1月6日 できごと その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1948年 - アメリカ合衆国陸軍長官ケネス・クレイボーン・ロイヤルが、「日本を極東における共産主義の防壁にする」と演説。 
1949年 - 国際連合総会で、中国の国共内戦への不介入を決議。 
1950年 - イギリスが中華人民共和国を承認し、中華民国と断交する。 
1950年 - 二俣事件。静岡県磐田郡二俣町(現在の浜松市天竜区二俣町)で、就寝中の一家4名が殺害される。逮捕・起訴された少年が地方裁判所、高等裁判所、共に死刑判決を受けたが、最高裁判所が審理を差戻した後の地方裁判所、高等裁判所、共に無罪判決を受け、無罪が確定する。同じ静岡県内で起きた袴田事件(1966年に静岡県清水市[現:静岡市清水区]で発生した強盗殺人放火事件、及び、その裁判で死刑が確定していた袴田巌元被告が判決の冤罪を訴えた事件)と並ぶ、冤罪事件の1つとして知られる。
1951年 - 江華良民虐殺事件。韓国軍、韓国警察、民兵が、韓国の首都ソウル北西の京畿湾(黄海)に位置する島、江華島で非武装の島民を虐殺する。犠牲者数は、212名とも約1,300名ともされる。 
1960年 - 神奈川県横須賀市小矢部にある低所得者への福祉病院、衣笠病院で火災が発生。本館病棟や看護婦宿舎等、木造2階建て2棟が焼失し、新生児、妊産婦、看護婦ら16名が死亡、24名が重軽傷を負う。
1967年 - ベトナム戦争: アメリカ海兵隊が、南ベトナム(ベトナム共和国)でメコンデルタ作戦(ベトナム南部に位置するメコンデルタ地域への侵攻作戦)を開始。 
1968年 - 大相撲初場所の番付発表で、高見山大五郎が、外国人力士として初めて入幕(番付で、前頭から上の位の力士、幕内に昇進すること)。 
1975年 - 東京競馬場で、1970年代の日本で社会現象と呼ばれる程の人気を集めた国民的アイドルホースで、第1次競馬ブームの立役者となった、ハイセイコーの引退式が行なわれる。ハイセイコーは、1972年7月、東京都品川区勝島にある地方競馬の競馬場、大井競馬場でデビューする。翌1973年1月に中央競馬へ移籍して、「地方競馬の怪物」として大きな話題を集めた後も連勝を続け、4月に中央競馬クラシック三冠第1戦の皐月賞を勝つと、その人気は競馬の枠を超え、競馬雑誌やスポーツ新聞以外のメディアでも盛んに取扱われるようになり、競馬に興味のない人々にまで人気が浸透してゆく。5月27日に東京優駿(日本ダービー)で敗れたことで不敗神話は崩壊したが、人気は衰えることはなく、むしろ高まり、第一次競馬ブームと呼ばれる競馬ブームの立役者となる。このブームは、後年1990年前後に起こった武豊とオグリキャップの活躍を中心にした第二次ブームと並んで、日本競馬史における2大競馬ブームの内の1つとされる。ハイセイコーが巻起こしたブームは、日本の競馬がギャンブルからレジャーに転じ、健全な娯楽として認知されるきっかけの1つになった、とも評価されている。1984年には、「競馬の大衆人気化への大きな貢献」が評価され、JRA顕彰馬に選出される。JRA顕彰馬とは、中央競馬の発展に多大な貢献のあった競走馬の功績を讃え、後世まで顕彰していくために、日本中央競馬会(JRA)30周年記念事業(昭和59年、つまり1984年)の一環として発足した制度である。ハイセイコーの人気は種牡馬となってからも衰えず、ハイセイコーが種牡馬となり、北海道新冠郡新冠町に所在する明和牧場(現在は、ビッグレッドファーム明和となっている)で繋養されるようになると、観光バスの行列ができる程、多くのファンが同牧場を訪れるようになる。明和牧場では、ハイセイコー専用の放牧場を用意し、ファンの訪問に備え、1976年公開の長編映画『トラック野郎・望郷一番星』にハイセイコーが出演すると、新冠町の知名度が高まり、町がハイセイコーの名を冠したブランドを作って特産品の野菜を販売したところ、爆発的な売行きを見せている。この事例等から、種牡馬としてのハイセイコーの最大の功績は、競馬ファンと馬産地とを結び付けたこと、ともされている。自身の勝てなかった東京優駿(日本ダービー)を勝ったカツラノハイセイコ(ハイセイコーの初年度を代表する産駒)を始め、日本中央競馬会(JRA)が施行する中央競馬の重賞競走(GI)優勝馬を多く送り出し、1997年に種牡馬を引退した後は、北海道の明和牧場で余生を送り、2000年5月4日に同牧場で死亡する。5月18日、新冠町では「お別れの会」が催され、およそ500名が参列している。 
