路地裏の骨董カフェ

路地裏の骨董カフェ

アートとふるもの好きが嵩じて、明治、大正、昭和初期のインテリアや雑貨を取り扱う古物商を始めました。また、古時計や蓄音機などを中心に修理・調整をしています。
引き続き情報交換をお願い致します。

Amebaでブログを始めよう!

9月も後半になりました。
まずは、8月後半から課題としていた古い文字板の再生については、色々と試行錯誤を繰り返していましたが、限界はあるもの一定の方向が見えてきました。
この金筋の精工舎の時計は、一度紙文字板で再生していたのですが、再度やり直しました。古いペイント文字板には、独特のつや消しのテカリがあるので、その雰囲気に近いものができればとの思いでした。


さすがにひび割れまでの再生は無理ですが、これで、アラビア数字の紙文字板に張り替えられた時計でも、元のローマ数字の文字板に戻す道筋が見えてきました。
文字板の再生がようやく落ち着きましたので、次は進んでいなかった、蓄音器の修理をする事にしました。
コロムビアの昭和初期の蓄音器No.460グラフォノーラを入手しましたので、こちらをオーバーホールしました。


ゼンマイ切れはないようですが、表のサランネットが劣化して殆どありません。また、天板の塗装剥げが痛々しい状態です。
まずは、機械のオーバーホールをしました。



茶色に固着した油を除くのに手間がかかります。
一通り部品をチェックしました。動かずに放置された期間が長かったようで、歯車の溝にも油が固まって硬くなっていました。
2丁ゼンマイで、幸いにもゼンマイは切れていませんでしたので、少し安堵しました。
香箱にオイルを塗布して組み上げました。




回転はスムーズに雑音は最小に、軸受を調整しました。ここで音が小さいと思っても、箱に入れると振動が板で増幅されて強調されますので、調整は難儀です。
箱に機械を組み込む前に、破れたサランネットの交換をしました。古い布の方が合うのですが、ここは在庫の音響用のネットを使っています。


サランネットの補修が完了したら組み上げです。
ただ、上蓋の開閉をスムーズにする金具が壊れていて、上にあげた蓋が止まりません。
どうもこの蓄音器はこの部品が致命的で、使いたくても使えずに放置されたようです。
誤って油をさして厚紙がふやけて外れたんだと思います。
色々と調整の手を尽くしてみましたが、直らず、やむなく手持ちの部品がありましたので交換しました。
蓋も止まりましたので、回転の調整も行いました。


次は、コロムビアNo.9 音に定評のあるサウンドボックスをオーバーホールしました。振動板には幸い傷みはなく、ガスケットの交換をしました。


トンボの左右に6個のベアリングが入っているので、固着した油を落として元に戻しました。
作業は、小さくて転がって無くすと大変です。
こちらも組み上げて、音の調整をしました。
実際のレコードを聴きながら、高音や低音、解像度の具合をビスの締め具合で調整するんですが、ここはいつも手探り、難しい調整です。

音の方はなんとか調整ができましたが、ここで問題が発覚。オートストッパーの部品もダメになっていました。
こちらにも油をさして、紙の摩擦具合をダメにしているようです。
残念ながらこちらも部品を交換しました。
写真は交換前の部品ですが、曲げて調整しようとした跡があります。


この当時の部品は、厚紙の摩擦でブレーキをかける仕組みなので、必要以上に油を差して部品をお釈迦にしてしまったケースですね。
なんとか稼働の部分は仕上がりました。

偶然ですが、デッカのSP盤は、キツめに溝が彫られているので、音の調整ではこれでビビリがでなければOKです。グレンミラー楽団のタキシードジャンクションを聴いてみました。



増幅部は木製の容量大きいシングルホーンです。金属ホーンではありませんが、ラッパの音が良く出ます。他にもコロムビアの卓上蓄音器をメンテナンスしてきましたが、このホーンの音質が厚みとツヤがあって仕上がりがいい印象を受けました。

