12月28日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1065年 - 現在のイギリスの首都ロンドン中心部にあるウェストミンスターに、イギリス中世を代表する大規模なゴシック建築(最も洗練されたキリスト教建築の様式)であるウェストミンスター寺院が竣工し、聖別(儀礼的に清め、世俗的使用から区別すること)される。ウェストミンスター寺院は、戴冠式(国王が即位の後、公式に王冠を受け、王位への就任を宣明する儀式)等の王室行事が執り行なわれ、内部の壁と床には歴代の王や女王、政治家等が多数埋葬されている。墓地としては既に満杯状態で、新たに埋葬するスペースは最早なくなっている。また、イギリスの国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)が隣接している。1043年に、ウェセックス朝イングランド王国の国王として戴冠されたエドワード懺悔王(エドワード証聖王)が建設し、1066年以降、イギリス国王の戴冠式が行なわれている。1245年、プランタジネット朝イングランド王国国王ヘンリー3世により、フランスの建築家を招き、フランスのゴシック建築(12世紀後半から花開いたフランスを発祥とする建築様式で、巨大な姿で天空に向かって屹立し、見るものを圧倒する壮麗な大聖堂に代表される)に倣って改装を始め、14世紀末までに概ね完成するが、墓所の増築や西側正面部分、塔等、20世紀に至るまで長期間に亘り、時代によってさまざまな様式で増改築されている。 
1321年 - 第96代天皇、後醍醐天皇が、後宇多法皇(第91代天皇、後宇多天皇が譲位・出家して、引続き政務に当たっていた時[院政]の称号)の院政を廃して親政(天皇自身が政治を行なう制度)を敷く。後醍醐天皇は、鎌倉幕府を倒して建武の新政(公家と武家の統一の上に立つ天皇親政[天皇が自ら行なう政治]を理想としたが、実際には公家を重く用い、恩賞も公家の方が多い等、新政府の方針は公家中心になり勝ちとなり、武家の要求を満すことができなかった)を実施したものの、間もなく武家の有力者で、鎌倉幕府倒幕の功労者の1人でもあった足利尊氏の離反に遭ったため、大和吉野(現在の奈良県中部、吉野郡吉野町に所在)へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立している。 
1768年 - 東南アジアに位置する、インドシナ半島中央部とマレー半島北半を占める国、タイの王朝、トンブリー朝初代国王タークシンが戴冠。 
1832年 - アメリカ合衆国副大統領ジョン・カルフーンが上院議員に転出するため、史上初めて副大統領を辞任。 
1836年 - スペインがメキシコの独立を承認する。
1846年 - アイオワ準州が州に昇格し、アメリカ合衆国29番目の州、アイオワ州となる。 
1857年 - アロー戦争: 広州の戦いが始まる。 
1885年 - イギリス領インド帝国(1858年にイギリスがインドに成立させたインド帝国で、1877年以降は、イギリスの君主がインド皇帝を兼ねる同君連合の形式が取られたが、事実上イギリスの植民地であった)で、インド国民会議(INC)が結成される。インド国民会議(INC)はインドの政党で、日本語では慣例的に国民会議派、或いはコングレス党とも称される。世界では、中国共産党に次いで規模が大きい政治団体であり、民主主義国家の中では世界最大となる。中道左派(穏健な左派)で民主社会主義を掲げる場合もあるが、同時に保守、及びポピュリズム(大衆主義)の傾向もあり、インドの財界・財閥との関係も強い。
1888年 - 東京府高等女学校が設置される。1900年、東京府立第一高等女学校(府立一女)と改称され、第二次世界大戦前から、名門の高等女学校(女子に対して中等教育を行なっていた教育機関)としてその名を全国に馳せ、東京府(現在の東京都の前身)全域から才媛が通学する。第二次世界大戦後は、1950年に東京都立白鴎高等学校と改称し、男女共学制の高等学校となり、2005年には、都立高としては初めて、附属中学校が併設されている。
