Recover my heart, change the world. -23ページ目

Recover my heart, change the world.

日々の思想、小説、詩、エッセイ、悟り、妄想、体験、揺れる気持ち、音楽など、私の表現です。


明日 何をしようか決まっている

もし 決まっているのなら

それでもう 明日は終わっている

もし 明日を迎えられると


明日 誰と会うのか知っている

会って何をしようか

決めないほうがいい

その時に決めたっていいじゃないか


わからないことがいっぱいありすぎる

本当にしりたいことは少ないけど

やりたいことがいっぱい浮かびすぎる

何一つやり遂げてきたことは無いけれど



明日 何を考えてしまうのか 何となく

毎日 同じことを考えて

違うけど似たような暮らしを繰り返して

また同じ 後悔を噛みしめる


海外渡航歴が一度も無いにも関わらず、海外で流行中の伝染病を国内にて発症した高校生に始まり、

発症確認からまだ一週間も経っていないのにも関わらず、

感染者は200人を超える。

そして本日、列島の中心都市に住む高校生に感染が確認される。

この伝染病における新型ウイルスに挙げられる特徴はこうだ。


・ストレスを抱えている者程、発症しやすい

・伝染経路は空気感染を遥かに凌駕する、空間感染

・感染スピードは光の早さと同等

・生きとし生けるもの全てに感染する

・全くの新型であるため、免疫は現段階では未完成

・発症してから、早ければ3日以内に死に至らしめる


環境問題や経済危機、終わらない戦争や選挙、

何も変わることの出来ない繰り返しな毎日を繰り返し、

じわりと、破滅に向かって歩み続けてきた我々の歴史が、

この突如やってきた病原体によって滅亡の危機に直面している。

かつてヨーロッパで猛威を振るったペスト菌の様に、

全人口の半分以上を失うことになるかもしれない。

そうすれば、人口の均衡バランスが取れて、

世界に再び平和が訪れるのだ。


そんな思想を持つ輩、団体、狂人が、

発明したウイルスをばらまいたのかもしれなかった。

もしかしたら、地球の外から見ていた宇宙人が、

我々人類を苦しめる為に、ウイルス(もしくはエイリアン)を送り込んだのかもしれなかった。

もしくは、大自然の母なる地球が、人類の横行に嫌気が差し、

これ以上環境破壊を続けるならば、と、

地球内部のコアより、マグマや地層を通過させ、土から植物へ、

植物より微生物へ、微生物から動物へと、ウイルスを運び込んできたのかもしれなかった。

色々な可能性が考えられてしまうので、おちおち夜も眠れない始末。

朝起きて感染していたらどうしよう、という不安を持つ人々が続出し、

不眠症の患者は増大、不安や葛藤により気がおかしくなってしまい、

仕事や学業に支障をきたしはじめる。進行している者は街へ出て踊り狂っていた。

やがて、ライフラインやニュース、街の機能が麻痺しはじめる。

厳戒態勢が敷かれるようになり、自衛隊は完全防護マスクと酸素ボンベ、武器とバファリン携帯。

街では最早ウイルスとストレスによってゾンビの様相へと変わり果てた市民が暴走している。

自衛隊バーサス市民。

史上最強ウイルスの感染力の前には自衛隊の装備など全く役に立たず、

繰り出された兵士達はほぼ全員感染の餌食となった。

日本列島はいよいよ終わりとなる頃には、他の国々においても同じ現状であった。

ミサイルを放って、ウイルスを消滅させるというのが、映画の常套手段。

生き残った上層部が、決断を下そうとした時、

感染は停止、症状は回復へ向かう様になる。

それはたった、最初の国内感染者の確認から僅か3ヶ月のことだった。



※フィクションですが、ウイルスは本当に流行っていますので気をつけてください。




私自身も該当してしまうのが、誠に無念なのですが、

社会に生きている時、わざと一般的では無いような言葉を使って、(時には難解な)

物事の成り行きを説明しなければならない瞬間が在ります。

または、こうやって漢字を色々変換して、高等教育を受けてきたことを自慢しているような印象を、

もしかしたらこの文章の羅列を読んで下さっている人に与えてしまうのかもしれません。

何だか、言葉や文節、句読点や単語のコンビネーションによって、

表現したいことを100%簡潔に、高密度に文章で表せた時には、

自分自身に酔いしれ、悦に入り込んでしまう瞬間があるのをご存知でしょうか。

まあ文章に限らずです。

何か目標を達成した時は大いに自分を褒めるでしょう。

それは自分自身への動機づけだったり、モチベーションの維持にあたっては有効と思います。

ただし、

意味が完全に分かっていないのに、あたかもインテリぶって文章を構築している様な人もいます。

この私みたいに。

見ていると(聞いていると)悲しくなり、切なくなり、やがて憎しみが沸いてきます。

薄っぺらい意地を張ったり、自慢ばかりをしている人がどうも気に入りません。

その日に起こったことを何度も繰り返して、誇張しつつ、終いには全然別の事になってしまっているのは、

話になりませぬ。

嘘ばかりついている人は、殺したくなります。


どうも、我々は良い人や能力がある人に見られたい傾向があるために、

本来の能力以上の領域を、幻想で現してしまうケースがあるように想います。

それが時に嘘だったり、犯罪だったり、確執だったりして、信頼や命を失う場合もあるのです。

ハッタリをかますのは、自分に発破を掛けるだけにして、

周りの人に迷惑を掛けないように心掛けなければなりません。



以上のことは、日本の学校教育で果たして教えていることなのでしょうか?

私は少なくとも授業で教わった記憶はありません。

まともに授業を受けていた記憶もあまりないんですけれど。。



影響は非常に受けやすいので厄介なのですが、

人が使っている言葉は借りたくないです。

自分だけの言葉で、表現していけるはず。

それが当たり前のことなんでしょうが、

当たり前のことが当たり前のように出来ないから嫌になります。



ピアノ。

ピアノが弾きたかった。

習おうとしたけど止めてしまった。

ピアノを弾くようなイメージで、ギターも弾けないだろうか。

そうしたら、綺麗で格好良いんだろうな。