1月7日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第1日曜日 旧暦 11月26日、赤口(庚午)、月齢 25.1  
グレゴリオ暦で年始から7日目、年末まであと359日。
誕生花 蝦夷スズシロ・スノードロップ・セリ・チューリップ(白)・ヒヤシンス(赤)。

人日の節句(七草の節句)、七日正月。
伝統的な年中行事を行なう季節の節目となる日には、朝廷において節会と呼ばれる宴会が開かれた。年間に亘って様々な節句が存在しており、その内の5つを江戸時代に幕府が公的な行事・祝日として定めた。それが、人日の節句、上巳の節句、端午の節句、七夕の節句、重陽の節句の五節句である。人日の節句は、その五節句の1つで、1年で最初のものとなり、重要な節日と考えられ、七日正月とも呼ばれている。かつては、元日から七日正月までのいわゆる「松の内」が正月の祝いの期間とされ、翌日からは平日に戻るとされた。古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗の日、3日を猪の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、それぞれの日には、その動物を殺さないようにしていた。そして、7日目を人の日として、犯罪者に対する刑罰は行なわなかった。この日は、7種類の野菜を入れた羹(あつものと呼ぶ、スープ[肉、野菜や魚介類等を煮込んだ水分の多い欧風の料理]のような料理)を食べる習慣があり、これが日本に伝わって七草粥(七種粥)となった。日本では平安時代から始められ、江戸時代より一般に定着した。人日の節句を含む五節句が、江戸幕府の公式行事となり、将軍以下、全ての武士が七種粥を食べて人日の節句を祝った。セリ、ナズナ、ゴギョウ(ハハコグサ)、ハコベラ、ホトケノザ(オオバコ)、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)が春の七草とされる。なお、元日から8日目に穀を占う風習があり、その日が晴天ならば吉、雨天ならば凶の兆しである、ともされる。節句には、季節の節目に五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄等を祈って、神に供え物をしたり、邪気を祓ったりする習慣がある。人日の節句は五節句の1番目の節句で、厳密には陰暦の1月7日となる。五節句は、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日のように、奇数の月と重なる日を節句として祝うが、1月1日は元日のため別格扱いにして、代わりに正月最後の日となる、1月7日の人日が五節句に入れられた。
七草粥(七種粥)。
七草粥(七草がゆ・七種粥)は、人日の節句(1月7日)の朝に食べられている行事食(料理)である。春の七草や餅等を具材とする塩味の粥で、その1年の無病息災を願って食べられる。祝膳や祝酒で弱った胃を休める為とも言われる。この行事は、平安時代には行なわれていたが、室町時代の汁物が原型ともされている。なお、七草は人日の節句の朝に、7種の野菜が入った粥を食べる風習そのもののことでもある。元々の「七草」は秋の七草を指し、小正月1月15日のものは「七種」と書く。この七種も「ななくさ」と読み、一般には7日正月のものを七草と書く等、現在では元々の意味が分からなくなり、風習だけが形式として残った。これらのことから、人日の風習と小正月の風習が混ざり、1月7日に「七草粥」が食べられるようになったと考えられる。七草は、早春に逸早く芽吹くことから邪気を払うと言われた。そこで、無病息災を祈って七草粥を食べた訳である。古くはまな板の上で、草をトントン叩いて刻むその回数も決められていたとされる。セリには鉄分が多く含まれているので、増血作用が期待でき、ナズナには熱を下げる、尿の出をよくする等の作用があり、ハコベラにはたんぱく質が比較的多く含まれ、ミネラルその他の栄養に富んでいるため、民間では古くから薬草として親しまれており、さらにスズナとスズシロに含まれるジアスターゼ(アミラーゼとも称される消化酵素の1つ)が消化を促進する。