1月8日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

外国郵便の日。
1873(明治6)年にアメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.で締結された日米郵便交換条約により、1875(明治8)年1月8日、外国郵便の取扱いが横浜郵便役所(現在の神奈川県横浜市中区日本大通にある横浜港郵便局)で始められた。前年から、横浜の外国人居留地にあるアメリカの郵便局が、外国郵便の業務を行なっていたが、これ以降は、日本政府が業務を行なうこととなった。横浜港郵便局には、このことを表わすプレートがある。外国郵便とも呼ばれる国際郵便で取扱う郵便物は、普通、国際郵便物と呼ばれる。国際郵便物は、種類に応じて、税関による検査を受けることもあり、配達までに必要な時間が増えることがある。日本における国際郵便の取扱いについては、「郵便法(昭和22年12月12日法律第165号)」に基き、総務省が監督する特殊会社である日本郵便株式会社が「郵便の業務」として国際郵便の業務を行なっている。
遺影撮影の日。
東京都豊島区巣鴨で、日本初のシニア世代専門の写真館「えがお写真館」を運営する企業、株式会社サンクリエーションが2017(平成29)年に制定。生前に遺影を撮影し、後世に残すことの大切さを多くの人に知ってもらい、遺影撮影を日本の文化として、世の中に根付かせることが目的。日付は、1月8日の「1」と「8」で、「遺影撮る日(い[1]えいと[8、英語のエイト]るひ)」と読む語呂合わせから。また、正月の晴れやかな雰囲気の中で笑顔の写真を撮ってほしい、との願いから。「えがお写真館」では、カメラマン・ヘアメイク・スタイリストが顧客を迎え、その「えがお」を作り出せるように、それぞれのプロの視点から撮影を行なっており、東京だけでなく、全国から多くのシニア世代の人が来店している。遺影とは、物故者を偲ぶために、作られる写真、若しくは、肖像画である。通常は、葬儀の時に飾られ、自宅では、床の間に代々飾られることが多い。普通、胸から上の肖像であり、特に写真の場合、スナップ写真から本人だけを抜取ることができる。四つ切というサイズで引伸ばされることが多いが、社葬や団体葬等、大きな葬儀の時は、もっと大きなサイズに引伸ばされる。葬儀の後は概ね、代々のご先祖様と共に仏間に飾られる。従来は、フレームは漆塗りの黒、写真は着物を着たモノクロのものを用いることが多かったが、「葬儀会場に冷たい印象を与える」「白黒では子どもが怖がってしまう」等といった理由から、フレームは自由になり、カラー写真が用いられることが多くなった。遺影の発祥、考案者等は、全くの謎である。本来は、自分の気に入った写真を用意すべきであるが、大半が旅行や結婚式等に参加した時の集合写真等からの拡大、或いは修正が多い。アメリカ等では、遺体保存の方法(エンバーミング)が発達している為に、葬儀の場面では棺をオープンすることから、特別に遺影写真を飾る習慣は無い。近年では、一部の葬儀社がサービスの一環として、パソコンを用い、遺影の顔の輪郭等に調整を施したり、衣服を変えたりすることもある。さらに、画像加工会社の中には、葬儀で使う写真を事前に預かって保管するサービスを始めた企業もある。写真の遺影の他、電飾写真、液晶遺影等の新規な遺影も見受けられるようになった。さらなる技術の発展によって、今後の遺影の形態も変化を遂げると予想される。肖像写真は、人物を撮影した写真作品のことで、人物写真、ポートレート等とも呼ばれる。肖像写真は、世界中で人気のある営利的な産業となっている。家の中に掲げるための家族の肖像写真等を、写真館等で作って貰う人もいる。写真術の幕開けのころから、肖像写真は作られてきた。高価でない肖像を求められたことは、19世紀中葉のダゲレオタイプ(銀板写真とも呼ばれる、フランスの画家・写真家、ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが発明した世界初の実用的写真撮影法)の流行の大きな原因であった。