12月27日 できごと その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1932年 - アメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州ニューヨーク市にあるマンハッタン区の複合施設、ロックフェラー・センターに、世界最大のホール(5,933席収容)『ラジオシティ・ミュージックホール』が開場。1933年1月には映画館にもなり、1933年から続くクリスマスショー、「ラジオシティ・クリスマス・スペクタキュラー」も、ニューヨーク伝統のクリスマスイベントに成長する。『ラジオシティ・ミュージックホール』では、毎年6月のトニー賞(アメリカ合衆国の演劇界で、最も権威ある賞と見做される、演劇、及びミュージカルに関する賞)の授賞式や、毎年4月のNFLドラフト(アメリカ合衆国で最上位に位置するプロアメリカンフットボールリーグ、ナショナル・フットボール・リーグ[NFL]で行なわれているドラフト会議[新人選手を各チームに振分けるために行なう会議])が開催される。日本では、1914年に初の公演を行なって以来、今日も人気を集める、未婚の女性だけで構成された歌劇団、宝塚歌劇団が、『ラジオシティ・ミュージックホール』で公演したことがある。 
1933年 - 神中鉄道(現在の相模鉄道の前身の1つ)の横浜駅が開業する。1926年、二俣川駅 - 厚木駅間を開業させた神中鉄道は、1928年に現在の位置に移転した、国有鉄道(後の日本国有鉄道[国鉄]、現在の東日本旅客鉄道[JR東日本])横浜駅と接続するため、厚木駅からの路線を細切れに延伸し、1933年になってようやく、横浜駅の設置に漕ぎ着ける。1943年、経営合理化のため、現在の東日本旅客鉄道(JR東日本)相模線である茅ケ崎駅 - 橋本駅間を開業した相模鉄道が、神中鉄道を吸収合併する。翌1944年、元の相模鉄道の路線であった茅ケ崎駅 - 橋本駅間が国有化され、元の神中鉄道であった区間が、相模鉄道の路線として留まることとなる。
1936年 - 伊豆半島東南沖の太平洋(フィリピン海)を南へ連なる諸島、伊豆諸島の新島付近を震源とする地震が発生。死者3名、負傷者50名、家屋全壊20戸、半壊350戸、破損350戸等の被害となる。
1937年 - 満州重工業開発が設立される。満州重工業開発は、満州国(現在の中国東北部に存在した国家)の特殊法人で、満州国内の鉱工業を一元的に統制することを目的に設立された持株会社である。1945年、満州国の崩壊と共に事業を停止する。 
1939年 - 西アジアに位置するアナトリア半島(小アジア)と、東ヨーロッパに位置するバルカン半島東南端の東トラキア地方を領有する、トルコのエルズィンジャン県(アナトリア半島[小アジア]の東部にある)で、マグニチュード(M)7.8の地震が発生。死者約33,000名。
1945年 - 国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(世界銀行[IBRD])を設立するための「連合国通貨金融会議最終議定書(ブレトン・ウッズ協定)」が発効する。ブレトンウッズ協定は、1944年にアメリカ合衆国北東部、ニューハンプシャー州ブレトンウッズで開かれた連合国44ヶ国による通貨金融会議で結ばれた協定であり、通貨価値の安定を図るために、金1オンス(約28.35g)を35米ドルと定め、世界の基軸通貨とした米ドルに対して、他国通貨を固定相場で連結する。このブレトン・ウッズ体制下で西側諸国は、史上類を見ない高度成長を実現。特に、日本は1950年代から1970年代初めにかけて高度経済成長を実現し、「東洋の奇跡」と呼ばれる。 
1945年 - 隣国のオランダ、ルクセンブルクと合わせてベネルクスと呼ばれる、西ヨーロッパに位置するベルギーが国際連合に加盟。 
1946年 - 第1次吉田内閣が、石炭・鉄鋼を中心に増産する傾斜生産方式(第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部[GHQ]による占領行政下にあった日本における経済復興のために実行された経済政策で、工業復興のための基礎的素材である石炭と鉄鋼の増産に向かって、全ての経済政策を集中的に「傾斜」するという意味から名付けられたとされる)の採用を決定する。 
