1月1日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

日本初の点字新聞「あけぼの」創刊記念日。
1906(明治39)年1月1日、点字文化の創始者とも称される思想家・教育者・社会事業家、左近允孝之進(さこんじょう こうのしん)が、日本初の点字新聞『あけぼの』を創刊したことから、東京都新宿区高田馬場に所在し、鍼灸(身体に鍼[身体の特定の点を刺激するために、専用の鍼を生体に刺入、又は接触する治療法]や灸[中医学、漢方医学、経絡学の概念で、体内の異常に応じて体表の特定の部位に対応して現れるもので、指圧、鍼、灸で刺激を与えることにより、体調の調整、諸症状の緩和を図るもので、一般には「ツボ」とも呼ばれる経穴に対し、温熱刺激を与えることによって生理状態を変化させ、疾病を治癒すると考えられている、伝統的な代替医療、民間療法]を用いた刺激を与えることで、多様な疾病への治療的な介入や健康増進を目指す医療技術)医学系を中心に、点字・録音図書等を出版する社会福祉法人、桜雲会が制定。『あけぼの』の創刊号には、「視覚障害者が情報を得られるように」との左近允孝之進の思い等が掲載されている。『あけぼの』の精神は、現在の『点字毎日』に受継がれている。『点字毎日』は、大手新聞社の1つである毎日新聞社が発行する、新聞社が発行するものでは世界で唯一の、点字による週刊新聞(点字新聞)である。記事内容は、毎日新聞本紙からの記事を点字化したものではなく、『点字毎日』編集部が独自に取材・編集したものを中心としている。なお、左近允孝之進は、視覚障害がある児童・生徒を対象とする県立の特別支援学校(障害者等が「幼稚園、小学校、中学校、高等学校に準じた教育を受けること」と「学習上、又は生活上の困難を克服し自立が図られること」を目的とした学校)、兵庫県立視覚特別支援学校の前身、私立神戸訓盲院を設立し、日本初となる点字プリンターの開発等を手掛けた人物でもある。
鉄腕アトムの日。
1963(昭和38)年1月1日、フジテレビ系列でテレビ用アニメ第1作作品『鉄腕アトム』の放映が開始された。作者の手塚治虫は、漫画家・アニメーター・アニメ監督で、 医学博士でもある。第二次世界大戦後の日本において、ストーリー漫画の第一人者として、現代にまでに繋がる日本の漫画表現の基礎を作った。大阪府豊能郡豊中町(現在の大阪府豊中市)の生まれで、その後移った兵庫県宝塚市で約20年間を過ごし、兵庫県宝塚市名誉市民となっている。『鉄腕アトム』は、21世紀の未来を舞台に、原子力をエネルギー源として動き、人と同等の感情を持った少年ロボット、アトムが活躍する物語である。1951(昭和26)年4月から翌1952(昭和27)年3月まで、光文社発行の月刊少年漫画雑誌「少年」(1968[昭和43]年3月号をもって休刊となる)に連載された『アトム大使』の登場人物であったアトムを主人公として、1952(昭和27)年4月から1968(昭和43)年にかけて『鉄腕アトム』として「少年」に連載され、日本で初めての国産テレビアニメとしてアニメ化された。このアニメ第1作は、平均視聴率30%を超える人気を博し、その後、世界各地でも放映された。日本で最初の本格的な1話30分の連続TVアニメであり、日本初の国産ロボットアニメもである。因みに、放送当時には、通常は「TVアニメ」とは呼ばれず、「テレビまんが」と呼ばれていた。現在の日本のロボット工学者達には、幼少時代に『鉄腕アトム』に触れたことが、ロボット技術者を志すきっかけとなっている者も多く、現在の日本の高水準のロボット技術力には、この作品の貢献が大きいとも言える。『鉄腕アトム』は、日本のキャラクターとしては初めて、商品化権の概念を確立した。『鉄腕アトム』の関連商品は、日本のアニメキャラクターで初めて。著作物の複製物に付ける著作権者や著作物の発行年等に関する表示、著作権表示を付けたとされている。『鉄腕アトム』以前のキャラクター商品は、法律上の権利を無視して、諸権利を有しない者により権利者に無断で発売、又は流通される非合法商品、海賊版が当然であり、著作権者に許諾を求めることも、使用料を支払うことも殆どなかった。手塚治虫も、『鉄腕アトム』ではそれでいいように考えていたが、アメリカに本社を置くエンターテインメント会社、ウォルト・ディズニー・カンパニーと取引があった、キャラクター文具や各種文具の製造・販売を主な業務内容としていた文具会社、セイカノート(2009[平成21]年に文具メーカーのサンスター文具と統合されるて消滅)が、ウォルト・ディズニー・カンパニーの許諾業務のノウハウを手塚治虫に教えた。