12月7日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2023年 令和5年 平成35年  
昭和98年 大正112年 明治156年 皇紀2683年 干支 癸卯(みずのと う)
第1木曜日 旧暦 10月25日、仏滅(己亥)、月齢 23.7  
グレゴリオ暦で年始から341日目、年末まであと24日。
誕生花 ヒイラギ(柊)・シクラメン・ラケナリア・アカメヤナギ・ウメモドキ・オレアリア。

二十四節気・雑節等  
大雪。
二十四節気の1つ、旧暦十一月節気。太陽黄経が255度のときで、雪が激しく降り始めるころ。書道や茶道に優れた教養人でもあった、常陸国宍戸藩第5代藩主松平頼救(晩年には太玄斎と号する)が、1787(天明7)年に著した暦の解説書『暦便覧』では、「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」と説明している。鰤等の冬の魚の漁が盛んになり、熊が冬眠に入り、南天の実が赤く色付くころともされる。北風が吹いて大雪が降る頃という意味で「大雪」となり、この日から日一日と寒さが厳しくなってくる。日本国内には、北海道に生息するヒグマ(亜種としてのエゾヒグマ)と、本州以南に生息するツキノワグマ(亜種としてのニホンツキノワグマ)の2種類の熊がいる。熊は一般に、密に生えた毛皮と短い尾、太くて短い四肢と大きな体、犬の約7倍ともされる優れた嗅覚をもつ。視覚や聴覚は特に優れてはいないが、嗅覚は発達している。主に山岳地帯や森林に生息し、足裏を接地して移動する(蹠行性)。熊の冬眠は、期間中の体温の降下度が約4℃から約6℃と小さいこと、外部からの刺激によって覚醒し易いことから、しばしば「冬ごもり」や「冬季の睡眠」と呼ばれてきた。しかし、冬眠中の生理学的状態が活動期とは全く異なる状態にあり、他の冬眠動物と同じく、「冬眠」と呼べる状態にあることが分かってきた。熊の冬眠の特徴は、冬眠期間中に中途覚醒しないこと、冬眠期間中の体温は約31℃から約35℃と、通常時(約37℃から約39℃)と比べて降下度が小さいこと、冬眠中に一切摂食・排糞・排尿を行なわないこと、妊娠したメスは冬眠期間中に分娩し、生まれた子に対し授乳を行なうこと、等である。冬眠中は中途覚醒せず、摂食しないため、冬眠期間中は秋に過食して、体内に貯めた脂肪がエネルギー源である。日本のツキノワグマは、秋にブナやミズナラ等のどんぐり類を大量に摂取して冬眠に備えるが、どんぐり類が不作の年には、えさを求めて人里に出てくることが多くなる。また、冬眠中一切排尿を行なわないことから、冬眠中は活動期と異なる、独特のたんぱく質再生機構をもっていると考えられる。人間は長期間動かずにいると骨が退縮するが、熊は冬眠期間中は全く活動しないにも係わらず、骨の体積は変化しない。なお、熊の体温降下度が小さいのは、他の冬眠動物に比べて体の容積が大きいことと関係がある。哺乳類の18目約4,070種の内、7目183種が冬眠することが知られている。このことから、冬眠は一部の哺乳類の特殊な適応ではなく、食料の少ない冬をやり過ごすための普遍的なシステムと捉えるべきである。ヒトの場合、体を強制的に冷却して、30℃以下に体温を下げると、体温調節機構が機能しなくなり、自力で正常体温へ復温できなくなる。体温が20℃以下に低下すると心臓が停止し、致命的な結果となる。しかし、冬眠する動物は、0℃近い低温で生命を維持し、冬眠終了時には、体に何の損傷も無く復温する。この違いの原因について、冬眠したシマリスの心筋細胞の研究から、冬眠時の特異な細胞活動が明らかになった。シマリスは、哺乳綱ネズミ目リス科シマリス属に分類されるリスの総称で、日本では、その中でも特に、アジアに分布し、亜種が日本国内にも生息するシベリアシマリスを指してシマリスと呼ぶ。