1月16日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

念仏の口開け。
正月の神様(年神、五穀の豊作を祈る神)は念仏(仏教における行[財産・名誉・性欲といった人間的な欲望、相対的幸福から解放され、生きていること自体に満足感を得られる状態、絶対的幸福を追求すること]の1つで、仏の姿や功徳を思い描いたり、その名号を口に出して呼ぶこと)が嫌いであるとして、12月16日の「念仏の口止め」から、この日までの約1ヶ月の間は、念仏を唱えない、というしきたりがある。全国的に行なわれていた行事ではなく、かつて行なわれていた地域であっても、現在では殆ど行なうことがないようではあるが、一部地域に残されている。また、地域によって日も異なり、12月11日が「念仏の口止めの日」となっているところもある。1月16日は「念仏の口開け」となり、年が明けて初めて念仏を唱える日となる。日本では古来、亡くなった人の魂は山中の常世に行って祖霊となり、子孫を見守るという信仰を持っていた。「山の神」となった祖霊は、春になると山から降りて「田の神」となって豊穣をもたらし、正月には「年神様」として子孫の下に訪れ繁栄をもたらすとされる。かつて正月は、この「年神様」を迎えるための祭礼で、丁重に迎えて1年の豊作や安泰を祈ったが、祖霊である「年神様」は、なぜか念仏を好まないと言われる。祝祭に死を連想させる念仏は控えた方が良いと考えたのか、或いは、神道の神様に対する遠慮なのかは分からないが、正月のように元々祖霊祭であった盆は、寺院の関与も大きく、仏教的な色彩が強い行事であるのに対し、正月の方は、仏教的な行事は余り見られない。毎年正月に各家にやってくる来方神である年神は、地方によってはお歳徳(とんど)さん、正月様、恵方神、大年神(大歳神)、年殿、トシドン、年爺さん、若年さん等とも呼ばれる。現在でも残る正月の飾り物は、元々年神を迎えるためのものである。門松は年神が来訪するための依代であり、鏡餅は年神への供え物であった。各家で年神棚・恵方棚等と呼ばれる棚を作り、そこに年神への供え物を供えた。また、年神の「年」は稲の実りのことで、穀物神でもある。信仰の根底にあるのは、穀物の死と再生である。古代日本で農耕が発達するにつれて、年の始めにその年の豊作が祈念されるようになり、それが年神を祀る行事となり、正月の中心行事となっていった。また一方で、年神は家を守ってくれる祖先の霊、祖霊として祀られている地方もある。農作を守護する神と、家を守護する祖霊が同一視されたため、また、田の神も祖霊も山から降りてくるとされていたためである。日本民俗学の開拓者とされる民俗学者の柳田國男は、1年を守護する神、農作を守護する田の神、家を守護する祖霊の3つを1つの神として信仰した、素朴な民間神が年神であるとしている。中世頃から、都市部で「年神(歳神)」は「年徳神(歳徳神)」と呼ばれるようになった。徳は得に通じ、縁起が良いとされたためである。方位学にも取入れられ、歳徳神のいる方角は「恵方」と言って、縁起の良い方角とされた。暦には、女神の姿をした歳徳神が描かれているが、神話に出てくる大年神は男神であり、翁の姿をしているともされる。元々民間信仰の神であり、その姿は様々に考えられていた、ということである。正月の支度をしていると翁と出会い、待合わせをしていた童と交代で帰って行くのを見届ける為に数日が過ぎ、すっかり年が明けてしまったと思っていたら時間は経過しておらず、童が今年の年神であることに気付くという伝承がある。 
囲炉裏の日。 
