兵学校の予備校のようになっていた。第二次世界大戦後は、日本海軍の消滅に伴なってエリート校としての地位を失う。1980(昭和55)年12月、冬休みを利用して長野県北安曇郡白馬村の八方尾根に登山に向かった山岳部の生徒5名と引率の顧問教師が、豪雪の中で消息を絶ち、翌年5月に全員が遺体で発見されるという遭難事故が発生した。メンバーこそ学校の山岳部員と顧問教師であったものの、顧問教師はこの登山旅行の許可を学校側から得ていなかったため、学校側はこれを「私的な旅行」と主張として管理責任を否認し、生徒遺族の賠償要求を拒絶した。これに憤慨した遺族側は、学校を相手取って民事訴訟を起こし、学校との間で法廷闘争に発展した。裁判を巡って、経営陣や教職員も含め校内の意見は二分し、1980年代初頭には学校運営が大きく傾きかけた。しかし、卒業生でもある大手出版社、徳間書店社長の徳間康快が、事態収拾と母校再建のため経営に参入。徳間書店の財力を背景に理事会での主導権を握ると、八方尾根問題の早期解決を主張して積極的行動を取った。これにより、理事会は裁判所からの和解勧告の受入れを決定し、学校側の管理責任を認め遺族と和解した。その後、旧経営陣を一掃し、徳間康快が自ら理事長兼校長となり、種々の改革が行なわれた。一貫教育によるエリート化が図られ、横浜南部から湘南・三浦半島にかけた地区において、有数の進学校へと成長を遂げた。 
冥王星の日(撮影日)。
1930(昭和5)年1月23日、及び1月29日にアメリカ合衆国南西部、アリゾナ州フラッグスタッフにあるローウェル天文台で撮影された写真から後日、冥王星が発見されたことを記念したもの。冥王星の発見は同年2月18日で、こちらも「冥王星の日」とされている。冥王星は発見されて以来、長い間太陽系第九惑星で、外惑星の1つとされてきたが、1992(平成4)年以降、太陽系研究の進展により、太陽系の研究者の間等では、冥王星を惑星と見做すことへの疑問の声が広まっていた。発見から76年後の2006(平成18)年8月に開かれた国際天文学連合(IAU)総会で、それまで明確でなかった惑星の定義を定めると共に、「dwarf planet(準惑星)」という分類を新設することが採択された。この結果、冥王星はケレス、2003 UB313(分類と同時にエリスと命名)等と共に準惑星に分類された。再分類された後、冥王星は小惑星の一覧に記載され、小惑星番号134340番が与えられた。冥王星は、その暗さから、ギリシャ神話の冥府の神に因み、「pluto」と名付けられた。日本語名の「冥王星」は、英文学者・随筆家・天文民俗学者の野尻抱影が提案した名称である。1978(昭和53)年6月22日にアメリカの天文学者、ジェームズ・クリスティーによって発見された冥王星の第1衛星、かつ冥王星最大の衛星カロン(赤道面での直径約1,208km)は、直径が冥王星の半分以上あり、二重天体と見做されることもある。冥王星は、太陽系内のどの惑星よりも小さく、圧倒的に質量が少ない。冥王星の質量は、地球の月の0.2倍以下であり、冥王星より質量が大きい衛星が7つもある。その7つの衛星は、木星の第3衛星ガニメデ、土星の第6衛星タイタン、木星の第4衛星カリスト、木星の第1衛星イオ、地球の衛星である月、木星の第2衛星エウロパ、海王星の第1衛星トリトンである。冥王星は、「太陽系で最も遠い惑星」とされたことから、太陽系の果ての象徴とされ、SFやスペースオペラ(宇宙空間で繰広げられる騎士道物語的な宇宙活劇)等に描かれることが多かった。発見から76年間も惑星として親しまれてきた上に、マスコミによるセンセーショナルな報道の影響もあって、「冥王星が惑星でなくなった」ことに負のイメージを抱いてしまった人は、非常に多いのも事実である。
ワンツースリーの日。
1月23日を、「1・2・3」で「ワン・ツー・スリー」と読む語呂合わせから。何か新しいことを始めるきっかけの日にと、起業を目指す人々が制定。人生に対してジャンプする気持ちを持とうという意味も込められている。なお、12月3日の「1・2・3」を、手品の掛け声「ワン・ツー・スリー」とする語呂合わせから、東京都新宿区百人町に事務局を置く日本で最大、かつ唯一のプロマジシャンのための組織、公益社団法人日本奇術協会が1990(平成2)年に制定した「奇術の日」は、12月3日とされている。
六次産業の日。
居酒屋「芋んちゅ」等の飲食店経営、食を通じた郷土活性化事業、フランチャイズのコンサルタント業務等を行なう、愛知県名古屋市中区栄に本社を置く企業、株式会社グロース・フードが制定。日本の六次産業を盛上げることが目的。六次産業とは、農業等の一次産業、それらを加工する二次産業、そして販売、流通を手掛ける三次産業を統括して実施する産業のことである。日付は、1月23日の「1」と「2」と「3」で、一次産業×二次産業×三次産業で六次産業を意味している。
アート引越センターの日。
大阪市中央区城見に本社を置き、「アート引越センター」の名で全国に知られ、引越や物流等の事業を手掛ける企業、アートコーポレーション株式会社が制定。引越事業を中心に、住宅・保育に至るまで「暮らし」を キーワードとして、生活を取巻く各種事業を展開し、こんなサービスが「あったら いいな」の気持ちを大切にした自社のPRが目的。日付は、1月23日の「1」と「23」が、「アート引越センター」のコーポレート・アイデンティティである「the0123」に通じることから。「アート引越センター」は、電話番号の「0123」や「荷造りご無用」等のキャッチフレーズで認知を広げている。1976(昭和51)年、引越事業を始めるに当たって社名を決める際、電話帳で、できるだけ最初の方で見付け易い位置に乗る社名を考えた。電話帳では、五十音順で「あ」が最初に来て、次に「ー」が来るということで、名前を考えた結果、「アート」に決まった。