ボルドー、ワインの歴史 その8  | ろくでなしチャンのブログ

ボルドー、ワインの歴史 その8 

            ボルドー、ワインの歴史 その8  

 

 

ちょっとまとめ

 

 フランスでは百年戦争終結によりイングランドに対するワイン輸出を1453年に禁止されました。1461年にフランス王ルイ11世が即位するとイングランドとの取引を禁止して、税収が減少したためボルドー特権を復活・拡大しワイン貿易振興策を取るものの、かってのイングランドの市場は復活しませんでした。

 

 反面15世紀から16世紀に掛けてボルドー・ワインは 再び活況を呈します。海運大国ネーデルランドの躍進です。イングランドに対するワイン輸出量は減ったものの、北欧やバルト海岸に対するワイン輸出が伸びたのです。バルト海沿岸の豊富なオーク材の輸入は樽材として重宝されたとされます。

 ワイン取引はヨッロッパ各国の戦争により大きな影響を受けます。イングランドとフランスの百年戦争終結によりフランス・ワインはイングランドに対する輸出禁止。イングランドはフランス・ワインに代わりスペインからワインを輸入しますが、1585年~1604年の英西戦争 (対スペイン戦争~1588年のアルマダの海戦を初めとするスペイン無敵艦隊との争い)により、スペインからの輸入が途絶え、ポルトガルからワインを輸入し始めます。

 

 イングランドは海外植民地の覇権を1652年~1674年までの英蘭戦争

により、ネーデルランドから奪います。1672年から1678年にはフランスはネーデルラント侵略戦争(フランスとネーデルランド・神聖ローマ帝国・スペインとの戦争)を行うもののネーデルランド併合に失敗します。  

 

 1679年、イングランド王ウィリアム3世は関係が悪化したフランスから一切の製品輸入を禁止します。しかし、1685年にはボルドー・ワインの輸入を認めますが1688年から1697年にはアウクスブルク同盟戦争(イングランド、オランダ、スペイン対フランスの戦争。)が始まってしまいます。

 アウクスブルク同盟戦争は1697年、レイスウェイク条約締結(実質イングランド側勝利)により終結し、貿易は再開されますが、ボルドー・ワインに対する関税率はスペインやボルトガルのワインの二倍以上とされます。

 この措置も1701年~1714年スペイン継承戦争(フランス対イングランド等)によりフランス・ワインは全面禁輸。

 このようにボルドー・ワインのイングランドに対する輸出は戦争の影響を大きく受けてきたようであり、一部の高級ワインを除き減少の一途を辿ります。

 

 

18世紀のボルドー・ワイン

 

 1709年、ヨーロッパを恐ろしい寒波が襲い、ボルドーの葡萄樹は大打撃を受けます。しかし、思わぬ「葡萄園獲得狂騒」や「葡萄植え付け狂騒」が起ります。

 この時代、ラトゥール、ラフィット、マルゴー、オー・ブリヨンなどがイングランドで好評を博しており、ついにルイ15世(在位1715年~1774年)の宮廷でも知られることとなったのです。このチャンスに法服貴族や豪商たちがメドックやクラーブに新たな葡萄園の取得や開発に取組み始め、メドック格付けシャトーの基礎が出来上がることとなります。

 

 また、18世紀後半には植民地貿易により、多くの富がボルドーにもたらされます。サント・ドミンゴ~現ハイチ共和国はフランスの植民地として有名であり(サン・テミリオンのシャトー・サン・ドマングがあるほど。)、砂糖と奴隷貿易の利益はボルドーに「大劇場」を造りだし、現在の美しい町並みは都市大改造によるものであり、フランス第1の港町ボルドーが出来上がります。
 ワイン貿易はドイツ及びバルト海沿岸国のワイン需要の増大により1730年から1800年までに、ボルドーのワイン輸出額を10倍にまで押し上げたとされます。

 

 17世紀以降の主だったシャトーを眺めてみると、

 

シャトー・ピッション・ロングヴィル・バロン

シャトー・ピッション・ラランド

シャトー・ローザン・ガシー

シャトー・ローザン・セグラ

 

 ピエール・ド・マジュール・ドゥ・ローザン。商人とも貿易商とも言われていますが、1679年~1693年までシャトー・ラトゥール管理人をしていたようです。彼は「ガシーと呼ばれる屋敷の週リの」葡萄畑24haを買収するとともに、他の葡萄畑や荒れ地を買い漁り、 1686年から1689年には、ポイヤック村とサンジュリアンの間にある小高い丘を中心とするサン・ランベールに40の砂利の多い区画を開拓し、葡萄を植樹したとされます。

 

シャトー・レオヴィル・ラス・カーズ

シャトー・レオヴィル・バルトン

シャトー・レオヴィル・ポワフェレ

 

 干拓者ジャン・ド・モワティエ(後にボルドーの財政部長にもなる。)が1638年に砂利の多い石ころ交じりの広い丘に広がる葡萄畑を買い取り、1709年の大寒波により再植。

 

シャトー・ベイシュベル

 ブラズィエ侯爵が1757年に取得し、葡萄の植え付けを行ったようです。

 

シャトー・ブラーヌ・カントナック

 弁護士ド・ゴルスが18世紀に取得。

 

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