12月28日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1950年 - 日本輸出銀行が発足。日本輸出銀行は、1952年に日本輸出入銀行と改称された後、1999年には、海外経済協力基金と統合され、国際協力銀行となる。国際協力銀行は、日本で唯一の国際金融に特化した政策金融機関として、日本の対外経済政策・エネルギー安全保障政策を担う。外国政府、日本企業が関与・運営する海外インフラプロジェクト、日本企業が行なうM&A(企業の合併や買収)等の海外投資プロジェクト、日本に輸入されるエネルギー・天然資源開発プロジェクト、環境プロジェクト等に、主にプロジェクト・ファイナンス(特定の事業から得られる物や収益のみを返済原資に当てる資金調達方法)を活用して融資を行なっている。 
1963年 - 国鉄(日本国有鉄道、現在のJRグループ)通勤型電車の主力となった、国鉄103系電車がデビュー。国鉄103系電車は、国鉄が設計・製造した直流通勤形電車であり、当時の国鉄の財政・設備・保守等の各事情を考慮の上で、経済性を最重視して設計され、1984年までに3,447両が製造される。JRグループ発足時に、北海道旅客鉄道(JR北海道)と四国旅客鉄道(JR四国)を除く各旅客鉄道会社に引継がれたが、老朽化による新型車両への置換えによって廃車が進行し、東海旅客鉄道(JR東海)では2001年、東日本旅客鉄道(JR東日本)では2009年に形式消滅となる。西日本旅客鉄道(JR西日本)と九州旅客鉄道(JR九州)では、現在も使用を継続している。103系電車は、関西圏では比較的多く活躍しているが、西日本旅客鉄道(JR西日本)大阪環状線・桜島線での運用については、車両の老朽化が進んだことや、将来のホームドアの設置をスムーズに図る(扉数の統一)のため、2016年からは、3ドアの通勤形電車、西日本旅客鉄道(JR西日本)323系電車に順次置換えられており、朱色1号(国鉄が定めた色名称の1つで、一般的には「オレンジバーミリオン」とも呼ばれる)の車体色で親しまれた103系電車の大阪環状線での運行は、形式名に因んだ2017年10月3日をもって、約48年間に及ぶ運行を終了している。103系電車は長期間に亘り大量に製造されたことから、特に試作後20年を経過した1980年代後半より、アコモデーション(接客のための設備)面での見劣り、1973年のオイルショック(原油の供給逼迫、及び原油価格高騰と、それによる世界の経済混乱)以後の省エネ施策の未対応、スピードアップ要求に対応できないことの他、乗り心地面等、様々な面が指摘されるようになる。103系電車と同時期に設計された国鉄車両も同様な問題点があったが、103系電車は最終増備車が1984年製であることから、21世紀に入っても大量に残っている。初期に製造された車両を少量数しか承継せず、比較的早い時期に近郊形電車で置換えが可能であった東海旅客鉄道(JR東海)は別にして、103系電車と同時期に製造され続け、103系電車同様に陳腐化した113系電車(主に、本州内の平坦で温暖な地域の路線で、広く普通列車から快速列車に用いられた)や115系電車(寒冷・急勾配路線用に113系電車と並行製造された)を大量に抱える東日本旅客鉄道(JR東日本)や西日本旅客鉄道(JR西日本)では、置換えのペースが遅く、最新の車種との格差が広がる結果となっている。
1965年 - 国鉄(日本国有鉄道、現在のJRグループ)が、全車指定席の新幹線・在来線特急の1・2等車に対し、立席特急券の発売を開始。
1972年 - 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で前日に制定された新憲法に基づき、金日成が新設の国家主席に就任。 
1973年 - アメリカで「絶滅の危機に瀕する種の保存に関する法律」が施行される。 
1974年 - 失業・雇用継続等に関する保険の制度を定めた「雇用保険法(昭和49年12月28日法律第116号)」が公布される。 