1月16日の「1」と「16」で、「い(1)い(1)炉(ろ[6、六])」と読む語呂合わせから、囲炉裏を囲んで暖かい会話を楽しもうと、囲炉裏の愛好家らが制定。囲炉裏は、屋内に恒久的に設けられる炉の一種で、伝統的な日本の家屋において、床を四角く切って開けて灰を敷詰め、薪や炭火等を熾すために設けられた一角のことで、主に暖房や調理目的に用いられる。なお、数える際には「基」を用いる。古くは、「比多岐(ひたき)」や「地火炉(じかろ)」とも称し、「居炉裏」とも表記された。囲炉裏は、炊事専門の竃(かまど)、属人的な炭を使用する日本の伝統的な暖房器具である火鉢と共に、日本の伝統家屋の火の座を構成した。囲炉裏は暖を取るために用いられた他、食物の煮炊きや夜間の採光、衣類・食料・生木等の乾燥に用いられ、さらには、マッチ等による着火が容易でない時代の、竃や照明具の火種としても使われた。部屋中に暖かい空気を充満させることで、木材中の含水率が下がり、腐食しづらくなる。また、薪を燃やす時の煙に含まれるタール(木タール)が、梁や茅葺屋根、藁屋根の建材に浸透し、防虫性や防水性を高める効果もあった。さらに、囲炉裏は家族や人を集結させる場としての機能を持っていた。食事中、夜間は自然と囲炉裏の周りに集まり、会話が生まれる。通常、家族の成員の着座場所が決まっており、家族内の序列秩序を再確認する機能もあった。囲炉裏の周囲の着座場所の名称は地方によって異なるが、例えば、横座、嬶座(かかざ)、客座、木尻、又は下座(げざ)等が挙げられる。ずる賢い猿が蟹を騙して殺害し、殺された蟹の子ども達に仕返しされるという民話『さるかに合戦』の話の中には、栗が囲炉裏の火中に入り、火力で弾けた栗が猿を直撃、やけどを負わせる内容がある。これは、かつて囲炉裏の灰に栗や餅、山菜等を埋めて焼き、食べていた習慣から時折起きていた事故であり、今の子どもがこの話を聞くより、囲炉裏が普通に民家にあった時代の子どもが聞いた時に、非常に生々しい実感を持って感じることのできるエピソードであった。主に短編小説を書き、多くの傑作を残し、近代日本を代表する作家の1人とされる芥川龍之介は、よく知られた民話の語られざる後日談という体裁を取っているパロディー作品で、蟹達が親の敵の猿を討った後、逮捕されて死刑に処せられるという短編小説『猿蟹合戦』を書いている。蟹は臼、蜂、卵と共に、握り飯を奪った猿を殺して仇を取った。しかし、蟹等はその後、警官に捕縛され投獄される。そして裁判の結果、主犯の蟹は死刑に、共犯者は無期徒刑の判決を受ける。新聞雑誌の輿論、学識者、宗教界等、各方面からも蟹達に冷たく批判的な意見が寄せられ、死刑は滞りなく執行された。残された蟹の妻は売笑婦(娼婦)となり、長男は心を改め株屋で働き始め、次男は作家となった。三男は蟹以外の何者にもなれず、やがて握り飯を拾うが、木の梢には一匹の猿がいた。
ヒーローの日。
東京都港区東新橋に本社を置く、広告業務等を手掛ける広告代理店で、名実共に日本最大の広告代理店であり、「広告界のガリバー」の異名を持ち、近年では、海外の広告会社を積極的に傘下に加えることにより規模を拡大し、広告代理店グループとして世界5位の規模となっている、株式会社電通が制定。アニメや映画等の世界における「ヒーロー」を、さらに多くの人に愛してもらい、その存在を世の中に浸透させることが目的。日付は、1月16日の「1」と「16」で、「ヒ(1)ー(1)ロー(6)」と読む語呂合わせから。ヒーローの多くは、普通の人を超える力や知識、技術等を持ち、それらを用いて、一般社会にとって有益とされる行為、いわゆる救世主としての行為を行なう。多くの物語では、これを阻止しようとする悪役、或いは敵役が共演することになる。物語等で、女性が主人公の場合は「ヒロイン」と称される。また、主人公でなくても、男性主人公の恋人の女性も、「ヒロイン」と称されることがある(女性主人公の恋人になる男性は、[特に、ロマンス小説等において]ヒーローと呼ばれる)。英雄的な活躍をする女性キャラクターに、敢えて「ヒーロー」という呼称を使うことがある。これは日本だけでなく、英語圏のアメリカでも同様であり、厳密な男性形・女性形よりも、単語のイメージやニュアンスが優先されたためと考えられる。最近の映画・漫画・アニメでは、ヒーローは特別な力を持たない普通の人物であるが、社会から迫害されており、最後にそれに打勝つというような例も多い。また、ヒーローは全てを救えない時もあるが、その時に描かれる人間性の輝きは、人の心を惹付ける。