1月8日 記念日 その6 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

勝負事の日。
1月8日の「1」と「8」を、「イチ(1、一)かバチ(8、八)か」と語呂合わせして制定された。慣用句(習慣として長い間広く使われてきた、言葉や文句、言回し)で、うまくいくかどうか分からず、出たとこ勝負でやってみることを、「一か八か」という。この「一か八か」は元々、博打(賭博のこと)用語で、語源は「丁か半か」とされ、「丁(ちょう)」と「半(はん)」の各漢字の上の部分の形が、数字の「一」と「八」であることに由来する。賭博は、金銭や品物等を賭けて勝負を争う遊戯であり、金銭や品物等の財物を賭けて、(偶然性の要素が含まれる)勝負を行ない、その勝負の結果によって、負けた方は賭けた財物を失い、勝った方は(何らかの取決めに基づいて)財物を得る、という仕組みの遊戯(ゲーム)の総称となっている。サイコロを使った賭博、丁半(丁半博打ともいう)では、偶数を「丁(ちょう)」、奇数を「半(はん)」と呼ぶ。茶碗程度の大きさの笊(ざる)であるツボ(ツボ皿)に入れて振られた2つのサイコロ(サイ)の出目の和が、「丁(偶数)」か、「半(奇数)」かを客が予想して賭ける。また、小規模な賭場を鉄火場、大勝負を賭博と呼んで区別した。江戸時代中期から後期にかけて、博徒(賭博をもって業となす者)が賭場(賭博を行なう場所)に客を集めて行なう形式が整った。 
ロックの日、エルヴィス・プレスリーの日。
1月8日は、1935(昭和10)年に「キング・オブ・ロックンロール」や「キング」と称され、ギネス世界記録(イギリスの出版社、ギネスワールドレコーズが、地球上のあらゆる世界一を探求し、認定・登録してきた記録集)では「史上最も成功したソロ・アーティスト」として認定されているアメリカのミュージシャン・歌手・俳優のエルヴィス・プレスリーが、1947(昭和22)年にイギリスを代表するマルチ・ミュージシャンであり、俳優としても長いキャリアを持つシンガーソングライター・レコードプロデューサーのデヴィッド・ボウイが生まれた日。なお、6月9日の「6」と「9」で、「ロ((6)ック(9)」とする語呂合わせから、ロックンロールを愛する人達によって制定された「ロックの日」は、6月9日である。ロックンロールは、1950年代半ばに現れたアメリカの大衆音楽スタイルの呼称である。ロックンロール(Rock and Roll)を直訳すると、揺れて(Rock)転がる(Roll)という意味であるが、語源については、古くからアメリカ英語の黒人スラングで「性交」、及び「交合」の意味であり、1950年代初めには「バカ騒ぎ」や「ダンス」という意味もあった。これを一般的に広め、定着させたのは、アメリカのラジオディスクジョッキー(DJ)、アラン・フリードであった。因みに、アラン・フリードは死後の1986(昭和61)年に、演奏者ではない人物として初めて「ロックの殿堂」(ロックンロールに大きな影響や功績を残したミュージシャンやプロデューサー等、ロックへ与えた影響を称える賞で、アメリカ合衆国中西部、オハイオ州クリーブランド市にある博物館の名称でもある)入りを果たした。ロックンロールが音楽シーンの中に定着した現在では、ロックンロール草創期を彩る人物の1人として頻繁に紹介され、また、広く認知されている。1960年代後半には、「ロック」という呼び方が一般化し、「ロックンロール」と呼ぶことは少なくなった。一方で、「ロックンロール」と「ロック」は別の物として使われることもある。1960年代後半、ロックンロールが進化してその枠を壊し、新たなサウンドが生まれ、それらのサウンドの総称として「ロック」という言葉が使われている。エルヴィス・プレスリーは、ロックンロールの誕生と普及に大きく貢献した、いわゆる創始者の1人であり、後進のアーティストに多大な影響を与えた。