1月1日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

年賀。
新年の挨拶を述べる為、親戚や知人、上司、近所の人々等を訪れる。現在では、主に年賀状で、その代りをするようになっている。因みに、「年賀」という言葉には、長寿を祝う年祝いの意と、1年の初めに行なう儀礼的な挨拶の意味とがあり、前者は単に「賀」や、或いは「算賀」ともいい、後者は「年始礼」「年礼」ともいう。 
年賀状。
新年に送られる、郵便葉書やカードを用いた挨拶状のことで、新年を祝う言葉をもって挨拶し、旧年中の厚誼の感謝と、新しい年に変わらぬ厚情を依願する気持ちを、また、親しい相手への場合等には、近況を添えることがある。奈良時代から、新年の年始回りという年始の挨拶をする行事があったとされ、平安時代には、貴族や公家にもその風習が広まって、挨拶が行なえないような、遠方等の人への年始回りに代わるものとして、文書による年始挨拶が行なわれるようになった。近世には、武家社会において文書による年始挨拶が一般化した他、非武家社会においても、口頭の代用として簡易書簡を用いることが、年始挨拶に限らず一般的になり、公的郵便手段である飛脚や使用人を使った私的手段により、年始挨拶の文書が運ばれるようになった。明治維新後の1871(明治3/明治4)年には郵便制度が確立したが、年賀状は書状で送るところが殆どで、数は決して多くはなかった。1873(明治6)年に郵便はがきを発行するようになると、年始の挨拶を簡潔に安価で書き送れるということで、葉書で年賀状を送る習慣が急速に広まっていった。しかし、1887(明治20)年頃になると、年賀状を出すことが国民の間に年末年始の行事の1つとして定着し、その結果、年末年始にかけて、郵便局には多くの人々が出した年賀状が集中し、郵便取扱量が何十倍にもなってしまった。郵便事業に携わる人の数は限られているため、膨大な年賀状のために郵便物全体の処理が遅れ、それが年賀状以外の郵便物にも影響し、通常より到着が遅れることがしばしば発生していた。しかも、年末は商売上の締めの時期にも当たり、郵便の遅延が経済的障害ともなりかねない状況となっていた。その対策として、1890(明治23)年に年始の集配度数を減らす対策が講じられた。それでも、さらに増え続ける年賀状に、その対応だけではとても追付いていけなかった。また、当時、郵便物は受付局と配達局で2つの消印が押されていた。そこで、受付局か配達局の「1月1日」の消印を押してもらうため、多くの人がそこを狙って年賀状を出すようになり、12月26日から12月28日辺りと、1月1日当日の郵便物が集中するようになった。1899(明治32)年にはその対策として、指定された郵便局での年賀郵便の特別取扱が始まった。年末の一定時期、具体的には、12月20日から12月30日迄の間に指定された郵便局に持込めば、「1月1日」の消印で元日以降に配達するという仕組みになっていた。翌1900(明治33)年には(必要に応じてではあるが)全国の郵便局で実施されるようになり、私製ハガキの使用も認められ、1905(明治38)年には、完全に全国の郵便局で実施されるようになった。なお、年賀状は本来、元日に書いて投函するのであるが、この特別取扱をきっかけに、年末に投函し、元日に配達するようになった。また、当時はある程度の枚数を束ねて札を付け、郵便局に持込むことが原則であったが、1907(明治40)年から、葉書の表に「年賀」であることを表記すれば、枚数に係わらず郵便ポストへの投函も可能となった。年々取扱量が増えていくと共に、私製葉書の取扱量も増えていったため、1935(昭和10)年に、私製葉書の貼付用として年賀切手の発行が始まった。しかし、時勢の悪化により、1938(昭和13)年に年賀切手の発行が中止され、1940(昭和15)年には特別取扱も中止となり、第二次世界大戦勃発以降は、さらに自粛の声が高まった。第二次世界大戦終戦後の1948(昭和23)年、特別取扱と年賀切手の発行が再開された。この年から、年賀切手の図柄が干支に因んだ郷土玩具のものになる。1949(昭和24)年、お年玉付郵便はがき(年賀はがき)が初めて発行され(官製はがきとしては初めての年賀はがき)、大きな話題を呼び大ヒットした。そして、これを機に、年賀状の取扱量は急激に伸びていった。1970年代になると、年賀はがきに絵や文字を印刷する年賀状印刷が盛んになり、1982(昭和57)年から寄付金付きの年賀はがきの裏面に、絵や賀詞が印刷されるようになった。21世紀になると、デジタルカメラで撮った写真入りの年賀状を、家庭のパソコンとプリンターで作成・印刷するスタイルがほぼ定着し、2005(平成17)年からは、光沢感があり、インクジェットプリンターの印刷に適したインクジェット写真用年賀はがきが発行されるようになった。2008(平成20)年には、政府が1990年代末から2000年代にかけて行なっている郵政三事業(郵便・簡易保険・郵便貯金)を民営化することを目的とした政策、郵政民営化を機に「カーボンオフセット年賀はがき」や「ディズニーキャラクター年賀はがき」等の新商品が出た。お年玉付郵便はがきの発行枚数は、2003(平成15)年用の44億5,936万枚がピークで、携帯電話やスマートフォン等の普及によって、年賀状を出さずに、電子メールやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)等で新年の挨拶を済ませる人も多くなってきている。年賀状は、葉書に書いて出すのが基本であるが、写真素材をそのまま電子メールとして送ったり、特定のwebページのURLを送るという方法で年賀状を出す方法もある。この方法は、電子化されたデータとの相性が良い上、より手軽に年賀状を送ることができるため利用が増えているが、一方で、1月1日0時を迎えた瞬間に、多くの人が大量の電子メールを送受信するため、通信網に輻輳(物が1ヶ所に集中し混雑する様態)が起き、サーバに多大な負荷を掛けるという一面もある。特に、携帯電話による年賀メールは、新年の挨拶通話である「おめでとうコール」と共に社会問題にもなり、近年では、携帯電話事業者が、大晦日から元日にかけての通信や通話に通信制限を設ける他、0時直後の年賀メールを自粛する呼掛け等の措置を講ずるようになった。なお、この規制は、携帯電話のネットワークに限られており、インターネットにまで及ぶことはない。
若水。
元日の早朝、井戸から水を汲んで神棚に供えること。また、その水のことも「若水」と称する。昔は、立春の日に宮中の主水司(水や氷の調達、及び粥の調理を司った役職)から天皇に奉じた水のことを指した。若水は邪気を除くと信じられ、神棚に供えた後、その水で年神(毎年正月に各家にやって来る来方神)への供物や家族の食事を作ったり、口を漱いだり茶を立てたりした。元日の朝早く、まだ人に会わない内に汲みに行き、もし人に会っても口をきかない仕来たりであった。若水を汲むのは年男の役目とされたり、その家の女性が汲んだりした。若水を汲む時には「黄金の水を汲みます」等、縁起の良い言葉を唱えた。 
若潮、若潮迎え。
元日の早朝、潮水を海から汲んで来て神に供える。西日本では若潮迎え等と呼ばれ、お潮斎(しおい)と称して、潮水や砂で家を清める仕来たりがあったが、これが井戸の水を汲む若水と、同じ流れを汲む儀礼と解することができる。因みに、魚釣り用語では、潮の周期の入替わりに当たり、比較的よく動く潮まわりで、このように潮が再び大きくなる状態を「潮が若返る」と言い、干満の差が殆どなく、全く動かない潮まわりである長潮の翌日を「若潮」と呼んでいる。