戸畑市量水器と止水栓 | 路上文化遺産と消火栓

路上文化遺産と消火栓

町を路上観察すると路上や木造建築物に、昭和レトロを感じます。
マンホールの蓋や、ホーロー看板、木製牛乳箱などが見つかります。
ここでは、路上文化遺産と消火栓・防火水槽を取り上げます。

馬明が門司港駅界隈で、歴史的建造物や桜の花を楽しんでから、3駅目に下車した戸畑駅から歩いたパチンコ店の駐車場出入口側道路で、戸畑市マンホールを見ました。
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ネットでよく知られたマンホールの蓋を見てから、戸畑区内を散策中に、戸畑市時代の量水器3枚と止水栓1枚を見つけました。これが戸畑市水道の右書き量水器(器水量)です。

戸畑区内では、北九州水道組合時代の量水器も見れますが、多くが北九州市章の量水器に交換されています。


馬明の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。


ブログ開設から、6月12日で8年149日を迎えました。ブログ開設10周年まで1年216日です。



福岡訪問記第8弾&マンホールウォーク237弾です。
今回は『戸畑市量水器と止水栓』です。


★1 戸畑市のあゆみ★
戸畑市の変遷は、1889(明治22)年に戸畑村と中原村が合併し、誕生した戸畑村の村役場が戸畑消防団第一分団の場所にありました。
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1899(明治32)年6月10日の町制施行で戸畑町、1924(大正13)年9月1日の市制施行で「戸畑市」となりました。

戸畑市は1963(昭和38)年2月10日に、門司市、小倉市、八幡市及び若松市の5市が新設合併して北九州市が発足し、同年4月1日に政令指定都市へ昇格し、戸畑市域は戸畑区となりました。


★2 戸畑市水道の経緯★
戸畑市水道は1924(大正13)年9月に市制が施行された当時から昭和6年までは、旧若松市から給水を受けていました。

戸畑市水道は、北九州市の旧五市時代の水道事業のなかでは、自前の給水開始が一番遅く、1931(昭和6)年に大谷浄水場を築造して給水を開始しました。

旧五市水道の給水開始は、旧門司市が1912(明治45)年3月に全面給水を開始、旧若松市も1912(明治45)年4月に、旧小倉市は1913(大正2)年5月に、旧八幡市は1930(昭和5)年の順でした。


★3 戸畑市の量水器と止水栓★
戸畑区の旧戸畑市内には、1964(昭和27)年4月15日に北九州水道組合(旧門司市を除く)が発足した以前の旧戸畑市の量水器止水栓マンホールの蓋が残っています。

この駐車場で、戸畑市水道の右書き量水器(器水量)が見つかりました。
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この量水器は、この場所が以前木造家屋が建っていた痕跡です。

量水器の大きさをご覧ください。
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量水器の寸法はご覧のとおり、20cm竹製物差しと100円硬貨の大きさからも、量水器としては小さ目です。

量水器の中央上部にある紋章は、戸畑市の「戸」をデザインしたものです。
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こちらは、前に取り上げた戸畑市マンホールで同じ紋章です。
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他の場所でも、戸畑市量水器が2枚見つかりました。これはそのなかの1枚です。
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量水器の寸法は、3枚ともほぼ同じ大きさでした。

この量水器の近くには、戸畑市の右書き止水栓(栓水止)がありました。
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この止水栓の蓋は、量水器3枚よりも、摩耗と腐食が大きかったと言えます。

これら水道蓋は、戸畑市が発足した1924(大正13)年9月から、北九州水道組合(旧門司市を除く。)が発足した1952(昭和27)年4月15日までのものでしょう。

一方、こちらの量水器は左書きで、北九州水道組合が発足した1952(昭和27)年4月から、1964(昭和39)年1月に北九州市水道局が発足した期間までの蓋です。
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量水器のなかには、レアな右書きも見つかっています。

JR戸畑駅北口の駅前公園には、旅と酒を愛した若山牧水が、「われ三たび 此処に来りつ 家のあるじ 寂び定まりて 静かなるかも」と詠んだ歌碑があります。
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※ 明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」は、「国際記念物遺跡会議」から5月4日、「登録が適当」と国連教育科学文化機関(ユネスコ)に勧告されました。

福岡県は官営八幡製鐵所関係で、1899(明治32)年に八幡製鐵所旧本事務所、1900(明治33)年に修繕工場と旧鍛冶工場を建設、1910(明治43)年に遠賀川水源地ポンプ室の操業開始が登録申請されています。



皆様、『北九州市内の散策』を楽しみませんか!?