あとは、天板の劣化の課題です。

多少の傷はチークオイルのメンテナンスで仕上げるのですが、地肌が見えてる状態は頂けません。
天板の塗装を全て剥がしました。その上で緑が強いオークで下地を染めたのですが、まだ色味がオリーブ色が強いので、セラックニスがそのまま使えません。色味の調整もあるので、塗料待ちの状況です。
次は、同じくコロムビアNo.203です。
こちらも、ゼンマイが入手できましたので、オーバーホールしました。



分解の写真を撮り忘れていて組み上げの調整の写真からですが、回転と雑音の1番少ない位置に調整しました。
次は、No.15のサウンドボックスのオーバーホールです。


ガスケットが経年で硬化していますし、鉄針が3本も入っていて振動盤を破いています。頭も潰れています。
ここまで破れた振動板はビビリの原因になりますので使えません。純正ではありませんが、新しいダイヤフラムに交換しました。


こちらもグレンミラー楽団のムーンライトセレナーデを聴いてみました。
盤が擦り切れていますので、少し解像度が落ちて音が潰れた感じに聞こえますが、手前味噌ですが迫力ある音に仕上がりました。


箱の傷などのメンテナンスが残っていますが、完成までも少しといった所です。

まだまだエンドの切れたゼンマイの蓄音器などがありますが、時計修理の合間を見ながら、修理していきたいと思います。
蓄音器は、針が箱の中に大量の落ちていますし、いろんな悪さをします。
時計より触って酷使されていますので、その分不具合も多い印象です。今回も2台が部品取りに回りましたので、1台仕上げるのにもう1台が犠牲になる蓄音器修理の宿命を感じています。


8月も終わりが近づきました。
クーラーの中ですが、いつもの月より、修理のペースが落ちています。
作業でこれまでの色んな課題も見えてきました。それを少しずつですが、改善しています。

まずは、フランスから個人輸入した小さな時計です。SOLOと言う聞き慣れないメーカーで、全体の雰囲気は1930年代のアール・デコ。漆を思わせる黒に真鍮の金色を浮かび上がらせた粋なデザインです。
不動との事ですが、分解して様子を見ると、機械は懐中時計と同じような雰囲気です。
メインスプリングが折れて、ゼンマイが滑って巻けない状況です。
ゼンマイの入った香箱を取り出すのに、コハゼを緩めて力を解放させてから分解しました。

前半の1/3位で破断しています。
先端や末端でしたら、元のゼンマイは活かせるのですが、この位置は、ゼンマイを継ぐしかありませんが、狭い香箱に収めるゼンマイの継ぎは不向きですので、別に交換のゼンマイを探しました。


幅は同じで、香箱に収まるのですが、厚みが薄いので長さを長くする必要があります。
長さの全部を収めると、窮屈でゼンマイを巻く回数が少なくて使えません。
程よい長さで切る必要があります。
左よりも3巻くらい多めの位置で切断して、末端の加工をする事にしました。
焼き鈍して、折り曲げて「く」の字にします。
折り曲げも、ゼンマイの厚み1枚分浮かせて、ヘアピンのような、丸さを残して加工しないと、曲げた場所からすぐ折れてしまうんです。
なんとか無事加工ができました。
テンプ周りは、ベンジンで洗浄して、注油しました。


テンプもゼンマイが復活して無事稼働を始めました。これで一安心と思ったのですが、慣らしの稼働で分かったのですが24時間持たない。
20時間位で息が切れて遅れる状態です。さらにゼンマイが巻けるように短くして、上手く行くか、ゼンマイの種類が異なると反発力や厚み、長さのバランスが異なるのでこういう事が起こります。
これまでの作業が徒労になって残念ですが、深追いは避けてしばらく様子を見ることにしました。

次は、昭和30年代の精工舎の本打ち掛時計です。
この時計も、アルミの文字板が劣化で剥離しています。
機械は、精度がいい時計ですので、文字板の修復が一番の課題ですね。
いつものように、劣化した塗装を全て剥いだ上で、原盤から起こしたシートを貼って修復しています。