写真スタジオは世界中の都市に広がり、1日に500枚以上も現像するスタジオすらあった。これら早期の業績は、30秒の露光と、関連した技術的な制限や、当時の画家の美意識を反映している。撮られる主体は、一般的には、無地の背景の前に座らされ、上からの窓や鏡から反射された柔らかい光を当てられていた。政治上、指導者の肖像が、国家のシンボルとして用いられることとなる。殆どの国で、国家元首の肖像が政府の重要な建物に掲げられることは、共通の外交儀礼となっている。
大戸屋・定食の日。
東京都武蔵野市中町に本社を置く株式会社大戸屋が、2018(平成30)年に制定。1958(昭和33)年1月8日、東京都豊島区池袋で「大戸屋食堂」として創業してから、2018(平成30)年で60年の「大戸屋ごはん処」。「大戸屋ごはん処」のご飯、味噌汁、おかずという定食スタイルと、素材の味を活かした調理方法、醤油、味噌、麹等の発酵調味料を使うこと、等の伝統的な食文化を、日本は元より、世界に発信することが目的。日付は、創業日であり、1月8日を「0108」として、「大戸屋(お[0]ーと[10]や[8])」と読む語呂合わせから。株式会社大戸屋は、和定食を中心とする外食チェーンストアを運営する企業で、家庭的な和定食を中心とした「大戸屋ごはん処」の全国チェーン展開を行なっている他、カウンター造りで、内装が料亭風でありながら、リーズナブルな価格設定の「おとや」も展開している。「大戸屋ごはん処」で提供される料理は、日本のいわゆる家庭料理風のものが多い。長年の看板メニューが、「特選大戸屋ランチ」で、キャベツスライスやサニーレタス・トマト・ブロッコリーの生野菜(付合せは時期によって異なる)を土台に、コロッケと鶏肉(モモ肉)の竜田揚げを並べ、中央に目玉焼きを盛合わせている。「○○定食」という名の付くメニューには、メインの惣菜の他に、米飯と味噌汁、お新香、メニューによっては小鉢がセットされるが、惣菜だけでの注文も可能である。セントラルキッチンを持たず、店舗で調理して提供するシステムで、他の外食チェーンとの差別化を試みている。ショッピングセンター内店舗や、郊外のファミリーレストランタイプの店舗を除いて、地下や2階への出店が多く、1階にはあまりない。これは、賃料の節減のためと、男性が中心の客層となっている行列に、交じって並ぶことに抵抗がある、という女性客に配慮しているため、とされる。また、店舗網は東日本が主体で、西日本には少なく、特に、関西圏は、味の嗜好の違いや、同業他社(特に、株式会社フジオフードシステム)との競合等で数は少ない。その関西、大阪発祥で、大衆外食チェーンの「まいどおおきに食堂」「串家物語」「つるまる」「手作り居酒屋かっぽうぎ」というブランドを中心に、37業態の直営・FC事業の経営を行なう企業が、大阪市北区菅原町に本社を置く株式会社フジオフードシステムである。創業者で代表取締役社長の藤尾政弘は、1979(昭和54)年12月に個人事業として藤尾実業を創業し、その後、生まれ育った実家の食堂を思い、メインブランドである「まいどおおきに食堂」1号店を1988(昭和63)年7月にオープンし、2006(平成18)年12月には47全都道府県に出店している。メインブランドとなる「まいどおおきに食堂」は、カフェテリア形式の一膳飯屋である。地名+食堂、いわゆる「○○食堂」という命名方式で、全国に展開している株式会社フジオフードシステムの本社がある関西地区には直営店が多いが、それ以外の地区では、主にフランチャイズ方式により店舗展開している。米と卵焼きに拘っており、米は毎日その日の分だけ精米している。また、一部の店舗を除いてはカフェテリア形式であるが、卵焼きだけは必ず、注文を受けてから調理する。基本は作り置きであるが、一部店舗では、できたて商品の提供も行なっており、焼き魚や揚げ物類は、注文後に調理されたものを受取ることが可能である。