12月1日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1934年 - ロシア共産党中央委員会書記セルゲイ・キーロフが暗殺される。党内反対派に対して強硬主義を採るソビエト連邦の最高指導者ヨシフ・スターリンと、穏健派のセルゲイ・キーロフとの間では対立が生じており、ヨシフ・スターリンにとってセルゲイ・キーロフは、自身の権力基盤を揺るがしかねない存在となりつつあり、このキーロフ暗殺事件は、1937年以降、数百万名が犠牲となったヨシフ・スターリンによる大規模な政治弾圧、大粛清の契機となっている。 
1934年 - 国鉄(日本国有鉄道、現在のJRグループ)東海道本線の熱海駅 - 函南駅間にある複線規格のトンネル、丹那トンネル(総延長7,804m)が開通。これに伴ない、東海道本線のルートが変更され、元のルートは御殿場線として分離される。
1934年 - 国鉄(日本国有鉄道、現在のJRグループ)初の流線型蒸気機関車、C53形蒸気機関車43号機が運行開始。C53形蒸気機関車(愛称:「シゴサン」)は、東海道本線・山陽本線において特急・急行列車牽引用の主力として運用される。しかし、元々複雑極まる構造であった上、戦時の酷使や整備不良、さらには相次いだ戦災や事故による損傷が祟り、第二次世界大戦後すぐに運用を離れる車両が続出する。結局、国産の本線用大型蒸気機関車の中では最も早く、1948年から1950年に掛けて全て廃車となっている。 
1937年 - 大阪市営渡船の桜島発天保山行き「第三桜島丸」(11.5トン)が、悪天候と定員超過が重なり沈没。死者・行方不明者57名。
1941年 - 第二次世界大戦: 御前会議で、アメリカ側から日本側に提示された交渉文書、「合衆国及日本国間協定ノ基礎概略(ハル・ノート)」によるアメリカの要求は受入れられないとして、対米英開戦を決定。 
1943年 - 第二次世界大戦: 連合国の対日方針等が定められたカイロ宣言が発表される。 
1945年 - 陸軍省・海軍省を第一復員省・第二復員省に改組。後に第一復員省は、第二復員省と統合して、陸海軍の復員、及びこれに関連する事務を司った内閣総理大臣の管理に属する組織、復員庁となり、1948年1月1日には廃止され、復員業務は全て厚生省(現在の厚生労働省の前身の1つ)復員局に引継がれる。 
1949年 - 初のお年玉付郵便はがきが発売される。年賀はがきを郵便ポストに投函すると年末まで郵便局に留め置かれ、元日に配達される仕組みになっている。これを、年賀特別郵便の取扱いという。年賀はがき、また、年賀切手には、お年玉くじが付いており、毎年1月に抽選がある。当選した番号の付いたはがきを持っている場合は、郵便局に持参すれば、切手シートについては窓口で即日交付して貰える。1等や2等の賞品は後日郵送となる。 
1949年 - 京阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)に統合されていた京阪電気鉄道が分離再独立する。現在の阪急京都本線系統に当たる鉄道路線を建設した新京阪鉄道には、京阪電気鉄道系の会社として、淀川西岸における新路線の敷設を行なうために設立された、という経緯がある。第二次世界大戦対米英戦中の1943年には、交通事業者の乱立を背景とした、鉄道やバス会社の整理統合の政策的促進を図るための法律「陸上交通事業調整法(昭和13年4月2日法律第71号)」(当時の日本は、戦時体制下にあったため、国家の全ての人的・物的資源を政府が統制運用する、「国家総動員」による国家統制と見られ勝ちながら、平時立法であり、他の戦時立法のように廃止されることも無く、第二次世界大戦終戦を経た今も、現行法であり続けている)により、京阪電気鉄道と、現在の阪急電鉄各線の内、神宝線(京都線系統を除く路線)に当たる地域の路線を完成させた阪神急行電鉄が合併し、京阪神急行電鉄となる。第二次世界大戦後、京阪電気鉄道が京阪神急行電鉄から分離する際に行なわれた役員会において、旧京阪側は、合併前の京阪本線と新京阪鉄道の姿で返還して、新会社を発足させることを主張したのに対し、旧阪急側は、阪急各線に新京阪鉄道に所属した各線を加えた上で、分割に応じると主張する。役員の比率において少数であった旧京阪側は多数決で敗北し、止む無く、元新京阪鉄道の路線は、旧阪急側へ割譲されることとなり、京都本線・千里線・嵐山線となっている。