1月4日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

石の日/ストーンズデー。
お地蔵様、狛犬、墓石等、この日に石でできたものに触れながら願いをかけると願いが叶う、という言い伝えがあることから、「石」を1月4日の「1」と「4」で、「い(1)し(4)」と語呂合わせした。石は、岩より小さく、砂よりも大きい、鉱物質の塊のことである。18世紀では、生命と物質の概念の区分けは現代人と異なっていて、鉱物も自然界の一連の生命の階梯の一番下に位置付けられていた。「分類学の父」と称される18世紀のスウェーデンの博物学者・生物学者・植物学者、カール・フォン・リンネは、その著書『自然の体系』の中で、「自然物は鉱物界、植物界、動物界の三界に区分される。鉱物は成長する。植物は成長し、生きる。動物は成長し、生き、感覚を持つ」と述べている。19世紀初頭に、「生物学(biology)」という語を、現代の意味で初めて使った人物の1人であるフランスの博物学者、ジャン=バティスト・ラマルクが、それとは異なった線引きを主張したことで、人々の概念の区分けに変化が生じた。ジャン=バティスト・ラマルクは、その著書『動物哲学』の中で、「動植物と鉱物の間には越えられない断絶がある」と強調し、彼独自の線引きの学問「生物学(biology)」を提案し、やがて、それが人々に受入れられ、定着したことで、概念枠が徐々に変化した。なお、1999(平成11)年に「国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法、平成11年8月13日法律第127号)」で、正式に日本の国歌として法制化された『君が代』の中にも、「さざれいしのいわおとなりて(さざれ石が大きな岩となって)」と、石が成長する様が描かれている。ギリシャ神話に登場する、頭髪は無数の毒蛇で、イノシシの歯、青銅の手、黄金の翼を持っている怪物、メドゥーサ(メデューサ)の神話では、人が恐怖で石になる。また、古代から、何らかの境界を表わすものとして石が置かれることがあった。イギリスのストーンヘンジ(イギリス南部にあるソールズベリーから北西に約13k離れた場所に位置する環状列石[ストーンサークル、石を環状に配置した古代の遺跡])等がその例として挙げられる。石は、古く人間の一生(人生)というタイムスケールの中では、意図的に壊そうとでもしない限り、大きな変化の起こらない、より長い時間を存在する(ともすれば、永久不変の)存在と考えられてきた。このため、石は永遠性の象徴として崇められ、民俗学上では、こういった思想が世代を超えて受継がれる原始宗教と結び付いていったとも考えられている。日本の神社には、通常の神とは別に石が祀られていることも多い。また、日本には、夜泣き石の伝説がある。各地にさまざまな夜泣き石が存在する。大別すると、泣き声がする、子どもの夜泣きが収まるとの伝説に分かれる。中でも、夜になると泣くという伝説が伝えられる、小夜の中山(現在の静岡県掛川市に位置する峠)にある夜泣き石が知られているが、日本各地に存在する夜泣き石の中には、小夜の中山のように、殺された者の霊が乗移って泣き声を上げると言われる他、石自体が怪音を出すと言われるものも多い。夜泣き石等、石が声を発したり人を化かしたという伝承は各地にある。古来から、日本人は石や岩を霊的なものとして崇拝しており、そうした霊的な存在は、妖怪にとって格好の住処であったとされることが、こうした伝承の背景と考えられている。陰陽石と言われる男女を表わす石もあり、殺生石は「妖怪の祟り」をもたらすとされる。栃木県那須郡那須町の那須湯本温泉付近にある溶岩、殺生石の付近一帯には、硫化水素、亜硫酸ガス等の有毒な火山ガスが絶えず噴出しており、「鳥獣がこれに近付けばその命を奪う、殺生の石」として古くから知られている。現在は観光名所となっており、観光客も多く訪れる。但し、ガスの排出量が多い場合は立入りが規制される。殺生石には、鳥羽上皇(第74代天皇、鳥羽天皇が譲位により皇位を後継者に譲った後の尊号)が寵愛した伝説の女性、玉藻前(白面金毛九尾の狐の化身)が正体を表わし、数万の軍勢によって殺害され、石となったという逸話がある。