続いて、オーバーホールをしました。

こちらの時計も慣らしの稼働で、ボン打ちの30分の1回打ちが、正午にずれる症状が出ました。
精工舎の本打ち時計は、ボン打ちの動きが繊細で、バネの具合や注油で変化します。
動きを良く見ると、定時で跳ねるアゲカマの部品が浮き過ぎていて、0時の位置で効いていませんでした。下げすぎると地板を擦るので良くありませんし、部品が薄いので微妙な調整です。
無事調整も完了して不具合は解消されました。


お化粧直しして無事復活しました。

さらに、戦後と思われる、トーマス型の丸時計をレストア・オーバーホールしました。

水で濡れて、滲んだ箇所がなければこのまま文字板を使うんですが、どうしょうもありません。
文字板を外して試しに全体を濡らして、漂白をかけてみましたが、日焼けと化学変化が起こったものは無理でした。
文字板は、これまで紙でコピーしたものを、ホワイト液で修正して、A2の大きさに再コピーして文字板に使っていたんですが、再コピーは際がぼやける傾向があって、課題でした。
端は切れますがA3でギリギリ、原盤のデータがコンビニ等のコピー機でスキャン保存できます。
今回は、これを補正・修正して、デジタルコピーのサービス店で、出力する方法をとりました。


デジタルデータを紙に出力していますので、劣化のない仕上がりになりました。
コピー紙のままでは、綺麗過ぎて違和感がありますので、色褪せ加工をして板に貼っています。
一度目は、糊を塗る際の刷毛の毛が糊に残っていて、紙を貼って、凹凸に気がつきました。
トホホですが、ここは、勿体ないですがやり直ししています。

続いて、機械のオーバーホールです。

戦後の製造と思われますが、これまで何度もメンテナンスされており、状態も良く問題はありません。
組み上げて慣らしの運転をしましたが、振り子が角度によって底に引っかかる癖がある事がわかりました。


手間ですが、底の部材を彫下げてなるべく引っかかりのない状態にしました。
あと、掛時計は、正午ぴったりでボン打ちせずに、プラスマイナス1分くらいずれる事が良くあります。
本打ちの時計は、殆どずれる事はないのですが、数取り式の古い時計は、長針の遊び具合とアゲカマの角度でずれるので、針を修正するか、カマの角度を変えるかして調整する必要があります。(文字板をずらす方法もありますが…。穴がずれるので、あまりしたくない。)
歯車にも遊びがあるので、きっちり合わせるのはなかなか難しく、プラスマイナス30秒でよしとしています。
このほか、部材の経年劣化で外れたものを膠で補修しています。


あれこれありましたが、無事メンテナンス完了しました。

お盆の時期は、お参りもあり作業が進みませんが、古い八角時計を2台メンテナンスしました。
1台目は、アメリカアンソニア製のものです。
機械は、アンソニア式のものですが、箱はラベルがなく、和製の箱に収められています。当時は、機械をアメリカから輸入して、和製の箱に組んで舶来時計として売ったようで、文字板にも振り子室にもマークやラベルがありません。


文字盤も汚れや日焼けはありますが、このまま使えます。
機械も状態は良く、オーバーホールしました。


この時計は、慣らし稼働でも問題なく、不具合もないいい状態を保っています。

さらにもう一台は、精工舎の漆塗八角時計です。


一度オーバーホールし、文字板も紙文字板に張り替えて、ほぼ完成でしたが、週の半ばで止まる症状が出て、そのままとしていたものです。
再度、一から分解して再調整しました。


もう一度、ゼンマイ周りや部品の状態、ホゾの詰め、磨きなど一通り丁寧にやり直しました。


唯一見落としていたのが、アンクル爪の溝でした。かなり長い間使われて、ガンギ車がゼンマイの力でこの爪を弾くので、2箇所に溝ができています。
これは、リューターで削って、砥石で磨いて綺麗に均しました。
原因がこれだったのか、確証はありませんが、ガンギ車の抜けが阻害されて、アンクルに引っかかる原因も考えられます。
組み上げて慣らし稼働でも問題なく、快調に動いており、不具合は出なくなりました。

