江戸川上水町村組合の止水栓 |
これはマンホールウォークの第89弾です。 |
小蓋シリーズは、第1回横浜の右書き瓦斯、2回藤沢の右書き制水弇、3回右書き制水弇、4回右書き瓦斯中蓋、5回レアな阻水弇、6回右書き止水栓、7回目武蔵野の制水弇・制水弁、8回板橋宿の荒玉止水栓、9回北区の荒玉水止栓、10回荒玉制水辨、11回中野で荒玉止水栓2枚、12回横浜最古の仕切弁 、13回武蔵野の止水栓 、14回中華街の量水器 、15回阻水弇の発見、16回高円寺北の荒玉止水栓、17回阿佐谷南の荒玉止水栓、18回川崎市の止水栓、19回宮内省の制水弇、20回謎を秘めた桜小蓋と桜、21回代々幡町水道制水弇 、22回代々幡町水道の制水弇を発見!、23回千駄ヶ谷町水道の止水栓を発見!、24回工水 排水弁と右書き量水器、25回玉川水道株式会社の止水栓、26回玉川水道株式会社の量水器を発見!、27回明瞭な玉川水道株式会社の量水器を発見!、28回現役で活躍する玉川水道株式会社の量水器を発見!、29回日本水道株式会社の止水栓を発見!、30回三軒茶屋で日本水道の止水栓を発見!、31回大久保町水道の水止栓を大久保1丁目で発見!、32回横浜で明治・大正時代に使われた量水器、33回横浜水道記章入り右書き量水器、34回大久保町水道止水栓を百人町1丁目で発見!、35回澁谷町水道の蓋を円山町で発見!に続く、36回が『江戸川上水町村組合の止水栓』です。
★1 江戸川上水町村組合★ |
1922(大正11)年3月18日に工事実施設計及び一部工事変更の認可指令あり、同年4月9日に工事を着手しました。
江戸川上水町村組合は水源を江戸川右岸葛飾区内常磐線鉄橋下流地点に取水塔を設け取水し、金町浄水場通水浄化後の1926(大正15)年8月1日に南葛飾郡砂町・隅田・寺島・吾嬬・亀戸・大島・小松川の7町、南足立郡千住町、北豊島郡南千住・三河島・日暮里・尾久の4町、合計3郡12町へ給水を一部開始しました。
江戸川上水町村組合(「江戸川上水」と略)は1932(昭和7)年10月1日に東京市によって、2町村組合(江戸川上水、荒玉水道)経営及び8単独町営(澁谷町、目黒町、淀橋町、大久保町、戸塚町、代々幡町、井荻町、千駄ヶ谷町)の計10水道事業の一つとして併合経営されました。
この路上文化遺産データベースでは水止栓が、足立区千住4丁目、足立区千住宮元町で各2枚登録されています。
今回のような江戸川上水の止水栓を発見した登録事例はありません。
止水栓は水止栓と同じ役割です。
★3 江戸川上水の止水栓★ |
路地を歩いてて、初めて江戸川上水らしき小蓋の存在に気づきました。
よく見ると江戸川上水の止水栓でした。この場所にありました。
ここへは2日後も来ましたが、人通りは少ない路地でした。
この蓋はアスファルト舗装時に撤去を免れました。
よく見ると江戸川上水の止水栓でした。この場所にありました。
ここへは2日後も来ましたが、人通りは少ない路地でした。
この蓋はアスファルト舗装時に撤去を免れました。
初めて見つかった江戸川上水の止水栓をご覧ください。
蓋の上端には摩耗した江戸川上水の紋章があり、止水栓の“栓”も摩耗が目立ちました。
蓋の上端には摩耗した江戸川上水の紋章があり、止水栓の“栓”も摩耗が目立ちました。
摩耗した江戸川上水の紋章をご覧ください。
この紋章は上端に‘エ’、下端に‘ト’、周囲が‘川’、中央に‘水’の字をデザイン化したものです。
この紋章は上端に‘エ’、下端に‘ト’、周囲が‘川’、中央に‘水’の字をデザイン化したものです。
こちらは後日紹介する江戸川上水の量水器にあった紋章です。
これと比較していただくと、‘ト’以外はどうにか読み取れそうです。
これと比較していただくと、‘ト’以外はどうにか読み取れそうです。
江戸川上水の止水栓の寸法は恒例の竹製物差しと100円硬貨でご覧ください。
※ 次回は江戸川上水の量水器をご覧いただきます。 |
皆さん、『江戸川上水の蓋』を見ませんか?! |