1月20日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

海外団体旅行の日。 
1965(昭和40)年1月20日、第二次世界大戦後の日本の航空会社として、初の国際線の運航を開始していた日本航空が、海外団体旅行の「ジャルパック」を発売した。これが、海外団体旅行ブームに火を付けた、とされることから生まれた日。高度経済成長(飛躍的に経済規模が継続して拡大することで、好景気時の実質経済成長率が約10%以上となった)による外貨獲得高が伸びたため、第二次世界大戦後以降の日本人の海外渡航制限が、1964(昭和39)年に解除されたことを受けて、日本初の海外パッケージツアーブランドである「ジャルパック」第1弾の発売が日本航空によって開始され、全7コースが国際線を運航する航空会社、旅行代理店、その他の関連業界のための業界団体、国際航空運送協会(IATA)加盟旅行代理店から一斉に発売された。当時は、ツアー参加者にサービスとしてトラベルバッグを配布しており、そのバッグが、海外旅行者の間でステータスとされていた。現在では高級なイメージは払拭され、一部の高額パッケージツアーは残しているものの、一般的なパッケージツアーとなっている。その後「ジャルパック」は、海外パッケージツアーの代名詞となる程に好調であり、1969(昭和44)年4月4日、日本航空と主要旅行会社の出資により、「ジャルパック」を企画・運営・管理・販売するホールセラーとして、「旅行開発株式会社」が設立された。1991(平成3)年には、社名を「株式会社ジャルパック」に改名した。1970(昭和45)年、アメリカのボーイング社(世界最大の航空宇宙機器開発メーカー)が開発した、ジャンボジェットの愛称で知られる超大型旅客機ボーイング747が就航した。従来の機材の3倍近い(約350席から約450席)の座席を収容する超大型旅客機の登場は、日本の海外旅行市場の礎ともなっている。1972(昭和47)年には、海外渡航者数が100万名を突破している。飛行機の大型化や、ドルが変動相場制に移行しての円高や旅行費用の低下が進み、韓国や台湾等の近隣国であれば、国内旅行よりも多少高い金額ぐらいで旅行できるようになった。さらに、1980年代後半の急激な円高の進行と、1988(昭和63)年12月から施行されたアメリカ合衆国訪問時のビザ免除制度等の影響で、海外旅行者が大幅に増加した。1995(平成7)年に一時過去最高の1ドル = 79円台まで進行した円高の際には、国内旅行と海外旅行の費用が逆転するケースが発生するようになり、その後円安に振れているものの、海外旅行は日本の周辺国への旅行を中心に一般化している。2013(平成25)年時点において、日本からの海外出国者数は世界で13番目の多さであるが、人口比でみた海外出国率では、決して多い方ではない。世代別でみてみると、40代男性が最も多く、30代男性、50代男性、20代女性がそれに続く。近年では、男女共に60代以上(シニア世代)の伸びが著しいのに対し、20代の若年層に限っては、2000(平成12)年前後から減少傾向が続いている。20代男性は、2000年代半ばを境に60代に抜かれ、1990年代まで世代別のトップの旅行者数であった20代女性も、約3分の2未満に減少している。20代の海外旅行者数が低迷している原因としては、昔と違って、海外旅行に対して特別な印象を持たなくなったということ、そして、正規雇用者より年収が低い非正規雇用者が増加したこと等が挙げられている。 
血栓予防の日。 
納豆に含まれるたんぱく質分解酵素「ナットウキナーゼ」が血栓(血管内の血液が何らかの原因で塊を形成することであり、主に、血管壁が傷害されることにより起こる)を溶解し、脳梗塞や心筋梗塞等を予防する効果があることをアピールするために、大阪市中央区伏見町に事務局を置く、納豆由来商品に関連する企業の業界団体、日本ナットウキナーゼ協会が制定。寒い時期に血栓ができ易いことから、大寒になることが多い1月20日を記念日とした。また、20日を「ツ(2)マル(0)」と読む語呂合わせにも由来する。日本の健康を支えてきた伝統食品である納豆。この納豆のネバネバ部分に「ナットウキナーゼ」が含まれ、血栓の素となるたんぱく質であるフィブリンを分解してくれる。血栓は、深夜から早朝にかけてでき易いため、「ナットウキナーゼ」を摂取する時間帯は、夕食後や寝る前がよいと考えられている。