さらに、文字盤は、貼り紙ではなく、当時の雰囲気の塗装文字板になんとか再生はできないものかと、試行する事にしました。
別の塗装剥離と修正跡のある文字板でテストする事にしました。


文字板のみをスキャンしてパソコンのペイントでデジタルデータを加工していきます。
これまでは、傷や汚れは消しゴムで消して消すだけでよかったのですが、今回は、経年劣化で出るヘアクラックや薄い汚れを残しながら、剥離した部分を新しく白で塗り潰し、ヘアクラックもそれらしく復元するという作業で原盤を作成しました。
当時の文字板はトタン板に塗装し、これに手書きや印判でローマ数字を書いたものと思われます。

その雰囲気に近づけるのに、トタン板の下地の塗装はどうするか、貼るシートの選択はどれがベストか、どんな接着方法がいいのか、何度も試作を繰り返していますが、なかなかいい結果が出ません。
亜鉛を含んだジンクホワイトの下地に黒で文字を書いたと思われるのですが、シートを貼るのと手書きでは、違いがあって限界があります。


まだ、とても完成とは言えませんが紙張りの文字板より一歩塗装文字板に近づく方法を模索しています。
素朴さから言えば、古い文字板は紙でも色褪せさえできれば、遜色はないのですが、古い塗装の独特なマットなテカリの下地に手書きの味のあるローマ数字が再現できないか、上手くはいかない事ばかりですが、次への準備と思いながら、ダメ元で試行錯誤を続けています。



文字板の再生は、古時計の最大のテーマで、最終的には、当時の塗装の下地に手書きで復元が最もふさわしいと思うのですが、徒労に終わるかもしれませんが、あれこれ方法を考えている時間が楽しいのかもしれません。


早いもので、長い梅雨が明けたかと思うと、もう8月です。7月の振り返りになりますが、以前と同様外出は控えて、時計の修理に没頭していました。


まずは、フランスのDEP社の小ぶりなトラベル時計です。以前ブログでご紹介した斬新な文字板が目を引く時計ですが、ゼンマイを巻く芯が折れていて、ネジの溝を切るダイスを用意し切り直したのはいいのですが、巻く方向に対して逆で、巻くたびにネジが緩んで使い物になりません。そのまま、お蔵入りとなっていました。


意を決して、時計旋盤を入手しました。アメリカ製で台数も多く出回るマーシャル・ピアレスの8mm旋盤です。手元の拡大はデジタル顕微鏡を用意して老眼対策。削るための道具は、ハイスの完成バイトを研いで作成。しばらくは加工の練習が続きました。
下が折れた巻き芯で、上は試作中の失敗したものです。


加工した芯棒に歯車を四角に加工したものを噛ませたのですが、使うと巻き締める段階で滑るため実際は使えません。
手間はかかりますが、部品全体を旋盤で削り出す必要があります。
4mmの真鍮棒から、同じ寸法に削っていきました。慣れないと綺麗な線を出すのが難しいですね。



一番太い部分をヤスリで四角に加工して完成です。何本か加工してようやく使える部品を作成しました。左巻きのネジ切りのダイスを入手して、これで巻きネジが外れる心配もなくなりました。
ずっと懸案になっていた時計ですが、時間はかかりましたが、なんとか実用レベルに戻せて安堵しました。

次は、昭和初期頃の愛知時計です。
面取りガラスを組み合わせた、振り子室のデザインが美しい時計ですが、残念ながら頭の部分が欠損しています。


オリジナルの飾りを調べたところ、ありました。


中央の飾りは落ちていますが、頭のデザインはおよそわかります。少し頭でっかちの印象で、重く感じますので、心もち薄くする事にしました。

別に修復不能な愛知時計がありましたので、部材はその時計の側板から取る事にしました。
曲線は、倉庫から電動糸鋸を出して、ニワカ日曜日大工です。


そのままでは、色味が違いますので、色を合わせて再塗装しました。
木の飾りですが、オリジナルは大きめのものが使われていたようですが、他のデザインも参考にして今回はおとなしくオシャレな雰囲気のものにする事にしました。
お湯丸で型取りをして、レジンで複製しました。


