1月15日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

年賀はがきお年玉抽選日。
1951(昭和26)年から1999(平成11)年までは、旧来の成人の日である1月15日が抽選日であったが、2000(平成12)年から1月第2月曜日が成人の日となったものの、その年だけは1月15日土曜日に抽選が行なわれた。更に、2008(平成20)年以降は、従来より販売期間を延長し、15日頃まで販売したことから、1月第3週頃の日曜日となった。年賀はがきは、正しくは「お年玉付郵便葉書」と称する。「お年玉つき郵便葉書等の発売に関する法律(お年玉法、昭和24年11月14日法律第224号)」に基づき、日本郵便株式会社が発行する郵便はがきの1つである。あくまで『年賀状に用いるための葉書』であるが、年賀はがきを指して『年賀状』と呼ぶ誤用も散見されている。郵政により初めて発行されたのは、1950(昭和25)年用のものとなる。なお、「お年玉法」の正式名称は、「郵便法及びお年玉等付郵便葉書及び寄附金付郵便葉書等の発売並びに寄附金の処理に関する法律の一部を改正する法律(昭和62年6月2日法律第54号)」により、「お年玉付郵便葉書等に関する法律」と改題されている。因みに、お年玉くじの付いた年賀専用はがきのアイデアは、一民間人が考案したもので、当時の郵政大臣(現在の総務省と日本郵政[JP]グループの前身、郵政省の長)等に何度も直談判し、粘り強く交渉を続けた結果、採用されたものである。
ウィキペディアの日。
1月15日は、ウィキペディア参加者(ウィキペディアン)達の間で、「ウィキペディアの日」として知られている。2001(平成13)年1月15日、ウィキペディア英語版は、ヌーペディア(ウィキペディアの前身となったウェブ上のインターネット百科事典プロジェクト)での5日間を過ごした後に公開された。2周年を迎えた2003(平成15)年1月15日には、各国語のウィキペディア参加者(ウィキペディアン)が、ここまでウィキペディアを導いてきた協力精神をもって、ウィキペディア誕生の日を祝い、ウィキペディア英語版のメインページを新たにデザインし直した。ウィキペディアは、10万の記事を作ることが当初の目標で、当時の関係者は、これに5年以上掛かるかもしれないと考えていた。しかし、「GNUフリー・ドキュメンテーション・ライセンス」がもたらした自由、そして中立性を保つという方針が、世界最大の百科事典を作るという目標と組合わさり、このプロジェクトは、予想を越えるペースで成長を遂げた。世界中の数百名の明るく熱烈なボランティアによる24時間365日の編集で、英語版ウィキペディアの記事数は始まった。その年内に2万を超えるまでになり、2年目には世界最大のウィキ、及び世界最大のフリー百科辞典として、英語版のみでも約8万の記事の追加があった。誰もが無料で自由に編集に参加できるウィキペディアは、世界の各言語で展開され、286言語にも及ぶ。「ウィキペディア(Wikipedia)」という名前は、ウィキペディアが、ウェブブラウザ上でウェブページを編集することができる「ウィキ(wiki)」というシステムを使用していることと、「百科事典(encyclopedia)」とを組合わせた造語である。従来、専門家によって監修、編集される百科事典を、一般のインターネット利用者が匿名で編集できるようにしていることが、ウィキペディアの大きな特徴の1つとなっている。参加者の資格制限等を行なっていないため、年齢、職業、国籍等の点で、多様な執筆者がボランティアで編集に関わるが、これは、百科事典の開発プロジェクトとしては革命的なことであった。また、既存の百科事典では対象外であった、大衆文化に関する項目が数多く扱われていることや、投稿履歴が公開されており、いつ誰がどのような編集をしたかが把握できるようになっていること等も、ウィキペディアの大きな特徴とされる。