1月15日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

手洗いの日。 
手洗いの大切さを多くの人に知ってもらおうと、薬用石けんのミューズ等を手掛ける、ピー・アンド・ジー・ノースイーストアジア・ピー・ティー・イー・リミテッド(アメリカ合衆国に本拠を置く世界最大の一般消費財メーカー、プロクター・アンド・ギャンブル[P&G]の日本における子会社で、兵庫県神戸市中央区小野柄通に本社を置く、現在のプロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン株式会社[P&G]の前身企業)が制定した日。日付は、「きれいな手」を「いい手」として、手が5本指であることから、1月15日の「1」と「15」を、「い(1)い(1)手(手指の数が5本)」と見立てたことから。なお、国際連合児童基金(UNICEF、ユニセフ)や世界銀行(World Bank)等からなる「せっけんを使った手洗いのための官民パートナーシップ」が、2008(平成20)年から実施している「世界手洗いの日(Global Handwashing Day)」は、10月15日とされている。 
フードドライブの日。 
缶詰や調味料、レトルト食品等、消費期限までの日数があり、保存可能で未開封の食品を、経済的理由等で食べ物に困っている家庭等に届ける奉仕活動の「フードドライブ」。この活動を広めようと、東京都港区芝浦に所在し、女性だけの30分フィットネスを全国展開するフィットネス施設の運営会社、株式会社カーブスジャパンが制定。当初は、株式会社カーブスジャパンが初めて、日本縦断でフードドライブを開始した日に因み、11月1日であったが、より多くの個人、企業に参加して欲しいとの願いから、1月15日の「1」と「15」で、「い(1)い(1)ご(5)はん」の語呂合わせとなる1月15日を記念日とした。「食品ロス」とは、本来は食べられる状態であるにも係わらず、食品が廃棄されること、「食品のムダ(Food waste)」のことを言う。廃棄される食品そのもの、或いは、廃棄食品総量を意味することもある。製造過程で発生する規格外品、加工食品の売残り、家庭や飲食店で発生する食残し(残飯)、期限(賞味期限、消費期限、品質保持期限)切れの食品、食材の余りや調理くず等を含むもので、世界の食糧喪失と浪費は、生産される全食糧の約3分の1から約2分の1になる、とも言われる。低所得国では、生産中に殆どの損失が発生するが、先進国にあっては、1人当たり年間約100kgの食料が、消費​​段階で無駄に捨てられるという。なお、包装の傷み等で、品質に問題がないにも係わらず、市場で流通できなくなった食品を、企業から寄付を受け、生活困窮者等に配給する活動、及び、その活動を行なう団体として、フードバンクがある。提供を行なう企業にとっては、廃棄に掛かる金銭的な費用を抑制できるだけでなく、食品廃棄物の発生を抑え、福祉活動に貢献しているという面で、「企業の社会的責任(CSR]」(企業が倫理的観点から事業活動を通じて、自主的に社会に貢献する責任)の取組みともなり、企業価値の向上にも繋がっている。
「適サシ肉」の日。
東京都台東区のおよそ東半分を範囲とし、東京の下町を構成している地域の1つ、浅草にある老舗すき焼店「ちんや」が、2018(平成30)年に制定。「ちんや」の6代目当主、住吉史彦は、自店で過剰な霜降肉を使うことを止め、適度な霜降の入った肉「適サシ肉」だけを使うと宣言した。「適サシ肉」の美味しさを、多くの人に味わってもらうことが目的。日付は、宣言をした2017(平成29)年1月15日に因んでいる。「適サシ肉」とは、住吉史彦の造語で、株式会社ちんやが商標登録をしている。江戸時代に「ちんや」は、諸大名や豪商に小型犬の狆(ちん)等の愛玩動物を納め、獣医も兼ねていたところから「狆屋」と呼ばれていた。1880(明治13)年に料理屋に転じたが、「ちんや」をそのまま屋号とした。その後、1903(明治36)年にすき焼の専門店になった。場所は、東京都内最古の寺、浅草寺の朱塗りの山門で、東京、及び日本を象徴する風景ともなっている雷門のすぐ西側(所在地は、東京都台東区浅草)で、外観は、明治時代の息吹を今に伝える総赤煉瓦づくりとなっている。震災や戦災を経て、1975(昭和50)年に現在の店舗が竣工した。「適サシ肉」とは、適度な霜降肉のことで、サシの入り方が過剰でないことを意味する。具体的には、脂肪の量が4等級(5等級は不使用)で、脂肪の融け方が良い、つまり、脂肪の融点が低い肉(充分な月齢[30ヶ月]まで肥育した和牛のメス牛の肉)を指す。また、小ザシ(サシの入り方が細かく、加熱するとサシと赤身の境界線から「和牛香」という良い香りの出る肉)であり、これにより、赤身の旨味と脂の甘味がバランス良く、胃もたれせず、香りも良いすき焼を実現できる。 
くりこ庵・たい焼きの日。
神奈川県横浜市西区岡野に本社を置く、たい焼き、生菓子、甘栗の輸入販売等を手掛ける企業、株式会社くりこが制定。日付は、たい焼き専門店として首都圏に多店舗展開している「くりこ庵」の旗艦店、横浜西口店が開店した2002(平成14)年1月15日を記念日としたもの。江戸時代から続く日本特有の菓子、たい焼きの記念日を設けて、さらなるたい焼き文化の発展と活性化を図ることが目的。株式会社くりこは、1938(昭和13)年に初代が始めた「磯貝商店」が創業となる。青果仲買「内地栗卸業」を中心とし、第二次世界大戦戦前戦後の日本、そして、文化大革命(1965[昭和40]年に中華人民共和国の最高指導者、毛沢東が自らの復権等を目的に始め、以後約10年間続いた権力闘争)時の天津栗輸入に携わる「激動の時代」を経験してきた。その後、時代の流れと共に業態、形態内容を変え、現在は、たい焼き専門店「くりこ庵」を東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県にて展開している。お客様へ「でき立てのワンコインたい焼き」をテーマに1994(平成6)年8月、浦和コルソ(埼玉県さいたま市浦和区高砂の浦和駅西口にある商業施設)地下1階にて「横浜くりこ庵 第1号店」が開業した。