1月20日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年 
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第3土曜日 旧暦 12月10日、先負(癸未)、月齢  8.6  
グレゴリオ暦で年始から20日目、年末まであと346日。
誕生花 キンセンカ・スハマソウ・デンファレ・猫柳・ラナンキュラス。

二十四節気・雑節等 
大寒。
二十四節気の1つ、旧暦十二月中気。太陽黄経が300度の時で、寒さが最も厳しくなる頃。小寒から立春までの30日間を「寒の内」と称し、大寒はその真ん中に当たる。暦の解説書『暦便覧』では、「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明している。実際には、1月26日頃から2月4日頃位までが、1年で最も寒い時期である。西洋占星術では、「大寒」が宝瓶宮(みずがめ座)の始まりとなる。武道や音曲等の寒稽古等、耐寒のための様々な行事が行なわれ、寒気を利用した食べ物(凍り豆腐、寒天、酒、味噌等)を仕込む時期である。大寒の朝の水は1年間腐らないとされており、容器等に入れ、納戸に保管する家庭もある。大寒の日には、昔から「大寒の卵」を食べると、金運や健康運が向上すると言われる。「大寒の卵」は、文字通り大寒の日に産まれた卵であり、この日に産まれた鶏卵は1年で最も美味しいという。寒さが厳しくなるにつれて、鶏が水を飲む量を減らす反面、栄養をしっかりと体内に蓄えるために、飼料の摂取量が増える。そのため、大寒に近付くにつれて鶏卵の栄養価が高くなり、卵黄の味わいが濃厚で美味しいものとなる。さらに、「寒の内」(「寒中」とも呼ばれる、小寒から立春までの間)に産まれた卵は寒卵といい、味が良く、日持ちが良いとされる。この寒卵は、無精卵が多いとされ、俳句の季語ともなっている。卵は完全栄養食と言われる程、健康を維持するために必要な栄養素を豊富に含んでいる。栄養価の高さから、戦病者や病人、産婦によいとされている。但し、必要な栄養素の内、ビタミンCや食物繊維、カルシウム等は不足している。国や地域によってよく使われる卵の種類は異なるが、日本においては、卵と言えば、鶏卵を指すことが多い。一般に入手し易い鳥類の卵としては、他にウズラの卵ぐらいしかない。
蕗のとう花咲く。
七十二候の1つ(70候)。 

二十日正月。
二十日正月とは1月20日のことを指し、正月の終りとなる節目の日とする土地も多い。かつては、正月の祝い納めとして仕事を休む物忌み(ある期間中、ある種の日常的な行為を控え穢れを避けることで、具体的には、肉食や匂いの強い野菜の摂取を避け、他の者と火を共有しない等の禁止事項がある)の日であった。この日をもって正月の行事は終了する。京阪神地方では、正月に用いた鰤の骨や頭を、酒粕・野菜・大豆等と一緒に煮て食べることから、骨正月や頭正月とも言われ、御節料理の食べ納めをした。他の地方でも、乞食正月(石川県)や棚探し(群馬県)、フセ正月(岐阜県)等と言って、正月の御馳走や餅等を食べ尽くす風習がある。また、骨正月という呼び方の由来としては、正月用の年肴(さかな)が食ぺ尽されて骨だけになってしまうため、とする説もある。 
アメリカ合衆国大統領就任式。
西暦年が4で割切れる年の翌年。アメリカ合衆国憲法修正20条で、アメリカ合衆国大統領の任期は1月20日の正午に終了することとされており、その瞬間から次のアメリカ合衆国大統領の任期が始まる。アメリカ合衆国大統領就任式は、次期大統領によるアメリカ合衆国大統領職への就任宣誓を中心とする式典である。就任式当日は祝日となる。初代アメリカ合衆国大統領のジョージ・ワシントンの就任式は1789(寛政元)年4月30日に、当時アメリカ合衆国北東部ニューヨーク州ニューヨークにあった連邦議会(現在のアメリカ合衆国議会旧議事堂の敷地に建つ記念館、連邦公会堂[フェデラル・ホール])のバルコニーで行なわれた。