木の質感に色を調整して、頭に付けましたが、飾りは取り外しができるように、両面テープで止めただけにしています。


機械は、ゼンマイのコハゼの先が折れていて、加工して止まるには止まりますが、歯も傷めているようです。これはいずれ破損の原因となりますので、部品はそっくり同じ愛知時計の部品と交換しました。(右を左に交換)


機械はオーバーホールして、ゼンマイの清掃、油引き、部品の洗浄、ホゾの詰め、振りの調整など、一通りのメンテナンスをして、無事復活しました。なかなかのべっぴんさんに戻りました。


続いて、こちらも頭の飾りが欠損した、佐藤時計です。
スリムで斬新なデザインの時計です。
オキュパイドジャパンと書かれていますので、アメリカ占領下の昭和22年から27年の製造と分かります。


四角で、シンプルの方がいいのですが、欠損した部分の再塗装が難しく、ここは手間ですが、オリジナルに合わせた部材を作る事にしました。

型取りするにも、手元にオリジナルはないので、木を削って作る事にしました。
プロクソンの木工旋盤です。大きなものの加工はできませんが、小さいものなら加工できます。


一度塗装したのですが、木の目が荒いので、砥の粉を塗って、磨いた後に再塗装しています。
色味を合わせるのが一番苦労します。
程よいつや消し具合が出ればOKです。


機械は、刻印のないアンソニア型、ゼンマイ切れもなくいい状態でした。


一通りのメンテナンスをして、こちらも無事元に状態に戻りました。

スリムロングなデザインで、振り子も長いので、ゆったり動きます。


色々と遠回りして時間はかかりましたが、苦労して完成した時計を眺めながら安堵するときが、時計から元気がもらえて疲れが取れます。


当時の機械式時計は、職人さんがそれぞれ分業しながら、一台一台個性や表情ある時計を作っていたんですね。細かい加工や細工が施されていて、とても魅力があります。



名古屋の時計を2台平行してオーバーホールしています。

左は、トゲつき丸にYのマークは、明治26年創業の名古屋時計製造合資会社の出資者の一人吉村富三郎が明治35年に登録したマークです。


調べると、この会社は明治37年に解散していますので、大正末から昭和初期に作られた時計にこのマークがついているのは時代が合いません。
明治期のマークがなぜこの時計についているのか謎です。面白いので少し調べてみました。

まず、名古屋の時計産業の源流を辿ると、名古屋市史によると「明治17、8年ごろ岡崎の中条勇次郎と名古屋の水谷駒次郎という職人二人が掛け時計を製作」とあり、このうちの一人水谷駒次郎は腕を買われて、林市兵衛が興した時勢舎(後の林時計)の職長として最初に働きますが、その後名古屋時計製造合資会社の職長としてスカウトされます。

駒次郎は、名古屋時計製造合資会社で、自分の思うような時計を製造していましたが、日清戦争の不景気の中で、経営が傾き明治37年に解散します。駒次郎はその機械及び設備一切を譲り受けて、 明治37年、前ノ川町に水谷時計製作所を創立して、ボンボン時計の製造を始めたものの明治末期に廃業しています。(TIME KEEPERさん や日本古時計保存協会会長の資料より)

その後、職人達や機械や権利をどこが受けついだのか、記録にはありません。
ただ、水谷時計製作所の時代も吉村富三郎の資金援助を恩義に感じて、トゲ丸にYのマークを使っていたようで、いわば、水谷派という流れが名古屋の時計職人にあるとすれば、名古屋時計製造の本家のマークであり、水谷派の最初のマークがトゲ丸にYであったように思われます。

この頃 佐藤信太郎が、明治40年に佐藤時計製作所(明治32年創業の金城時計を改名)を経営しており、このメーカーは、戦後まで続きました。

さらに大正5年に三浦虎子太郎が出資、大橋美刀之助を代表社員として名古屋市中区御器所町鳥喰に合資会社三工舎が創業しました。三方置時計、金庫時計など個性のある変った時計を生産しており、戦後の昭和27に佐藤時計(後の飛球時計製造株式会社)に売却解散しています。