1975年 - 祥和丸事件。マレー半島とスマトラ島(インドネシア)を隔てる海峡、マラッカ海峡で、太平洋海運所属の大型タンカー『祥和丸』が、原油を満載した状態で座礁。大規模な原油流出を起こす。  
1976年 - 平安神宮放火事件。京都市左京区にある平安神宮本殿等が、新左翼(急進的な革命を志向した左翼的な政治運動)活動家の放火により全焼する。 
1977年 - 国鉄(日本国有鉄道、現在のJRグループ)が「一枚のキップから」キャンペーンを開始。国鉄が、個人旅行客の増大を目的に1970年から始めたキャンペーン、「ディスカバー・ジャパン」の一環であった「一枚のキップから」は長続きしなかったが、国鉄は心機一転を図り、1978年11月3日には、歌手・女優の山口百恵(引退時は21歳で、芸能人としての活動は僅か7年半程であったが、1970年代で最もレコードを売上げた歌手となり、多くの文化人に現代を象徴するスターとして語られた)が歌う『いい日旅立ち』をキャンペーンソングとした「いい日旅立ち」を始める。「いい日旅立ち」は成功し、1984年2月1日に「エキゾチック ジャパン」キャンペーンが開始されるまで、約5年3ヶ月続く。
1978年 - 聖イシュトヴァーンの王冠(現存する王冠の中で唯一の聖なる象徴として知られる王冠)が、アメリカから中央ヨーロッパに位置するハンガリーに返還される。
1982年 - 太平洋最北部の海、ベーリング海で遠洋底引網漁業を行なっていた漁船『第二十八あけぼの丸』が転覆・沈没。32名が死亡する。
1995年 - 国際的テロリズム支援組織、アルカーイダによるテロ計画「ボジンカ計画」が事前に発覚する。「ボジンカ計画」は、アルカーイダが決行を予定していたものの、未遂に終わったテロの計画で、「ボジンカ」はアラビア語で「爆発」の意味。フィリピンの首都マニラにあるアルカーイダのアジトが爆弾製造中に爆発、フィリピン警察に踏込まれて露見する。 
1998年 - 自由党結成。小沢一郎が党首に就任する。自由党は2003年9月26日に解党し、民主党(後の民進党の前身)に吸収合併される。 
2001年 - 中央省庁再編。日本の中央省庁が、これまでの1府22省庁から1府12省庁に再編統合される。 
2010年 - 本部がアメリカにある、海洋生物保護のための直接行動を掲げる団体、シーシェパードの高速船『アディ・ギル』が、日本の調査捕鯨船『第2昭南丸』に衝突。 
2012年 - 北朝鮮漂流船問題。海上保安庁第八管区海上保安本部(京都府舞鶴市)の巡視船と航空機が島根県隠岐島(島根半島の北方約50kmにある諸島)沖合約1km付近の海上で、錨が下ろされた状態の木造船を確認する。船には3名の男性が生存しており、他1名の男性が低体温症で衰弱死。船員は北朝鮮の漁民を名乗り、2011年12月中旬に漁に出ている際に遭難し、死亡した男性は数日前に死亡したと話す。この船については亡命目的や工作活動の説も出ていたが、日本政府は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)漁船の遭難と判断する。
2013年 - 東京都特別区の南南東約1,000kmの太平洋上にある小笠原諸島の島、父島(東京都小笠原村の中心的機能を担っている)で、世界初となるダイオウイカ(ダイオウイカ科に分類される、巨大なイカの1種で、世界最大級の無脊椎動物の1つ)の生きている姿の撮影に成功する。 
2016年 - 北朝鮮の核実験 (2016年1月)。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が水素爆弾による核実験に成功と宣言する。
2018年 - 冒険家の荻田泰永が、日本人初の無補給、単独徒歩での南極点(地球の自転軸が地表と交わる南緯90度の点)到達を達成する。
2018年 - 東シナ海タンカー衝突事故。東シナ海の上海(中国大陸東部に位置する)沖で、ペルシャ湾から韓国へ向かっていたパナマ船籍の石油タンカー、『サーンチー号』が貨物船と衝突し、衝突後に炎上した『サーンチー号』は、その後約1週間に亘り、油を流出させながら南東方向へ炎上漂流を続けた後、沖縄の北東約300km地点で沈没する。
2018年 - キリスト教の教会(教派)の1つ、正教会の第一人者であるコンスタンディヌーポリ全地総主教ヴァルソロメオス1世が前日、ウクライナ正教会のロシア正教会管轄からの独立を承認するトモス(文書)に署名し、独立正教会となる。
2021年 - この日をもって、アメリカ合衆国次期大統領がジョー・バイデンに決定する。同日、少なくとも数千名のドナルド・トランプ支持者が、連邦議会へ向けて行進、その内の一部が連邦議会議事堂に乱入し、占拠する事件が発生する。この事件では、5名が死亡している。