その後、1385(至徳2)年に曹洞宗(坐禅修行を主とする禅宗の一派)の僧、玄翁心昭によって打砕かれ、そのかけらが全国3ヶ所の高田と呼ばれる地に飛散したという。宝石には、伝説が付纏うことがあり、特に、ホープダイヤモンドの伝説は有名である。ホープダイヤモンドは、45.50カラットのブルー・ダイヤモンドで、紫外線を当てると、1分以上に亘って赤い燐光を発する。ダイヤモンドに紫外線を当てると発光するのは珍しくないが(ダイヤモンドの内、約3分の1は紫外線を当てると発光する)、赤く、しかも1分以上も光り続けるというのは極めて珍しく、現在のところ、その原理は解明されていない。いわゆる「持ち主を次々と破滅させながら、人手を転々としていく『呪いの宝石』」として有名であるが、その伝説からは大幅に脚色されつつある。現在では、ホープダイヤモンドはその周りに16個、鎖に45個のダイヤを嵌め込んだ白金製のペンダントの中央を飾っている。9世紀頃、インド南部のデカン高原にあるコーラルという町を流れる川で、農夫により発見されたホープダイヤモンドは、1668(寛文8)年にブルボン朝フランス王国第3代国王が購入した後、「世界中を旅した宝石」となった。現在は、アメリカを代表する科学、産業、技術、芸術、自然史の博物館群・教育研究機関複合体、スミソニアン博物館の1つである国立自然史博物館(アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.に所在する博物館)に所蔵されている。なお、11月14日の「11」と「14」で、「い(1)い(1)石(い[1]し[4、四])」の語呂合せと、石工職人が尊ぶ聖徳太子の命日である11月14日を「太子講」としていたことから、墓石で先祖を供養する文化、伝統を守ること、石組みで美しく趣のある庭を築くこと等、石を加工、配置する技術の巧みさをアピールする日をと、山梨県石材加工業協同組合が1992(平成4)年に制定した「いい石の日」は、11月14日とされている。石工は、人類文明の初期からある職業の1つとして知られる。自然石は、木材と並び、最古の建材の1つである。また、古くは、頑丈で長持ちはするものの、加工が難しく、コストの掛かる建材でもあった。そのため、城壁・宗教施設・護岸・道路・橋梁等、過去には重要とされた分野で石が使われてきた。石工は、そういった事業に係わり合う専門的な職業として、古くから確立されていた。日本では、比較的地震が多いという土地柄のためか、建築物の分野ではあまり普及しなかった。しかし、土木的分野では古くから使われてきた。城における堀の垣等には、殆ど例外なく石垣が使われてきたし、近世以降には、石造のアーチ橋も建造されてきた。現代では、土止めの壁や橋梁類は、コンクリートや鉄等によって作られることが大半であるが、外装として、薄い石板等を化粧板として貼付けることがある。そして、そういった自然石を使った化粧板等を製造するのも、現代の石工の仕事である。日本では、木材の入手が比較的容易であったため、家屋は木造が主であった。しかし、日本には、傾斜地が多いという地理的な特性があり、このような土地を農地や屋敷に用いるには、基礎として石垣を積む必要があった。3世紀中頃から7世紀頃までとされる古墳時代に、古墳(土を高く盛上げた墳丘を持つ墓)の墳丘表面を石で葺かれるようになると共に、石室の壁面は、石垣を積上げ、蓋石を乗せる構造が見られるようになる。同様の技術が豪族の居館でも見られ、濠と土塁で防御された豪族居館の土塁表面は、石葺きとなっている。663(天智天皇2)年、朝鮮半島の白村江(現在の韓国南西部にある錦江河口付近)で、倭国(現在の日本)、及び百済(古代の朝鮮半島南西部にあった国家)遺民の連合軍と、唐(中国の王朝)・新羅(古代の朝鮮半島南東部にあった国家)連合軍とが戦い、倭国側が敗北した白村江の戦いの後、唐や新羅の日本列島侵攻に備えて、亡命した百済人を用い、北九州から瀬戸内海沿岸各地、畿内(現在の奈良県の全域と、京都府の南部、大阪府の大部分、兵庫県の南東部に相当する地域)に古代山城が築かれた。これらは、版築(土を建材に用い、強く突固める方法)土塁の他に、部分的に石垣が用いられている。中世の城郭においては、2m程の小規模なものが見られ、近世の城石垣のように、防御を目的としたものではなく、主に曲輪敷地が崩れることを防ぐために用いられた、と考えられている。