長々と名古屋の時計メーカーを並べましたが、この最後の三工舎と佐藤時計が謎のマークの時計を数多く作っている事も分かってきました。

実は、私のオーバーホールした時計は、機械にNEW ANSONIA KAIRYOとあります。

同じ機械を使った時計が、三工舎製の時計にも見られます。おそらく、トゲ丸のYのマークは三工舎製と見てほぼ間違いないと思います。

(吉村富三郎のトゲ丸にYマークにプレートはSK三工舎のマークのついた時計です)

三工舎は、アセンブリの得意な会社で、デザインや機械の改良など職人気質の強い印象を受けました。この辺りは、TIME KEEPERさんも同じ思いを書かれています。三工舎が水谷派を受けついだのではないかと。

さらに、佐藤時計は、mizu のブランドの時計を作っており、水谷のmizu を思わせます。

この3社はともに、機械を融通しあっていたようで、三工舎の時計の一部は、佐藤時計のOEMではないかとの推測もありえるのではないかと思っています。現実に、とても個性的な舘本時計は、佐藤時計のOEMだと分かっています。いい意味で佐藤時計は黒子となって、面白い攻めた時計を当時から作っていたのではないかと思われます。

このように三工舎と佐藤時計は互いに密接に繋がりながら、その流れには、元祖水谷駒次郎への職人としての思いが強く現れているように思います。

最後にもう一社 合名会社水谷時計製作所があります。TIME KEEPERさんから引用しますと、

合名会社 水谷時計製造所
水谷才次郎(明治11年生れ)は初めに金城時計製造所に入り、翌年河合時計製造所に転勤して約三年を過ごした。
明治44年に名古屋神楽町で掛時計と原料の卸商を開業し、大正14年には安房町にラージ、ファウスト等専ら天府振り掛時計の製造を 始めたが工場は戦争で閉鎖。戦後は卸商として活躍した。

この水谷才次郎が、駒次郎とどういう関係か謎ですが、キャリアのスタートが佐藤時計の前身の金城時計であり、機械の組み立てを得意としたと記録にもあり、佐藤時計と同じように、OEMで時計を作っていた会社であるようです。

面白い事に、トレードマークを比較すると、ひし形にSTが、佐藤時計、SKが三工舎、 SMが合名会社水谷 ととても似ています。


(上が佐藤時計製造 下が合名会社水谷時計)

偶然の一致とはいえ、一連の同じ職人の流れ、人脈が繋がっているように思えてなりません。

元祖とも言える水谷駒次郎が、時計製造の経営から退いた明治末に、その一派が、どの会社に合流したか、あるいは分散したか、この辺りが分かってくると、謎のマークや攻めたOEMブランドの存在が一連のつながりとなって道筋が見えてくると思います。ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示ください。

長々と書きましたが、スリムで存在感のあるデザイン。機械はアンソニア型を超えて改良を加えた、NEW ANSONIA。とても個性を感じる時計を見ると、Yマークの謎を辿ってみたくなりました。



真鍮の経年劣化の少ない機械に、とても気概を感じます。


遅れましたが、右は昭和初期頃の製造の明治時計です。振り子窓がレトロな草模様になって趣があります。
扉は一枚板のくり抜き加工で、経年変化で割れやすいのですが、乾燥が良かったのでしょうか幸いに割れはありません。
底には、真鍮の足がつけられていて、置き時計の様な使い方も出来る様になっています。
幸い機械もゼンマイ切れもなく、いい状態ですが、残念な事に、頭飾りに真鍮の画鋲が並んで刺さっています。当時のオリジナルかと思ったのですが、一つ画鋲を外してみると、錆のない新しいもので、板には数珠の形の塗装の跡がありましたので、頭の数珠飾りが欠損したため、どうも画鋲で跡を隠したようです。