数多くの和洋菓子が混在する中、シンプルなたい焼きだからこそできることがある。日本伝統和菓子「たい焼き」を守りつつ、現代ニーズに応え、お客様の記憶と共に蘇る「懐かしいたい焼き」となれるよう、企業理念の基「創業100年企業」を目指し、日々精進している。株式会社くりこ庵のたい焼きは、頭からしっぽまであんこがたっぷり。また、外はカリッと中はふんわりの厚い生地で有名。柔らかい食感が特徴で、冷めてもしっとり美味しく食べられる。生地は厳選した小麦粉を使用し、通常使用量の2倍の玉子を使い、ふんわり焼き上げた。株式会社くりこ庵のたい焼きには、人々を笑顔にさせる美味しさが詰まっている。株式会社くりこ庵では、定番の「小倉あん」や「クリーム」に加え、100種類以上の商品の中から常時6種類から8種類が店舗に並ぶ。栗のいっぱい入った看板商品「くりこあん」の他、「季節限定商品」「期間限定商品」は、1週間程度で入れ替わることもある。たい焼き(たいやき、鯛焼き、タイヤキ)は、鯛を模った金属製焼き型で焼いて作られる、餡入りで小麦粉主体の和菓子で、主に、日本国内で製造、販売、消費されている。小麦粉・砂糖・重曹等から作った生地を、鯛を模った焼き型(半身に分かれている)の片方に流し入れて小豆餡を載せ、もう片側は生地だけを入れ、合わせて焼く。魚の鯛は、材料として一切用いられない。前身の今川焼き(大判焼き)の様に、餡に替わってクリーム、チョコレート、キャラメル、カスタードクリーム等の洋菓子素材を使用したものや、サンドウィッチ式に肉類や生野菜、各種ソースやリゾット等を挟む、「おかずたい焼き」も供されるようになった。たい焼きの「焼き型」には、1匹ずつ焼き上げる型(一丁焼き)と、鉄板等で複数匹を一度に焼き上げる型の2種類があり、たい焼きの味に拘る人々の中には、前者で焼いた鯛焼きを「天然物」・「一本焼き」・「一丁焼き」、後者を「養殖物」・「連式」等と呼び、違いを明確にする場合がある。手間が掛かり、2kgを超える鋳物の焼き型を1つずつ返す為、体力も必要な一丁焼き型の使用は減少を続けているが、伝統的な焼き方と味(高温で焼くために皮がカリッっとしている)に拘りを持つ、たい焼き職人もいる。天然物と養殖物は焼き方の違いにより、皮の焼き上がりが異なり、火の通り方によって味も違うが、古式か新しい製法かの違いである。冷凍食品のたい焼きも流通しており、電子レンジで解凍して食することができる。
キング牧師記念日(Martin Luther King Jr. Day)。
アメリカ合衆国のプロテスタント(新教、カトリック教会から分離したキリスト教諸教派)バプテスト派(17世紀頃にイギリスで始まり、現在ではアメリカ合衆国に最も多く分布している、伝統・習慣・制度・社会組織・考え方等を尊重する保守派に属し、個人の良心の自由を大切にするプロテスタントの一教派)の牧師で、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として活動した、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの誕生日、1929(昭和4)年1月15日を、アメリカ合衆国の国民の祝日としたもの。この祝日は現在、アメリカ合衆国連邦政府の公式な移動祝日を設定した法律、「月曜休日統一法」の下で設定された祝日と同様に、キング牧師の誕生日、1月15日に近い、1月の第3月曜日に行なわれている。キング牧師の名で知られるマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、1963(昭和38)年8月28日にアメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.で、人種平等と差別の終焉を呼掛けた「I Have a Dream(私には夢がある)」で知られる有名な演説を行なった人物で、1964(昭和39)年のノーベル平和賞受賞者、2004(平成16)年の議会名誉黄金勲章(アメリカ合衆国議会が国内外の文民に授与する最高位の賞)受章者であり、アメリカ合衆国の人種差別(特に、アフリカ系アメリカ人に対する差別)の歴史を語る上で重要な人物の1人である。1968(昭和43)年4月4日、遊説活動中のアメリカ合衆国南部、テネシー州メンフィスで、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、白人男性に銃で撃たれ死亡した。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの暗殺を受けて、アメリカ合衆国国内の多くの都市で、怒りに包まれたアフリカ系アメリカ人達による暴動が巻起こったが、葬儀が行なわれると、その怒りは悲しみに変わり、アフリカ系アメリカ人達のみならず、多くのアメリカ人達が葬儀に参列し、その死を悼んだ。アメリカ合衆国において、生前の業績から祝日が制定された故人は他に、キリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達した、イタリア出身でスペインの航海者、クリストファー・コロンブスと、イギリス本国(グレートブリテン王国)とアメリカ東部沿岸のイギリス領の13植民地との戦争、アメリカ独立戦争を司令官として戦った、アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントン、奴隷制存続を主張するアメリカ合衆国南部諸州の内、11州がアメリカ合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し、アメリカ合衆国に留まった北部23州との間で戦争となった南北戦争で、北部連邦を指揮して勝利へ導き、「最も偉大なアメリカ合衆国大統領」の1人に挙げられている、アメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーンの3人しかいない。