ウィキペディアの記事の精度は高いとした複数の研究結果がある一方で、記事に対する査読(関係者や第三者が読んで問題点を指摘すること)制度がないため、問題ある記述は、コミュニティーの自己管理により解決されることに委ねられている。このように、ウィキペディアには信用に足る百科事典とは言難い面があり、ウィキペディアからの引用を学術関連のレポートに載せることは、そのレポートの信憑性そのものに疑問を持たせることでもある。また、問題のある投稿が他の利用者によって修正・除去がなされるまでは、一時的であっても適切でない記述が公開され、問題が長期間見逃されたり、編集合戦(ノートでの話合いによらず、他者の編集を互いに取消や差戻しを繰返し、自分の編集を押し通そうとすること)により、編集できない場合に問題のある記事が、長らく修正、或いは除去できないという問題もある。但し、法的な問題の場合は、ウィキペディアの管理者が対処する。ウィキペディア日本語版では、編集合戦は禁止されており(他言語版では禁止されていない言語版もある)、違反者は投稿ブロックを受けることがある。因みに、「ウィキペディア」という名の小惑星(太陽系小天体の内、星像に拡散成分がないものの総称で、拡散成分[コマやそこから流出した尾]があるものは彗星と呼ばれる)もある。小惑星帯(太陽系第四惑星、火星と、太陽系第五惑星、木星の間にある小惑星の軌道が集中している領域で、アステロイドベルトとも呼ばれる)に位置する小惑星「ウィキペディア」は、2008(平成20)年8月25日にアンドルシェフカ天文観測所(東ヨーロッパに位置するウクライナ[旧:ソビエト連邦内の構成国]北西部、ジトームィル州アンドルシェフカに、2001[平成13]年に設立された私設の天文観測所)の天文学者集団によって発見され、2013(平成25)年1月には、インターネット百科事典ウィキペディアに因んで命名された。小惑星「ウィキペディア」の構成物は不明ながら、他の小惑星帯に存在する小惑星と同様、岩石と鉱物の混合物である可能性が高い。 
半襟の日。
2001(平成13)年、京都市中京区蛸薬師通東洞院に所在する事業者の協同組合(非営利組織)、京都半衿風呂式和装卸協同組合が制定。 襟を正す正月であり、この日がかつて「成人の日」であったことから、和装に縁のあるこの日を記念日とした。「襟を正す」という言葉の語源は、現在の中国中部、陝西省の省都西安市に相当する中国の古都、長安の有名な易者に会いに行った役人達が、易(古代中国で生み出された占いの方法)に止まらない深い博識に感動し、自然に冠の紐を締め直して上着の襟を正し、きちんと座り直して話を聞き続けた、という故事に基づくもので、 転じて、今までを反省し、改めて身を引締めて事に当たる様子を表わすようになった。半衿(半襟)とは、和服用の下着である、襦袢に縫い付ける替え衿のことで、名前は、その長さが実際の襟の半分程度であることに由来する。本来の目的は、襦袢を埃、皮脂や整髪料から保護するもの(汚れたら外して洗濯し、何度も使用する)であるが、顔に近い部位に身に付けるものであることから、着こなしのポイントとして重要視され、刺繍等による豪華な装飾を施した、数十万円近い価格帯の半襟も存在する。半襟をも下着の一部と考えれば、その一部を見せるのが正式の着用法である点で、世界の民族衣装の中でも例外的である。  
アダルトの日。
1947(昭和22)年1月15日、日本初の「ヌードショー」とされるものが開演された。東京都淀橋区(現在の東京都新宿区)に所在した、劇場と食堂等を兼ね備えた映画館『帝都座』の五階劇場で、額縁に裸体の女性が現れる「額縁ショー」が上演され、人気を呼んだ。「額縁ショー」は、裸体画に見立てたもので、舞台に大きな額縁を作り、その中に上半身を裸にしたモデルがポーズを取り、僅かの時間だけ幕を開く、というもので、出演した女性はただじっとしているだけであった。