したいことをした方がいい圧力もある?スピリチュアルの論理は欲や煩悩を助長させやすい面もある
「自分がしたいこと、やってみたいことがあっても、〇〇だから…(お金がない等)と理由をつけてそれをしないのは自分を制限してしまっているから」
「したいことにできない理由をつけるのはエゴの仕業。本来の私たちは何でもできるし現象化(または引き寄せ)できる」
上記のようなことが、スピリチュアルではよく見聞きするような気がします。
引き寄せの法則の本やブログなどでも上記のようなニュアンスの言葉を見たりします。
確かにその通りだし、したいことがあってもできない理由をつけて先延ばしにし続けることは多くの人がやりがちなことです。
その通りなのですが、少し違う視点での個人的意見や思うことを書いてみます。
したいことまたは夢があっても、現実的な理由でできないということはいくらでもあると思います。
お金がないから、時間がないから、家族がいるから、仕事を休めないから、才能がないから…etc
そのように、現実的な問題や障害を理由にできないというのは、言い訳をしてるだけ。
できないという枠や制限を自分につけてしまってるだけ。
本来の私たちは何でもできる存在、何でも創造できる存在なのに、できないと思い込んでるだけ。
スピリチュアルの正論や論理ではそんな風に説かれがちです。
ですが、個人的に思うのは
そのスピ正論や論理は確かにその通りだし頷けるけど、「したいことはした方がいい、するべき」という圧力になっている風潮も同時に感じます。
何かしたいことがあるとして、現実的理由でしなかったり諦めることは良くない、というやや否定的な風潮というんでしょうか。
そしてさらに言ってしまうと。
上記のようなスピリチュアルや引き寄せの法則でいわれていたり説かれていることは
欲や煩悩を増長させやすい側面もあるし、自分の欲望を正当化させやすい側面もある
ということです。
もっと言ってしまうと、スピ正論や論理というのは自己正当化にも使えるし、暴走してしまえば悪用してしまう危険性もあるということです。
例を出すと、スピリチュアルの世界やスピが好きな人たちは、不倫をしている人たちが少なくないイメージがあります。
もちろん不倫が悪いわけではないですし人により事情やケースは異なると前提を置きますが。
良い方向、ポジティブな方向で不倫をしている方ももちろんいますが、スピ正論やスピ論理で自己正当化している方もいたりもします。
例えば「ツイン〇〇」などの概念を使ったり、上記のしたいことをするのが良いという論理を使えば自己正当化しやすいです。
「自分がしたいことをしていいなら、自由に恋愛していいよね」
ということになるのですが、ただ自分の欲望を満たしたい、自分さえ良ければいいというエゴで、欲望のままに不倫をしている場合もあるということです。
欲望を満たすことも人間の自然な欲求ではありますが、欲望に赴くまま他者のことを考えず好き放題するというのは、スピリチュアルからかけ離れています。
それは欲が暴走して自分を見失っているだけです。
ですが皮肉なことに、スピや引き寄せでいわれている論理を使って自己正当化する人たちというのも存在しているようです。
何事もバランスが大事 そしてグラウディングの重要性
「したいことがあるのに理由をつけてしないのは、自分に枠や制限を作ってしまう」
というのは確かにそうですが、何でもかんでもしたいことをすればいいというのとはまた違うのではないかと感じます。
また、「したいことがあるのに理由をつけてしないことはダメなんじゃないか、諦めて逃げてるんじゃないか」
と、自分をジャッジして自己否定してしまう人や、葛藤を感じてしまう人もいるかもしれません。
したいことがあってもしないことは、悪いことでもダメなことでもありません。
現実的にできない理由や難しい理由だって、現実世界を生きていればあるのは当然です。
そもそもこの地球という現実世界、物理次元自体、物理的制限がありますからね。
倫理観や他者との兼ね合いというのもあります。
それに現実的に行動(努力)する必要もあります。
もちろん最初から諦める必要はないですが、ある程度の見通しや計画だって大切です。
例えば40代でAKBに入ってアイドルデビューしたい!と望んでも、やはり現実的には難しいのではないでしょうか(笑)
以前企画でやってたこともありますけど、それは特殊なケースです。
おそらく年齢制限もあるでしょうし。
ちなみにスピリチュアル的考え方だと「エゴの願いと魂の願い」というのがあります。
自分でこうしたいと願望や夢を持つとして、それは魂からの願いではなく、ただエゴの満たされない欲求を満たしたいだけで、本心の願望を錯覚しているという概念です。
そういうことはかなり多いと思います。
このことについては今回の記事では書ききれないので、機会があればまた書くかもしれません。
したいことがあるとしても「エゴの願望」というのもあり、錯覚している場合もあります。
したいことがある時、自分のエゴの欲望をコントロールできず自己正当化してしまう、というのは、その時は楽しくても結局良い方向には行きづらくなります。
それを続けていけば堕落する方向に知らずに行き、悪い生き方の方向に行ってしまいかねないので、本人の自由ではありますがおすすめはしません。
ではそうならないためにはどうしたらいいか?というと。
やはりバランスというのが大事になります。
自分さえ良ければいいと自分の欲望にだけ意識を向けると、自分に傾きアンバランスになります。
他者や周りとのバランスも考えて、傲慢にならないようにするということです。
これは自分が我慢すればいい、自分が合わせればいいということではないです。
自分のしたいこともしていいけど、他者や周りのことも尊重するということです。
コロナ禍のマスク問題なんかもそうだと思います。
自分が反マスクだとして、マスクをしないのは自由ですが、自分はマスク不要という価値観でも不安になる価値観の人もいます。
他の人を不要に怖がらせないために、場面やTPOを見てマスクをする配慮もするというんでしょうか。
これは確かバシャールも同じようなことを言っていた記憶があります。
他者への思いやりという意味でマスクすることも必要なんだよ、というような。
バシャール、良いこと言いますね
そしてグラウディングもとても大事です。
グラウディングは地に足を着けることでもあり、現実面や社会面に影響を与えます。
グラウディングが弱いと、スピリチュアルを自分に都合が良い魔法や魔術のように錯覚してしまったり、期待だけ大きくなり現実面で実践できなくなりがちです。
そして期待通りにならなかったり何かネガティブなことが起きると、スピリチュアルは怪しいなど、スピリチュアルのせいにする人が後を絶たないようです。
今回は「したいことがあってもできない理由があるからしない、後伸ばしにするというのもあってもいい、悪いことではない」ということを書きました。
またしたいことをするのが良いというのはスピ正論で言われがちですが、その意味を履き違えて自分の欲ばかりに傾くと傲慢になりかねない危惧について、個人的考えを書きましたが。
だからと言って、自分がしたいことをするのは欲望に傾くのを正当化することとはもちろん限らず、したいことをするのも魂が喜ぶことでもあります。
欲求や欲望も自然な気持ちで、心の動きでもあります。
自分がしたいことをすることも、私たちがここに生まれて来ている目的でもあります。
そのことについても今度書いてみようかと思います。
★グラウディングが気になる方はこちら
⇒ https://ameblo.jp/roko55/entry-12251704320.html