1949年 - オランダが、東南アジア南部に位置するインドネシアの主権を放棄し、インドネシアの独立を承認する。日本が第二次世界大戦で連合国に降伏した後、旧オランダ領東インドで、独立を宣言したインドネシア共和国と、これを認めず、再植民地化に乗出したオランダとの間で発生した戦争、インドネシア独立戦争は、約4年5ヶ月続き、最終的に、共産化を警戒するアメリカ合衆国の圧力によって、オランダは独立を認めざるを得なくなる。インドネシアは、オランダ統治時代の資産を継承し、これによって国際法上、正式に独立が承認されたが、この資産には、60億ギルダー(15世紀から2002年まで使われていた、オランダの通貨単位)という膨大な対外債務(その内、オランダ向け債務20億ギルダーについては、オランダが債務免除に同意した)も含まれており、財政的な苦境に立たされる。その解決のため、取決めを一方的に破棄し、外国資産の強制収容を行なう等の強攻策を採り、さらには、国際連合から脱退する等、国際的な孤立を深めていくこととなる。インドネシアの植民地時代(オランダ領東インド時代)から民族主義運動、独立運動において、大きな足跡を残した政治家、スカルノは、独立宣言後、インドネシアの初代大統領となり、雄弁な演説とカリスマ性によって、大衆の民族意識を鼓舞したが、1965年の軍事クーデター、9月30日事件で失脚し、陸軍軍人・政治家のスハルトへ権力が委譲される。スハルトは、スカルノと同様に、或いは、それ以上に独裁的な権力を行使して国家建設を進め、以後約30年に及ぶ長期政権を担っている。   
1956年 - 日本放送協会(NHK)と日本テレビに、カラーテレビの実験放送許可が下りる。 
1958年 - 「国民健康保険法(国保法[新法]、昭和33年12月27日法律第192号)」が公布される。当初は、1938年に「国民健康保険法(国保法[旧法]、昭和13年4月1日法律第60号)」として制定され、「健康保険法(大正11年4月22日法律第70号)」によって対象から外されていた農民層の救済を目的としていたが、「国民健康保険法(国保法[新法])」は、岸信介首相によって国民皆保険制度(全ての国民を何らかの医療保険に加入させる制度)として全部改正され、1959年1月に施行される。
1958年 - 鹿児島県大島郡瀬戸内町で大火。町役場や警察署、郵便局、水産試験場等、1,547戸が全焼し、住民約100名が負傷する。
1959年 - 東京都文京区にある文京公会堂(1960年度には年間稼働率約96%を記録し、日本一忙しいホールとして知られていたが、1977年に閉場する)で第1回日本レコード大賞が開催される。日本レコード大賞は、日本で最も有名な音楽に関する賞である。放送上の番組名は『輝く!日本レコード大賞』。民放では数少ないテレビ・ラジオの同時放送番組でもある。 
1960年 - 第2次池田内閣が、所得倍増計画を閣議決定。所得倍増計画は、池田内閣の下で策定された長期経済計画である。閣議決定された際の名称は国民所得倍増計画という。この計画では、翌1961年からの10年間に名目国民所得(国民総生産)を約26兆円に倍増させることを目標に掲げたが、その後日本経済は計画以上の成長に至る。 
1966年 - 衆議院解散(黒い霧解散)。1966年後半、自由民主党(自民党)を中心に相次いで不祥事が発覚する。一連の事件で自由民主党(自民党)への国民の信頼は失墜し、永田町を「黒い霧」が覆っていると批判されるようになる。低下した求心力を回復するために衆議院が解散され、逆境下の選挙戦となった第31回総選挙は、翌1月29日に投票が行なわれたが、自由民主党(自民党)は善戦し、予想外の議席数微減に留まる。
1968年 - 都営地下鉄6号線(現在の三田線)巣鴨駅 - 志村駅(現在の高島平駅)間(路線距離10.4km) が開業。 
1968年 - マルセル盗難事件。京都市左京区の岡崎公園内にある京都国立近代美術館で11月9日から開催されていた「ロートレック展」の最終日に、フランスから借りて展示されていた油彩絵画の内の1つ『マルセル』(時価3,500万円相当)が盗まれる。後の1976年に発見され、貸出し元に返還される。