前に書いた記事の続きです。
フォロワー同士でいいねRTし合う互助、互助会について思うことを書きました。
個人的には不自然でもなく、SNSでよくあることだと思ってます。
絵を描いている人(絵師)への批判を例に出してみます。
ネット検索すると「絵師 互助会 嫌い」「底辺絵師 互助会」などが検索候補に上がってきました。
絵師など創作者同士がX(Twitter)で互いにRTし合っていることに嫌悪感や拒絶を感じる人も多いようです。
そして批判したり馬鹿にしてる人も少なからずいるようです。
気持ちはわからなくないです。
互いにいいねRTし合って、正当な評価じゃないのに調子に乗ってる人がいたらそりゃ批判したくなるでしょうねw
私も互助に少し違和感を感じたり苦手意識を感じたこともあったので気持ちはわかります。
ただ、批判や馬鹿にする側の心理の方にも、そうしたくなる何かあるんじゃないかなと個人的に思います。
自分自身の心理も振り返ってみて、どんな心理がありそうか考察してみました。
いくつかパターンがあるので順番に書いていきます。
・嫉妬や羨ましい気持ちが裏にあるから
まず多いのは「嫉妬が実はあるから」です。
どこか羨ましい気持ちがあるということです。
互助会というとゴマすりのようなイメージもあるでしょうが、本人達はただ楽しく交流してるだけかもしれません。
それが本当は羨ましいのかもしれないです。
批判や拒絶をする人の中には、自分が同じジャンルの人達やXの交流に上手く馴染めなかった人もいるようです。
馴染めない自分を否定したくないから、底辺同士馴れ合ってるだけじゃんと嫌味を言いたくなる心理がある人もいるかもしれません。
それも羨ましい気持ちの裏返しです。
・自分が抑圧してることだから
心理として「自分が無意識で抑圧してることを堂々としてる人を見ると許せないと感じ、怒りを感じたり攻撃(批判も含む)したくなる」心理があります。
例えば、本当は奔放に恋愛したいと思ってるのにそれを抑圧していると、芸能人の不倫ニュースを見ると許せなくなり、ネット上の炎上叩きに参加してしまうなど。
誰かに頼れない人は、いつも人に頼る人や助けてもらってる人を見るとアンチ感情が沸いたりします。
いじめなどもこういうパターンはありそうです。
自分で抑圧してたり禁止してることを堂々としてる人を見ると、アンチ感情が沸く心理が人にあります。
互助会を批判や嫌悪したくなるのも、無意識で抑圧や禁止してる何かを想起させるからかもしれません。
・互助で数字を取ってる人が評価されてるかのようなのが悔しい ずるいと思うから
互助を多くすればいいね数RT数も多くなります。
そこまで上手いわけでもないのに、数字が多く取れて、数字が正義とばかりに評価されていたら、ずるいと感じる心理もあるようです。
正当に勝負してないようでずるく感じる人もいるのでしょう。
これは「自分のほうが良いのに何であいつの方が数字取れて評価されてる風になってるんだ」ということも少なくないようです。
数字で負けることに敗北感を感じ、その敗北感からアンチ感情が出る心理の場合もあるようです。
・正当に評価されたい気持ちが強いから
互助会を叩く人の心理として「自分が評価されたい気持ちがあるから」が共通してるように感じます。
互助なんかしなくてもただUPするだけでファンがいいねRTを勝手にしてくれる
交流なんかしなくても勝手に評価される状態が正当な評価であって、仲間同士で評価し合うのは正当じゃない忖度や義理だという価値観があるのかなと感じます。
そういう価値観が強ければ、自分がいいねした相互フォローがいいねしてくれても「正当じゃない。ただの義理だ」と受け取りやすくなります。
実際の所はわからないのに、素直に受け取りづらいということです。
そうなるといいねをもらっても義理と思い込むので虚しくなるし嬉しくもないでしょう。
もしかしたら良いと思って押してくれたかもしれなくても、本人が受け取れない状態です。
神絵師のような交流がないファンからのいいねRTだけが正当な評価という価値観を持ってしまうと
「相互フォロワーのいいねRT=義理」というイメージや思い込みが強くなってしまい、捻くれて受け取ってしまいやすい。
そういう状態の場合も少なくないのでは?と思いました。
今回は相互のいいねやRTという互助を批判する心理について書きましたが。
自分の中の正しさや価値観にこだわりすぎると、好意や評価を素直に受け取れなくなってしまうということは他の事柄でもよく起こりやすいことでもあります。