12月27日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1871年 - 「新紙幣ヲ発行スル件(明治4年12月27日太政官布告第678号)」により、明治通宝の発行開始が公示される。日本では、西洋式印刷術による初めての紙幣、明治通宝は、本位貨幣(正貨たる金貨や銀貨)との兌換が保障されていない法定紙幣、不換紙幣である。近代的紙幣の導入が必要となった明治新政府は、近代的印刷技術を獲得するため、北ドイツ連邦(後のドイツ帝国の母体)の主な紙幣製造会社の1つ、ドンドルフ・ナウマン社に新紙幣を発注する。明治通宝は1872年4月に発行されたが、1874年には国産化へ移行し、1881年には、「通貨発行権」を持つ政府が直接発行する紙幣、政府紙幣として発行された、改造紙幣に取って代わられている。
1885年 - 東京都台東区浅草にある東京都内最古の寺院、浅草寺(全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に収まっている)表参道の両側の「仲見世」を、近代的な煉瓦造の建物に建替える(現在の仲見世の発祥)。なお、寺院の門前町等で商品の中身を見せて(展示して)販売する商店街が仲見世(仲見世通り)と称されるものであり、浅草仲見世は、最もよく知られている仲見世(仲見世通り)、ということになる。
1895年 - 上野鉄道(現:上信電鉄)が設立される。1897年に開業し、同年中に高崎駅 - 下仁田駅間(路線距離33.7km)が全通する。現存する日本の地方民鉄(大手以外の民鉄)路線の中では、愛媛県松山市にある伊予鉄道に次いで、2番目に早く開業している。群馬県に路線(上信線)を有する鉄道会社、上信電鉄は、鉄道事業の他、旅客自動車運送事業(群馬県高崎市内を中心とする路線バスの運行)、貨物自動車運送事業(群馬県内、及び埼玉県内の郵便物の輸送)、広告宣伝業、不動産業も行なう。群馬県に相当する上野国からその名となった上野鉄道は、長野県境に近い下仁田から、群馬県甘楽郡南牧村と長野県南佐久郡佐久穂町の境にある余地峠を越えて、佐久鉄道(現在の、山梨県北杜市の小淵沢駅から長野県小諸市の小諸駅までを結ぶ東日本旅客鉄道[JR東日本]の鉄道路線、小海線の前身となる私鉄)の羽黒下駅(現在の長野県南佐久郡佐久穂町に所在)まで延伸する計画を立て、社名を上信電気鉄道に改称する。当該区間の工事と路線営業のための免許を取得したが、世界恐慌(世界的規模で起きる経済恐慌[景気循環の過程の内、好況局面で突如発生する深刻な景気後退]であり、ある国の恐慌が次々と他国へと波及し、世界的規模で広がる事象を指すが、戦間期[第一次世界大戦終結から第二次世界大戦勃発まで]に重要な位置を占めるものとして、通史的には1929年に始まった世界大恐慌のことである)により頓挫。中込(現在の長野県佐久市中込で、長野県東部[東信地方]の中心都市となっている)方面へのバス路線を開設しただけで(後に廃止)、鉄道の延伸は実現していない。昭和30年代始め頃には、元首相中曽根康弘(第71代・第72代・第73代首相で、最年長の首相経験者となり、昭和時代の歴代首相の中で最後の存命者となった他、歴代首相の中では、東久邇宮稔彦王[第43代首相、皇族でもあり、死去時102歳48日]に次ぐ長寿の首相経験者であり、現行憲法下で、首相就任を果たした人物としては最高齢となり、2018年5月27日には満100歳を迎えており、これも首相経験者としては東久邇宮稔彦王に続く2人目、現行憲法下で首相就任を果たした人物としては初となる)の実父、中曽根松五郎が社長を務めている。1924年の電化当初は、その工事に使用した電気部品の多くを、ドイツのシーメンス社(元々、電信、電車、電子機器の製造会社から発展し、現在では、情報通信、電力関連、交通、医療、防衛、生産設備、家電製品等の分野で製造、及びシステム・ソリューション[「専門の業者が、顧客の要望に応じて、ハードウエア・ソフトウエア・人員等を組合わせてシステムを構築し、これを提供する」ような行為]事業を幅広く手掛ける多国籍複合企業となっている)から輸入したことから、当時、日本国内ではあまり他に例がない、ドイツ製の電気機関車、また、電装品にドイツ製の部品を多用した電車が在籍している。なお、2008年10月20日から2012年9月9日まで、SF漫画作家として知られる松本零士の代表作の1つ、『銀河鉄道999』のキャラクター、「メーテル」と「鉄郎」をあしらったラッピング電車「銀河鉄道999号」が運行されている。さらに、上信電鉄は、群馬県内の郵便物輸送を1940年から受託している。高崎郵便局から県内各所の主要郵便局を経由して郵便物を輸送しており、本線系統や支線系統がある。また、埼玉県北部地域の一部でも郵便輸送を行なっている。 