なお、旧京阪側分離前の1945年からは、新京阪鉄道線電車の京阪神急行電鉄梅田駅乗入れが開始されており、これが、新京阪鉄道線系統の路線が、京阪神急行電鉄に残存する一要因になったのではないか、とも言われている。このような歴史的経緯から、阪急京都本線系統の各線は、車両技術・規格や施設面において、京阪神急行電鉄が自社建設した「軌道条例(明治23年8月23日法律第71号)」(1924年に、「軌道法[大正10年4月14日法律第76号]」の施行に伴なって統合廃止されている)由来の路線とは多く異なる面があり、そのため現在でも、京阪神急行電鉄自身が建設した神戸線・宝塚線系統の各路線を「神宝線」と総称し、京都本線系統の各線と区別することがある。  
1951年 - 福岡で、ラジオ九州(現在のRKB毎日放送の前身の1つ)が開局。民放としては九州初、全国4番目の放送開始となる。 
1953年 - 自動車用道路としては日本初の有料道路となる参宮有料道路が開通。参宮有料道路は、三重県松阪市と伊勢市を結ぶ、かつての一般有料道路で、現在は無料開放となり、三重県道37号鳥羽松阪線として供用されている。 
1953年 - ラジオ福島が開局。
1955年 - モンゴメリー・バス・ボイコット事件: アメリカ合衆国南部、アラバマ州モンゴメリーで、市営バスの白人優先席に座っていた黒人女性、ローザ・パークスが逮捕される。 
1955年 - 同年10月、佐世保と長崎を結ぶ国道202号に、日本初の有料道路橋として西海橋が完成。この日、12月1日に供用が開始される。潮の流れが速く、工事が困難な海峡での設計と、使われた鋼橋製作・架設技術が卓越していたことから、戦後日本の長大橋建設の原点・日本の橋梁技術発展の起点と言われる固定アーチ橋、西海橋は、全長316.26m、最大支間長243.7mで、日本の橋として初めて、支間長200mを超えた長大橋であり、針尾瀬戸のランドマークとなる機能美をも備え、橋自体が観光スポットとして広く知られている。当初は有料橋であったが、1970年に無料化されている。
1956年 - 中部日本放送(CBC)テレビジョン、大阪テレビ放送(OTV、現:朝日放送テレビジョン)開局。 
1958年 - アフリカ中央部にある中央アフリカ共和国が、フランス共同体内の自治共和国として成立。1960年に独立する。 
1958年 - 初の一万円札(一万円紙幣)が発行される。図柄は、聖徳太子(第31代天皇、用明天皇の第二皇子)。 
1958年 - 日本初のステンレス製電車、東京急行電鉄(東急)5200系運行開始。
1959年 - 南極地域の平和的利用を定めた「南極条約昭和36年(条約第5号)」を採択。日本での効力発生は、1961年6月23日となる。  
1964年 - アフリカ大陸南東部に位置するマラウィ・南ヨーロッパの地中海に位置するマルタ・アフリカ南部に位置するザンビアが国際連合に加盟。 
1969年 - 青森テレビ、秋田テレビ、テレビ岩手、三重テレビ放送が開局。 
1969年 - 住友銀行(現在の三井住友銀行の前身の1つ)が、日本初の現金自動支払機(CD)を設置。通常、紙幣(及び硬貨)、通帳、磁気カード・ICカードの受入口、支払口を備え、金融機関や貸金業者、現金出納を行なう業者の提供するサービスが、顧客自身の操作によって取引できる機械、現金自動預払機(ATM)は元々、都市銀行の店舗に設置され、普通預貯金の預け払いに用いられ出したが、今日、金融機関は元より、小売店や公共施設等に幅広く設置されている。金融機関では一般に、店舗に設置している場合は「自動機」、その他の小売店や公共施設等に設置している場合は「店舗外」と呼称することが多い。なお、現金の引出と残高照会のみを扱う機器は、現金自動支払機(CD)と呼ばれ、区別されている(但し、一般には、現金自動支払機[CD]も含め全て、ATMと呼称されることが多い)が、光ファイバー通信による処理能力の飛躍的な向上や、コンビニATM等の簡易型ATMの普及等により、CD機の台数は2000年代以降、減少している。日本では、機器利用者の本人認証のために、磁気情報が記録された専用のキャッシュカード、又は通帳と、通常4桁の暗証番号を用いる。コンビニATMは、店舗の営業に合わせて通例24時間稼動し、利用者の取引銀行等の定める時間内で、利便性の幅を拡げている。但し、平日18時以降と、一部の金融機関では、土曜14時以降については、時間外手数料が徴収される場合も多い。