アメリカやイギリスを始めとする多くの若者をロックンロールによって熱狂させ、それは、20世紀の音楽の中でも最大級のムーブメントを引起こした。また、極貧の幼少時代から一気にスーパースターにまで上り詰めたことから、アメリカンドリームの象徴とされる。後に、同じく世界を席巻したイギリスのロックバンド『ザ・ビートルズ』のメンバーが憧れ続けたことでも知られる。保守的な大人達は「ロックは若者を悪くする(非行にさせる)」と考え、エルヴィス・プレスリーの音楽を禁止し、弾圧運動を展開していったが、それを跳ね返すかのように、若者達の間でさらにブームは拡大していった。これにより、多くの人々が初めてロックンロールに触れ、ロックンロールは一気にメジャーなものとなった。また、それまで音楽を聞かなかった若年層、特に若い女性が、音楽を積極的に聞くようになった。さらに、音楽だけでなく、ファッションや髪型等の流行も、若者達の間に芽生え、若者文化が台頭した。1977(昭和52)年8月16日、エルヴィス・プレスリーは、アメリカ合衆国南部、テネシー州メンフィスの自宅、グレイスランドにおいて、42歳で没した。死因は、処方薬の極端な誤用による不整脈と公式に発表された。デヴィッド・ボウイは、イギリスの老舗週刊音楽雑誌『ニュー・ミュージカル・エクスプレス(NME)』が、2000(平成12)年にミュージシャンを対象に行なったアンケートでは、「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」に選ばれている。また、「メジャーなカルトヒーロー」と言われ、時代時代の音楽に対する明敏さを生かし、それまでとは打って変わった音楽性という実験を繰返しながら、様々な意味での自己刷新を計ることが多いため、安定した商業面での成功を収めるには不利と言えるが、セールス的には成功している部類に入り、アーティステックな面と商業面をうまく両立させている、数少ないミュージシャンの内の1人である。1973(昭和48)年に初の日本公演を果たしているデヴィッド・ボウイが、大の日本好きであったことはよく知られており、デヴィッド・ボウイのステージパフォーマンスには、日本文化の要素が幾つも取入れられていた。因みに、1980(昭和55)年頃には京都市東山区に住んでいたとされ、京都市東山区に所在する商店街に写真が残っている。デヴィッド・ボウイは2016(平成28)年1月10日、約18ヶ月の闘病の末、肝癌により死去した。2日前の69歳の誕生日にアルバム『ブラックスター』をリリースしたばかりであった。その収録曲「Lazarus」は、自らの死期を悟っていたデヴィッド・ボウイが、アルバム『ブラックスター』のプロデュースを担当した、アメリカの音楽プロデューサー・編曲家のトニー・ヴィスコンティと共に、ファンへの最後のメッセージを盛込んだ内容となっている。
初薬師。
薬壺を持ち、病気を治す仏様として有名な、薬師如来の初縁日。日本への仏教伝来の初期から礼拝されている薬師如来は、正確には薬師瑠璃光如来と称され、大医王、医王善逝とも呼ばれる。菩薩としての修行時代に12の本願を立て、それが達成されない限り、仏にならないと誓った。その本願とは、衆生の病気を治して災難を鎮め、苦しみから救うというもので、薬師如来の名の起源となった。現世利益を与える仏として、古くから信仰を受けたが、他の如来(「真理を悟った者」の意味)と異なり、薬師如来の功徳を説いた経典『薬師経』以外、2つか3つ程度の経典に散説されるだけで、その成立の時代や場所は未詳とされる。薬師如来の縁日は毎月8日である。これは、薬師如来の徳を講讃する「薬師講」に由来すると考えられている。「薬師講」は、薬師如来の徳を講讃する法会で、『薬師経』を百座に分けて講説・讃歎するものである。1月8日は、1年で最初の縁日であり、「初薬師」と呼ばれて、縁日には祭祀や供養が行なわれる。