1904年 - イギリスの劇作家・童話作家・ファンタジー作家、ジェームス・マシュー・バリーの戯曲『ピーター・パン』がイギリスの首都ロンドンで初演。 
1922年 - 神奈川県横須賀市にあった航空母艦(空母)建造の責任工廠、横須賀海軍工廠(幕末に建設された横須賀製鉄所を源流とする海軍工廠[艦船、航空機、各種兵器、弾薬等を開発・製造する海軍直営の軍需工場]で、現在は在日米軍の横須賀海軍施設[通称は横須賀基地]となっている)で、日本初の航空母艦(空母)『鳳翔』が竣工する。なお、当時の日本の最高技術を結集し建造され、戦艦として史上最大の排水量に史上最大の46cm主砲3基9門を備え、防御面でも重要区画(バイタルパート)では対46cm砲防御を施した、桁外れの戦艦、大和型戦艦の一番艦『大和』や、史上初めて41cm砲を搭載する戦艦として建造され、竣工時世界最大・最速を誇り、連合艦隊旗艦を最も長期に亘り勤め、日本海軍の象徴として長く国民に親しまれた、長門型戦艦の1番艦『長門』、天城型巡洋戦艦の2番艦として起工された未成艦を改造した航空母艦(空母)で、1941年12月8日(日本時間)、日本海軍が休日である日曜日(現地時間)を狙って、太平洋中央部の洋上に位置するアメリカ合衆国自治領、ハワイ準州(1959年8月21日、完全なアメリカ合衆国領としてハワイ州が成立し、今ではアメリカ合衆国50番目の州として認知されている)のオアフ島南部に所在する入り江の1つで、湾内にアメリカ海軍の軍事拠点(軍港)等が置かれている真珠湾を奇襲攻撃(空爆)し、約3年6ヶ月に及ぶ太平洋戦争(第二次世界大戦対米英戦)の火蓋が切って落とされた(真珠湾攻撃)際、攻撃部隊である第一航空艦隊の旗艦となった『赤城』等を建造した呉海軍工廠(広島県呉市に所在した海軍工廠[艦船、航空機、各種兵器、弾薬等を開発・製造する海軍直営の軍需工場]で、第二次世界大戦終戦により工廠は解散し、現在は、艦船建造に実績のある、旧日本鋼管と旧日立造船を源流とする造船会社、ジャパン マリンユナイテッド呉工場として、大型民間船舶の建造を行なっており、艦艇建造は行なっていない)と共に、多くの艦艇を建造した横須賀海軍工廠では、姉妹艦『長門』と共に帝国海軍の象徴として、長く日本国民から親しまれた長門型戦艦の2番艦『陸奥』、8基の高性能ボイラーを搭載し、日本海軍の艦艇で最大となる160,000馬力を発揮し、要求された34ktという高速を達成して、第二次世界大戦対米英戦で航空母艦(空母)機動部隊の主力として活躍した、翔鶴型航空母艦(空母)の1番艦『翔鶴』、大和型戦艦3番艦(110号艦)を、ミッドウェー海戦以降の戦局の変化に伴ない、戦艦から航空母艦(空母)に設計変更して建造された、第二次世界大戦中での最大の航空母艦(空母)『信濃』等が建造されている。また、1932年4月1日、航空機部門が海軍航空廠として独立している。後に、海軍航空技術廠とされた海軍航空廠は、日本海軍航空機に関する設計・実験、航空機、及び、その材料の研究・調査・審査を担当する機関であり、当時は海軍航空本部技術部長で、航空主兵を強力に推進すると同時に、未熟であった日本海軍航空機の発展に尽力した山本五十六(後に、第二次世界大戦対米英戦開戦時の連合艦隊司令長官となる)が設置している。 
1923年 - 虎ノ門事件。東京府東京市芝区(現在の東京都港区)にある虎ノ門外で、皇太子の摂政宮裕仁親王(後の第124代天皇、昭和天皇)が社会主義者の難波大助に狙撃される。摂政宮裕仁親王に怪我は無かったが、隣に座っていた侍従長が顔を負傷する。 
1924年 - 北海道小樽市にある国鉄(日本国有鉄道、現在の北海道旅客鉄道[JR北海道])手宮線手宮駅の構内岸壁で、荷役中の火薬10tが爆発し、死者と行方不明者合わせて94名、負傷者300余名を出し、構内施設や船舶、港湾が損壊する。手宮線は、北海道小樽市の南小樽駅から、同市内の手宮駅を結ぶ路線(貨物線)である。北海道で最初の鉄道開業区間の一部で、石炭や海産物の積出しで賑わったが、1985年に廃止となり、手宮駅も廃駅となる。