七草は、言わば日本古来のハーブ(薬草や料理、香料、保存料として用いられた植物)であり、そのハーブを胃腸に負担が掛からない粥で食べる訳で、正月疲れが出始めた胃腸の回復には適した料理でもある。古代より日本では、年初に雪の間から芽を出した草を摘む「若菜摘み」という風習があり、これが七草の原点とされる。古代中国には、「人日」(人を殺さない日)である旧暦1月7日に、「七種菜羹」という7種類の野菜を入れた羹を食べて無病を祈る習慣があったとされ、今日行なわれている七草粥の風習は、中国の「七種菜羹」が日本において日本文化・日本の植生と習合することで生まれたものと考えられている。現在の7種は、1362(正平17)年頃に書かれた『河海抄(かかいしょう)』(公家・学者・歌人、四辻善成による、平安時代中期に成立した、女性作家・歌人の紫式部が作者というのが通説である日本の長編物語[小説]『源氏物語』の注釈書)の「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」が初見とされる(但し、歌の作者は不詳とされている)。これらは、水田雑草、或いは畑に出現するものばかりであり、今日における七種類の定義は、日本の米作文化が遠因となっている。江戸時代頃には武家や庶民にも定着し、幕府では公式行事として、将軍以下全ての武士が七種がゆを食べる儀礼を行なっていた。セリの別名はシロネグサ(白根草)で、湿地やあぜ道、休耕田等、土壌水分の多い場所や水辺の浅瀬に生育することもある湿地性植物である。高さは約30cm程度で、泥の中や表面を横に這うように地下茎を伸ばす。北半球一帯とオーストラリア大陸に広く分布する。東洋では、2,000年程前から食用に利用されているが、西洋では食べる習慣はない。独特の香りを持ち、日本では春先の若い茎や根をおひたしや七草粥とする。自生品が出回ることもあるが、最近では養液栽培(植物の生長に必要な養水分を、液肥として与える栽培方法)も盛んである。ナズナは、田畑や荒れ地、道端等、至るところに生える。ムギ栽培の伝来と共に日本に渡来した古い時期の帰化植物と考えられている。高さは約20cmから約40cmで、ぺんぺん草やシャミセングサという別名がよく知られている。「ぺんぺん」は三味線を弾く擬音語で、花の下に付いている果実の形が、三味線の撥(ばち)によく似ている。若苗を食用にし、かつては冬季の貴重な野菜であった。ハハコグサは春の七草の1つ、「御形(ごぎょう、おぎょう)」でもあり、茎葉の若いものを食用にする。高さは約10cmから約30cmで、中国からインドシナ、マレーシア、インドにまで分布する。日本では全国に見られるが、古い時代に朝鮮半島から伝わったものとも言われる。人里の道端等に普通に見られ、冬の水田にもよく出現する。かつては草餅に用いられていた草であった。しかし、「母と子を臼と杵で搗くのは縁起が良くない」として、平安時代頃から蓬(別名をモチグサともされるヨモギで、日本全国至る所に自生し、特有の香りがある)に代わったともされている。コハコベは春の七草の1つ、「コハコベ」でもあり、北アメリカやヨーロッパでは庭草として一般的な植物である。世界中に帰化植物として定着しており、日本では古い時期に伝来した帰化植物として扱われている。葉野菜として食用にされ、家畜として飼われているニワトリの餌となることもあるが、畑地では、他の穀物の成長を妨げる雑草として扱われる。コオニタビラコ(小鬼田平子)は、タビラコ(田平子)やホトケノザ(仏の座)ともいい、春の七草の1つとしても知られている。高さは約10cm程度で、湿地を好み、田や周囲の畦道等に多く生える。代表的な野菜(根菜類)の1つでもあるカブ(蕪)は、春の七草の1つとしても知られているスズナ(鈴菜、菘)の別名で、京野菜等、西日本で見られる中国伝来のアジア系と共に、東日本でヨーロッパ系(野沢菜等、関連する変種も含む)が在来種として確認され、シベリア経由と見られている。