1895年 - フランスの写真機材技術者、リュミエール兄弟がフランスの首都パリで、世界初の映画とされる「シネマトグラフ・リュミエール」を初めて商業公開。 
1908年 - 1908年メッシーナ地震。イタリア南部、イタリア半島の西南の地中海に位置する、シチリア島とイタリア半島南部にあるカラブリアとの間のメッシーナ海峡を震源域として、モーメントマグニチュード(Mw)7.1の地震が発生。地震の揺れが非常に大きいものであったばかりでなく、津波が発生したことで、被害が大きなものとなる。震源域となったメッシーナ海峡に面したシチリア島の大都市メッシーナと、イタリア本土側のレッジョ・ディ・カラブリアは、壊滅的な被害を受ける。犠牲者の数には諸説あり、約8万2,000名とも、10万名以上とも推定されている。近代ヨーロッパにおいて、最悪の犠牲者を出した地震となる。 
1912年 - アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州サンフランシスコ市の公営公共交通機関、サンフランシスコ市営鉄道(Muni)が発足。一部区間地下鉄となる路面電車(ミュニ・メトロ)が6系統、PCCカー等のレトロカーを走らせる路面電車(Fライン)が1系統、世界的に有名なケーブルカーが3系統、路線バス・トロリーバスが55系統運行されている。バスと路面電車(ミュニ・メトロ)の全ての路線では、車椅子の乗降が可能である。また、ほぼ全てのバスの前面には、自転車用のラックが取付けられていて、利用者はそこに自転車を預けることが可能である。現役、かつ世界最古の手動運転の循環式ケーブルカーであり、公共交通網の一部を構成しているケーブルカーは、サンフランシスコの象徴的存在ともなっている。一定数の通勤客も利用するが、その運行範囲の狭さと運賃の高さから、どちらかというと観光名所的な存在と言える。路線は、アルカトラズ島(昔は灯台、軍事要塞、軍事監獄、そして、1963年まで連邦刑務所として使用され、ザ・ロック、監獄島とも呼ばれている)やフィッシャーマンズワーフ(ウォーターフロント北部に所在する観光地で、「漁師の波止場」の名の通り、この周辺は19世紀半ばのゴールドラッシュ[新しく金が発見された地へ、金脈を探し当てて一攫千金を狙う採掘者が殺到すること]でサンフランシスコが大きな町になった時期以来の漁港で、様々な色に塗られた漁船が多数停泊し、獲れたばかりの魚やエビ・カニ類を水揚げする場所であった)等、市内の主な観光名所に囲まれている。 
1916年 - 北陸地方北東部に位置する、日本海では最大の外洋性内湾、富山湾で、翌12月29日にかけて高波(強風が原因で起きる、災害を引起こす可能性がある高い波)が発生し、線路が海岸線に沿って東西に走る、新潟県糸魚川市にある北陸本線の市振駅と親不知駅との間の路盤が破壊される、等の損害が出る。
1925年 - 東京大角力協会が財団法人に改組し、大日本相撲協会(現在の相撲興行団体、公益財団法人日本相撲協会の前身)が設立される。 
1941年 - レニングラード包囲戦(ソビエト連邦軍とナチス・ドイツ[国家社会主義ドイツ労働者党支配下のドイツ国]軍とがソビエト連邦第2の都市レニングラード[現在のロシア西部にあるサンクトペテルブルク]で繰広げた市街戦)の渦中、ターニャ・サヴィチェワという少女が残した『ターニャの日記』の最初のページが書かれる。 
1945年 - 「宗教団体法(昭和14年4月8日法律第77号)」を廃止し、「宗教法人令(昭和20年12月28日勅令第719号」を公布・施行。「宗教法人令」は、当初から平和条約の発効により廃止されるものとされており、それに代わるものとして、1951年に「宗教法人法(昭和26年4月3日法律第126号)」が公布され、即日施行される。