他の部材取りの時計の箱から、数珠飾りを転用して、膠で接着しました。
箱は、チークオイルでメンテナンスしました。


当時にあっては、小型に改良された機械です。
ともに、いい感じに精度を追い込んで、完成も近づいています。




前回に続いて、洋物の目覚まし時計の修理の続きです。
まずは、JAZのそれぞれの年代の時計からです。最初は1940年以前に作られた一番古い年代のJAZの時計です。キレンジャクのマークはなく、JAZの文字のみです。
残念ながら風防ガラスが割れた状態でした。
いつものように寸法を測って、ガラスをカットしました。機械は分解して、洗浄後ホゾを詰め、組み上げました。




この当時にあって、テンプのカチコチの音を静かにする仕様になっていて、日焼けして読みにくくなっていますが、silencieuxの文字があります。
天真の状態は良いと判断したのですが、一度組み上げて様子を見ると、ひどい遅れ方をするので何かおかしいと再度分解しチェックしました。すると、受けネジの状態が良くなかった。
新しい受けネジに交換して、天真にも抵抗を高める傷があると判断して、研磨し直しました。
案の定、今度は進むほど状態が良くなりました。
目視で問題ないと思ったのですが、天真の状態は精度に直結しますね。
次は、少し年代が下がって、キレンジャクの尻尾が下がった、1941年から1967年までの中期に作られた目覚まし時計です。


こちらは、意外と錆が内側に回っていましたので、サビ落としで枯らす手間がかかりました。
ゼンマイの手入れ、ホゾ詰め、天真の磨きとひと通りのメンテナンスをして、機械も元気を取り戻しました。


スモールセコンドの代わりに、小窓の奥に赤いスリットが動く仕掛けが、可愛らしいですね。
蛍光塗料が一部落ちていましたので、修復しました。

こちらにも、silenticの文字があります。夜でも静かな稼働で、細やかなセンスを感じます。

続いてさらに、時代は下がって、キレンジャクの尻尾の上がった1967年以降1975年までの後期の製造となる、目覚まし時計です。
ダブルベルのオーソドックスなデザインに、針はコブラ針で時代を感じさせる懐かしい仕様です。


分解してみると、ゼンマイが3分の1辺りで折れていました。色々と探したのですが、1970年代頃の薄いゼンマイが見つかりません。
機械式時計もクオーツに押されて、作られなくなる間近の製造ですので、入手は難しいと判断して、オスメスの加工をして繋ぐ事にしました。
短いと、1日の稼働がもたない可能性もあります。


機械はドイツ製でした。部品もプラスチックが使われており、当時のクオーツ時計の影響も見られます。テンプも元気よく、48時間稼働が確認できました。ベルが間歇式に鳴るようになっていますが、火災報知器のようで、結構豪快です。
状態がとても綺麗なのは、ゼンマイが早い段階で切れて、クオーツ時計が来たので、そのままお蔵入りとなったようです。
次は、フランスDEP社のベークライト製のアール・デコ調の時計です。
DEP社は、個性的で斬新な時計を作っています。





この時計は、ヒゲゼンマイが酷い状態で新しいゼンマイに交換して、歩度の調整に手間取って調整に思いのほか時間がかかりました。
かなり以前にオーバーホールしたのですが、写真を撮るのを忘れていてありません。




こちらは、アメリカのニューヘブン社製のトラベル時計です。
アールデコ調のレトロなの文字板で、1930年代の古い時代のものと思われます。
分解すると、ゼンマイが途中から折れています。
サイズは懐中時計用のゼンマイが合いますので交換しました。

こちらは、ゼンマイの交換で24時間稼働ではなく、18時間の稼働という状況です。純正の当時のニューヘイブンのゼンマイではありませんので、稼働が短くなった可能性もありますが、元々12時間巻きの可能性もあり、詳細は分かりません。
お洒落なデザインで、30年代を感じさせる雰囲気が良いですね。
すぐに直る時計もあれば、調整に時間がかかって、ずっと様子を見ている時計もあります。
掛時計の方が、状態の良し悪しがシンプルに出ますが、テンプ式のアラーム時計の方が地板も部品も小さく華奢ですので、手入れも色んな要素が原因になりますので、一つひとつ勉強になります。
次は、名古屋の謎多きメーカーの時計で色々と考えて見たいと思います。