セイカノートの狙いは、商品化権の独占にあり、商品化権を取得していない同業他社を排除することにあったが、結果として著作権者に使用料が払われるようになり、赤字体質であった、手塚治虫が関係したアニメ専門プロダクションの虫プロダクションを救い、テレビアニメに商業性があることを示した。尤も、『鉄腕アトム』商品が市場に登場したのは、放映開始から約3ヶ月後である。放映開始が元日で、当初は半年で放映が終わる予定であった。つまり、約3ヶ月で『鉄腕アトム』の知名度を上げ、残りの約3ヶ月で商品を流通させる計画であったことになる。そのため、「制作費の不足を商品化権収入で補う」というよりは、「制作費の赤字を放映終了までにできるだけ減らす」という「守り」の発想ではないか、とする説もある。なお、放映開始時には、それまで10年以上の長期に亘って月刊誌で連載された漫画原作のストックがあった。しかし、1つのエピソードを月刊連載の数回分で完結させていた原作に対し、アニメでは概ね、原作の1つのエピソードを毎週放送の1回分で完結させたので、原作のストックは早期に使い尽くされてしまった。このため、既にアニメ化したエピソードをアレンジし直したり、別の手塚漫画作品等を元にした、オリジナルな鉄腕アトムのエピソードが多数を占めるようになった。テレビ用アニメ第1作作品『鉄腕アトム』の人気が絶頂であった時期、作者の手塚治虫は、「ぼくはアトムをぼく自身の最大の駄作の1つとみているし、あれは名声欲と、金儲けのために描いているのだ」という、自虐的な評価をエッセイで記している。手塚治虫としては、一雑誌連載作品に過ぎない「アトム」が、自らの代名詞のように扱われ、しかも、アニメ版はオリジナルのストーリーによって、原作から遊離している、という意識があった。『鉄腕アトム』はこれまでに3回、日本向けにアニメ化されている。アニメ化作品第2作は、日本テレビとその系列局にて、1980(昭和55)年10月1日から1981(昭和56)年12月23日まで、全52話で放映された。第1作の内容に不満を持っていた原作者の手塚治虫が、手塚プロダクション(漫画制作・管理のため、手塚治虫が設立した別会社で、虫プロダクション倒産以後、独自に手塚治虫作品を原作としたアニメ作品を制作するようになった)で新たに、鉄腕アトムの誕生から改めてリブート(シリーズにとって核となる要素とコンセプトを整理することで、あらゆる「不可欠でない要素」を取除くことを可能にし、シリーズをやり直す手法)するために制作したシリーズ作品である。アニメ化作品第3作は、フジテレビ系列にて、2003(平成15)年4月6日から2004(平成16)年3月28日まで、全50話で放映された。原作に於いて、鉄腕アトムの誕生日と設定されている2003(平成15)年4月7日を記念してのアニメ化で、作品のベースは、元来の鉄腕アトムとは違い、さまざまなエピソードを交えながら、ロボットと人間の共存から対立、そして、全面衝突と和睦への流れを、ハードかつシリアスに描く、大河ドラマ色の強い展開となった。 
肉汁水餃子の日。
東京都品川区西中延に本社を置く、肉汁水餃子専門店「肉汁水餃子 餃包(ギョウパオ)」を東京の六本木等に構える他、業務用餃子の餃包や点心の製造や卸、販売等を手掛ける企業、株式会社アールキューブが制定。肉汁溢れる水餃子の美味しさを、より多くの人に知ってもらい、その普及と認知度の向上が目的。日付は、中国では春節(旧正月)や祝いの席で供され、縁起の良い食べものとして知られる水餃子を食べて、1年を元気に過ごしてほしい、との思いから、元日の1月1日を記念日としたもの。餃子と言えば、日本では焼き餃子が主流ながら、ルーツの中国・台湾では、水餃子が一般的である。2012(平成24)年に店舗がオープンした当初は、焼き餃子がメインの店であった。しかし、その後も餃子のルーツである水餃子で勝負したい、との思いは消えず、水餃子の専門店となった。そして、徐々に水餃子のファンが増えていった。人気のメニューとして、水餃子の「餃包」の他に、「ひとくち揚げ餃子」や「餃子ソーセージ」等がある。また、株式会社アールキューブは、業務用の餃子も取扱っており、餃子屋の開業・繁盛プロデュースも行なっている。