体に縞があり、頬袋をもつ小型のリスである。シマリス属には24種から25種が属しており、アジアのシベリアシマリスを除き、全ての種が北アメリカに分布する。昼行性で、単独生活を営む。樹上性リスと地上性リス(ジリス)の中間のタイプで、樹上と地上の両方で生活する。木の上も地面の上も行動範囲で、樹洞や地下に巣を作る。巣穴の中では周囲に警戒する必要がないため、睡眠時間は、1日平均15時間になると言われている。冬になると、北アメリカ東部に生息するトウブシマリスは冬眠するが、北アメリカ西部のシマリスは冬眠せず、巣穴の中の蓄えに頼る。エゾシマリス(シベリアシマリスの亜種)は、1年の半分近くを地下の巣穴で冬眠して過ごす。
空寒く冬となる。
七十二候の1つ(61候)。 
 
クリスマスツリーの日。
1886(明治19)年12月7日、現在の神奈川県横浜市で、外国人船員の為に日本初のクリスマスツリーが飾られた、とされることに由来する。このクリスマスツリーは、横浜の外国人船員のためのものであった。クリスマスツリーは、クリスマスのために飾付けられた木である。クリスマスツリーの用材には、常緑の針葉樹の主に幼木が用いられる。ドイツを発祥として世界各国で歌われているクリスマス・キャロル(イエス・キリストの誕生と関係した内容の歌)の1曲『もみの木』からも窺われる通り、ヨーロッパでは、伝統的にヨーロッパモミが使われてきた。 現代では、入手が容易であることから広く使われるようになったドイツトウヒや、コーカサスモミ、ノーブルモミ等も用いられる。北アメリカでは、バルサムモミ、フラセリーモミ、グランディスモミ、ヨーロッパアカマツ、カナダトウヒ、コロラドトウヒ、アメリカトガサワラ等を用いることが多い。日本では、モミが主に使用され、他にトドマツやエゾマツ等も使われる。常緑樹が使われるのは、冬の間も緑を保つため、強い生命力の象徴とされたためである。中世の聖夜の降誕祭(クリスマス)の序幕において行なわれた、アダムとイヴ(エヴァ)の堕罪の舞台劇で使われる「知恵の樹(善悪の知識の樹)」として、冬に葉が落ちてしまうリンゴの木の代用に、常緑樹のモミの木が禁断の木の実を飾るために使用されたのが由来ともされる。クリスマスツリーは、イエス・キリストとはおよそ無関係である。原型は、北ヨーロッパに住んでいた古代ゲルマン民族の「ユール」という冬至の祭で使われていた樫の木である。冬でも葉を枯らさずにいる樫は生命の象徴とされていた。このドイツの民をキリスト教に改宗させる試みがなされたが、樹木信仰が根強かったので、樫を樅(モミ)に変えることでキリスト教化した。なお、日本初のクリスマスツリーに関しては、1860(万延元)年にプロイセン王国(現在のドイツ北部からポーランド西部にかけての地域を領土とした王国)の使節、フリードリヒ・アルブレヒト・ツー・オイレンブルクが公館に初めて飾った、という説もあり、1874(明治7)年には実業家の原胤昭により英学学校の築地大学校(現在の明治学院の源流の1つ)で行なわれたクリスマス・パーティーに、日本初のサンタクロースと共に登場している、ともされる。日本のクリスマス行事は、1928(昭和3)年の朝日新聞紙上で、「クリスマスは今や日本の年中行事となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに」と書かれる程定着していた。第二次世界大戦中は影を潜めるが、第二次世界大戦後すぐに復活し、1948(昭和23)年には、東京駅等のクリスマスツリーが、(当時は国営鉄道であったため)宗教活動ではないかと問題にされ、運輸省(現在の国土交通省の前身の1つ)が「季節的な装飾の1つで宗教活動ではない」と釈明するひと悶着もあった。現代の日本においては、季節的な装飾として定着している。