甘酒の日。 
東京都港区芝に本社を置き、日本の伝統的な飲み物であり、発酵食品である甘酒の良さ、おいしさを多くの人に知ってもらいたいと、1969(昭和44)年から瓶入りの甘酒を販売してきた、大手菓子メーカーの森永製菓株式会社が制定。日付は、甘酒は疲れを癒し、身体が温まる飲み物として、大寒の頃が最も飲まれていることから。40年以上愛され続け、日本で一番売れている甘酒となっている森永製菓株式会社の缶入り甘酒は、「酒粕」の深いコクと「米麹」のやさしい甘み、今も昔も変わらぬ手作りの温かさに拘っている。甘酒は、日本の伝統的な甘味飲料の一種で、見た目はどぶろく(発酵させただけの白く濁った酒)に似て混濁している。甘粥(あまがゆ)とも呼ばれ、主に米こうじ(米にコウジカビ等の食品発酵に有効なカビを中心にした微生物を繁殖させたもの)と米、或いは酒粕(日本酒等のもろみ[酒等を作るために醸造した液体の中に入っている、原料が発酵した柔らかい固形物]を、圧搾した後に残る白色の固形物)を原料とする。酒という名が付くものの、アルコール含有は僅かで、市販されている商品はソフトドリンク(アルコール度数1%未満)に分類される。現在では、そのまま飲める缶入り、瓶入りの他、濃縮や粉末、フリーズドライのもの等が販売されている。
ぬか床の日。
日本の伝統的食文化の漬物の1つであるぬか漬。その関係企業等で結成された、石川県金沢市新保本に事務局を置く業界団体、「全国ぬかづけのもと工業会」が2015(平成27)年に制定した。玄米の表面を覆っている米ぬかを発酵させて作る、ぬか床の品質向上と普及が目的。日付は、古来より大寒の寒い時期にぬか床を作ると、良いぬか床ができるとされることから、暦の上の「大寒」を記念日とした。ぬか漬は、一般に胡瓜、茄子、大根等の水分が多い野菜を漬込むことが多いが、肉、魚、ゆで卵、蒟蒻等を漬けてもよい。余り漬かっていないものは浅漬け、一夜漬けと呼ばれ、長い間漬かっているものは古漬け、ひね漬け等と呼ばれる。また、干した大根をぬかに漬けたものを沢庵という。現在の形のぬか漬けができたのは、江戸時代初期とされている。江戸において、納豆等と共に、健康を維持するための簡単な料理として食べられていた。元来、奈良時代に「須須保利(すずほり)」という、漬床として臼で挽いた穀類と大豆を使った漬物があった。江戸時代から、精米の際に出る米ぬかを、この穀類と大豆の代わりに使ったのが、ぬか漬けである。ぬかのビタミンB1が野菜に吸収されるのを利用して、当時流行していた脚気の被害をある程度防いだ、と考えられている。
黒生メルティの日。
東京都中央区京橋に本社を置き、乳製品や菓子等のさまざまな食品事業を展開する大手食品会社、株式会社明治が制定。日付は、寒さが最も厳しい頃の「大寒」になることが多い1月20日に。株式会社明治が発売する、雪のようなくちどけが人気のチョコレート「メルティーキッス」は、黒生ビールとの相性が良いことから、双方をマリアージュすることで、また違った美味しさを味わえる。記念日を通して新しい食べ方を提案し、今まで以上に楽しんでもらうことが目的。また、1992(平成4)年に誕生し、2022(令和4)年に販売開始から30周年を迎えた「メルティーキッス」は、「優しさと温もり」を提供できるブランドとして親しまれており、この日に優しさと温もりを届けたい、との株式会社明治の想いが込められている。
インクルーシブを考える日。
福岡市東区多の津に拠点を置く、特別支援学校高等部等を卒業した後の学びの場として、各地で「カレッジ」を運営する企業、株式会社ゆたかカレッジが制定。記念日を通じて、障害者の社会への完全参加と平等を考える機会とすることが目的。日付は、国際連合総会で採択された「障害者の権利に関する条約(障害者権利条約、平成26年条約第1号)」に、国際連合事務局への日本の批准が承認された、2014(平成26)年1月20日から。この条約では、あらゆる障害者の尊厳と権利が保護されなければならないと謳われ、障害者の完全参加と平等なインクルーシブ社会(共生社会)の実現を目指すことが掲げられている。「インクルーシブ(inclusive)」とは、「全てを含んだ」「包括的な」「包み込む」という意味で、インクルーシブ社会とは、誰も切捨てない、ひとりひとりを尊重する社会であり、障害のある人もない人も全ての人が参加し、誰もが平等に生き易い社会のことである。