その後は、大統領選の4ヶ月後の3月4日に、主に連邦議会両院いずれかの本会議場で行なわれるようになった。1817(文化14)年からは、屋外で行なわれるようにもなった。1901(明治34)年から2013(平成25)年に至るまでは、連邦議会の就任式両院合同委員会が主催し、基本的に議事堂前を会場としている。当初採択されたアメリカ合衆国憲法では、大統領、副大統領、及び議会議員の任期は、選挙が行なわれた4ヶ月後の3月4日に始まった。この期間は18世紀に、新しく選ばれた役職者達が私事を片付け、続いて故郷から国の首都まで骨の折れる旅をしてくるまでに数ヶ月を要していたので、事実上必要なことであったが、現代では政府の機能を遅らせることしかなかった。そのため、修正条項が1933(昭和8)年1月23日に批准されたが、その条項が適用されたのは、1937(昭和12)年1月20日に始まったアメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・D・ルーズベルトとアメリカ合衆国第32代副大統領ジョン・N・ガーナーの任期からであった。近年の歴代アメリカ合衆国大統領の就任式が行なわれた年は、第39代 ジミー・カーターが1977(昭和52)年、第40代 ロナルド・レーガンが1981(昭和56)年と1985(昭和60)年、第41代 ジョージ・H・W・ブッシュが1989(平成元)年、第42代 ビル・クリントンが1993(平成5)年と1997(平成9)年、第43代 ジョージ・W・ブッシュが2001(平成13)年と2005(平成17)年、第44代 バラク・オバマが2009(平成21)年と2013(平成25)年、第45代 ドナルド・トランプが2017(平成29)年、第46代 ジョー・バイデンが2021(令和3)年となっている。ジョー・バイデンは、歴代最高齢となる78歳の大統領である。  
玉の輿の日。
1904(明治37)年、アメリカの金融財閥、モルガン商会(現在の世界的な金融機関グループ、モルガン・スタンレーの前身)の創立者ジョン・ピアポント・モルガンの甥、当時30歳のジョージ・デニソン・モルガンが京都で最大の花街(芸妓屋や遊女屋が集まっている区域)、祇園(現在の京都市東山区に所在)の芸妓「雪香」を見初め、求婚した。ジョージ・デニソン・モルガンは、恋人と別れたばかりの失意の旅行中に日本に立寄り、「雪香」が結婚に承諾するまでの4年間に3度来日した。当時20歳の「雪香」には恋人がいたが、この騒動が新聞に掲載されたために破局したという。「雪香」は、1904(明治37)年1月20日、ジョージ・デニソン・モルガンと結婚してアメリカに渡るが、排日移民法(排日法、アジア等からの移民を排除するアメリカの法律)により、アメリカへの帰化は許可されなかった。また、「モルガンお雪」や「日本のシンデレラ」と呼ばれたが、翌1905(明治38)年にジョージ・デニソン・モルガンと共に一時帰国した際には、「金に目が眩んだ女」等とマスコミに囃し立てられた。14歳で外人専用の茶屋「小野亭」の芸妓となった本名「加藤ユキ」、芸妓名「雪香」の通称「お雪」は、歌舞に優れており、特に胡弓(多くのものは3本の弦を持ち[4本のもの等もある]、ほぼ三味線を小型にした形をしている和楽器)を得意とした。当時4万円(現在の貨幣価値に換算すると、約8億円相当とも言われる)という莫大な身請け金により、ジョージ・デニソン・モルガンに引取られ、横浜で結婚した。1915(大正4)年、「お雪」が34歳の時、夫ジョージ・デニソン・モルガンが44歳という若さで、心臓麻痺により死去。その後はフランスに渡り、悠々自適の生活を送る。1938(昭和13)年には、第二次世界大戦勃発を前にヨーロッパが不穏化し、家族の世話をするため「お雪」は京都に帰る。71歳でキリスト教の洗礼を受け、以後はカトリック信者の1人として京都で隠棲し、養女と共に静かな余生を送った。