1986年 - 山陰線余部鉄橋列車転落事故。お座敷列車(和風客車)「みやび」の回送列車(ディーゼル機関車DD51 1187と14系客車7両)が、山陰本線鎧駅 - 餘部駅間にある余部橋梁(兵庫県城崎郡香住町[現:兵庫県美方郡香美町香住区]に所在)を時速約50kmで走行中、日本海からの強風に煽られて、客車が全て鉄橋から転落(機関車は客車より非常に重いため橋梁上に残る)。転落した客車は真下にあった食品加工場(蟹加工工場)と民家を直撃し、工場の従業員5名と列車の車掌1名が死亡、車内販売員3名と工場の従業員3名が重軽傷を負う。転落した客車「みやび」は大破し、7両全てが廃車となる。日本国有鉄道(国鉄、現在のJRグループ)としては最後の大規模事故となる。余部橋梁からの列車の転落は、1912年の橋の完成以来初めての惨事となる。全長310.59m、高さ41.45mで、11基の橋脚、23連の橋桁を持つ鋼製トレッスル橋(末広がりに組まれた橋脚垂直要素[縦材]を多数短スパンで使用して橋桁を支持する形式の橋梁)である余部橋梁の、その独特な構造と鮮やかな朱色がもたらす風景は、鉄道ファンのみならず、山陰地方を訪れる観光客にも人気があったが、その一方、直近の地元住民が、多くの落下物や騒音に悩まされてきたことや、長期間耐用に伴なう老朽化から、鋼製の旧余部橋梁は、2010年7月16日に営業運行を終了する。山陰本線鎧駅 - 餘部駅間は翌7月17日から区間運休し、旧橋梁の解体撤去作業が開始され、新旧切替工事が8月11日まで行なわれ、2010年8月12日から、新橋梁の供用が始まっている。2007年3月から建設工事が開始されていた2代目の現余部橋梁は、主塔と斜材により主桁を支える外ケーブル構造による橋梁形式で、予め応力を加えたコンクリート材、即ち、プレストレスト・コンクリート(PC)を使用した、エクストラドーズドPC橋で、架設位置は旧橋梁よりも約7m南側(内陸側)となり、これに伴なって、餘部駅のホーム位置は、従来線路の南側にあったものが、北側に変更されている。 
1989年 - ニューカッスル地震。オーストラリア南部、ニューサウスウェールズ州ニューカッスルで、マグニチュード(M)5.6の地震が発生。13名が死亡、160名以上が負傷し、約300の建物が倒壊する。オーストラリア史上、最悪の自然災害の1つとなる。 
1994年 - 三陸はるか沖地震。青森県八戸市東方沖約180kmを震源として、マグニチュード(M)7.6の海溝型地震が発生。最大震度は震度6(烈震)。死者3名、負傷者784名、家屋全壊72棟、半壊429棟、一部損壊9,021棟等の被害が出た他、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線(現在の青い森鉄道青い森鉄道線)の青森県上北郡内の区間で、線路の路床が崩落する。 
1994年 - 自衛隊ルワンダ難民(アフリカ中央部にあるルワンダの内戦により、周辺国で大量に発生した難民)救援派遣が終了。 
1995年 - 前日の新進党(細川護煕政権の中核を担った新生党、公明党、民社党、日本新党等が合同して結成された政党で、1997年に解散)党首選挙で、羽田孜を破った小沢一郎が、新進党第2代党首に就任する。
2009年 - 大手総合出版社の小学館より発行されていた月刊少女漫画雑誌『ChuChu』と、月刊学年別学習雑誌『小学六年生』が休刊。
2012年 - メジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)タンパベイ・レイズに所属していた松井秀喜が、現役引退を表明する。 
2015年 - 日本の岸田文雄外相と韓国の尹炳世外相が、日本軍慰安婦問題で「最終的かつ不可逆的に解決」として合意。 
2016年 - 茨城県北部を震源とする、マグニチュード(M)6.3の地震が発生。茨城県高萩市で震度6弱(烈震)、茨城県日立市で震度5強(強震)等の強い揺れを観測したこの地震により、山形新幹線が線路の点検のため、上下線3本が途中で約3時間運転を見合わせる事態となった他、高萩市内の寺では、本堂に置かれていた位牌約700基の内、約500基が倒れる被害等も出たが、幸い、この地震での死傷者は出ていない。
2020年 - 同年10月16日に公開された、長編アニメ映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の興行収入が324億円を突破。2001年公開の長編アニメ映画『千と千尋の神隠し』の約316億円を更新し、歴代1位の興行収入を記録する。