ネットニュースなどを見ていると、まだまだ世界中がのっぴきならぬ事態だと感じます。
営業短縮で40万円支給するなど、日本中のお店で大変なことになっていますが、こういった事態で思い出すのが「勝ち組・負け組」です。
もうどのくらい前かよく覚えていませんが、確か20年くらい前によく言われていたように思えます。
不況でお金持ちになった人たちを勝ち組と呼んだのですが、そもそも論を忘れてはなりません。

そもそも、「負けた」とはどういう状況でしょうか。
お金の金額で競っていたら、多かった方が勝ち組、少なかった方が負け組です。
しかしその手段や内実は問われません。
どれほど他者を傷つけようが稼いだものが勝ち?
どれほど真っ当で弱者を救う手段を実践しようとも稼げなかったら負け?


これらはあまりにも主張として脆弱すぎますね。
方法・手段を問わないのであれば、上記の意味で勝った人が闇討ちなどでお金を奪われた時、「そりゃ反則だ」といえないことになりますからね。

これらに対して、

(初級)
・負け組でも良いじゃないか。楽しく生きられれば。
・私はそもそも稼いだ額で争っていないのだから、勝ち負けは無関係。

などとも考えられます。

ごく一般的にはこれで十分です。

しかし更にクリティカル・シンキング、そもそも論を活用してみましょう。
つまり、
・そもそも争いなど存在するのか?
・そもそも自分がやっていることは争いなのであろうか?
という根本に気づくということが大切
なのです。

「負けでもいいじゃないか」や「争い・競争に参加しない」というのは、スピリチュアル・霊性としては初級、基本中の基本です。


しかし、さらに深めて、なにか自分のしていることを「争い・競争」だと定義すること自体がおかしいのだ、ということに気付くべきです。
言い換えると、
・何か自分の参加・実践していることを、奪い合い・蹴落とし合い・貶し合いをして優劣(勝ち負け)を決めることだと定義する必要性は存在しない
・わざわざ、「争いなのだ!」「負けたら生き残る術はない!」「負けたヤツが(は)悪いのだ!」と考えるのは自分で争い・競争を作っている

ということでもあります。

もちろん、競争は「負けたくない!もっと勝ちたい!」などモチベーションの原動力になりえます。
しかし、そもそも楽しく幸せに生きたいのであれば、争ったり奪い合ったりしないで、互いに協力すれば良いだけです。

そもそも「百戦した」などと戦いを自ら創造する必要は無いし、まして「百勝した」「百敗した」などと考える必要すらないということを忘れないようにしましょう。

(ちなみに、わざわざ「これは戦いだ、勝ちだ、負けだ」と自分で決めても構いませんよ。どんな経験をするかは個人の好みです。)
 

↓電子書籍一覧はこちらです。
↓電子書籍(2ページ目)はこちらです。

――――――

小林健康整体室の仕事一覧

小林健康整体室の仕事の種類

ノート(note)で武術気功の秘伝功法が購入できます

秘伝功法の有料コンテンツ記事のページ(一覧)

講演依頼受付中

講演の依頼お待ちしてます(令和元年)

整体についてはこちら

☆割引と整体の特徴について

健康器具「足裏フィン」はこちら

足ツボ棒より痛くない!足裏療法用のフィンも売っています  

最新情報は、フェイスブックが最も早くUPされます。

フォロー大歓迎です(^-^)

https://www.facebook.com/hito.kobayashi.1

ツイッターもやってます

ツイッター(Twitter)を始めました

――――――
↓クリックで応援していただけたら嬉しく存じます。
にほんブログ村 健康ブログ 気功へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルカウンセリングへ

武術氣功の整体 ~小林健康整体室~

小田急線向ヶ丘遊園駅徒歩5分

ホームページ

お問合せページ

気功体験、気功瞑想のページ