Recover my heart, change the world. -22ページ目

Recover my heart, change the world.

日々の思想、小説、詩、エッセイ、悟り、妄想、体験、揺れる気持ち、音楽など、私の表現です。


物事を認識していく概念として、自分自身が行っていく所業を縦軸に置き、

時間の流れを横軸に据える。



時間は有限である。

そして、有限であることを分かっていながらも、

それについてどの程度、有限なのか全く分からない。

例えば自分が大変な病気になってしまって、

病状の進行具合や様々な臨床データ、統計等によって「余命うんぬん」と医者から告げられた場合、

それは時間が有限であることを再確認出来ただけに過ぎないのであって、

それが絶対的な数値である訳がない。

この世の全てを知っている人など存在しない。

100%正しいことなんか何も無い。

だから人は、その絶対的な判断や知識に寄り縋る対象として「神」を求め、宗教に依存する。

宗教に依存していくことで、自分もまた組織の一部であることに快感を得る。

そうしていく間にも、時は流れ、時代は変わり、人の心も変わっていく。


残り時間が分からないからこそ、

常に、今という瞬間を精一杯生きる、後悔しないように。

という考え方もポピュラリティを誇っています。

ただ、残り時間が分からないから、

目標に対して向かっていく努力をしても、

その目標が達成される前に、タイムアウトしてしまうのでは無いのか、という

不安が懸念されてしまいます。

そうなると、全てに対して無駄に思うようになり、無気力、消極的で、

何もかもつまらない、イコール、生きていることがつまらない、イコール、

人生がつまらない。

結果。



しかし、そうやって縦軸を無駄に遊んでいる間にも、

横軸は一刻のパルスを乱さずに流れていきます。



時間が有限であれば在るほどに、

自らの行動、知識、生命力もまた有限である関係。

煩わしいことこの上無いが、

レールの上にはまってしまえば、あとはゴールまで一直線。



自殺とは、

自らの行動によって自分自身の生命を絶つ行為。

その行為に偶然性や事故的要因が含まれていた場合「自殺」とは区別されない。

その行為を完了せんとする明確な意思によって遂行される時のみが該当する。


現実の詳細データ。

世界的に毎年、毎年100万人が自殺によって死亡している。

上記によって損なわれる経済的損失は数十億ドル規模。

円に換算すれば数千億円となる。

現在の世界の人口は67億8639万人(推定)であるから、

統計的には6786人に1人の割合で自殺している。

時間軸でいうと3秒に一人は自殺しているらしい。


国内においては10年連続3万人の自殺者が続出しており、現在も増加傾向にある。

60歳台の自殺者数が一番多いが、近年では30代等の若い世代も増えてきている。

日本の人口を仮に、1億2千万人で区切ったとすると、

4000人に1人が自殺している計算になる。

それは、

年間交通事故死亡者数の約6倍。



自殺が引き起こされる原因について、宗教的なものや連鎖的なものを除いていくと、

こういった状況下であると思われる。


元々は幸福であったが、何らかの事情により不幸に突き落とされてしまう状況下に陥ること。

他人の幸福を目の当たりにしながら、自分だけがそれに手を伸ばすことが出来ないという絶望。

生きることに興味関心を抱くことが出来ない。

資本主義下の激しい競争社会に乗遅れ、自分に対して認めたくない低い自己評価。

人間として最低限度の営み、生活、家庭環境、経済意地の困難。

将来を思い描くことの出来ない、未来に対しての希望の消失。

かつて、栄光を誇っていたなら尚更、痛みは倍増する。


こうした、様々な精神危機が根底的に原因となり、

様々な環境、社会、経済、文化、宗教の違い等によって複雑に絡み合い、

その場独特の地獄、修羅場を己に発生させる。

逃れることの出来ない現実と、毎日戦い続けていかなければならない。

やがて心は疲弊し、誰に対しても優しく接していく心のゆとりがなくなっていき、

それがまた、孤独を造り出す要因の一つとなり、悪循環は深みにはまっていく。

唯一、つらい現実を忘れる方法として、可能な場合は何らかの嗜好品を求めるようになる。

酒、煙草、風俗、麻薬、賭博、金融、自傷行為、自慰行為、犯罪。

やがて追い込まれていき、どうしようも無くなった時の最後の手段。

何だか、「最後の手段」とか「奥の手」とか「どうせ」などと思ってしまえば、

何をするのも怖くなくなってしまう心理状態を生み出してしまうのが分かるだろうか。



自殺を防ぐのは、薬を飲むこと。

薬を買えない場合は、旅に出ること。

旅に出れない場合は、心だけでも旅に出ること。

生活がどうにもならない時は、今までの自分が一度もやってこなかったことをやってみること。

もう1日だけ、頑張ろうと思ってみること。

それで1日頑張った時、その日の自分に対して誇りを持つこと。

その誇りを胸に抱いて、明日からはプライドを持って生きること。

追い掛けられている時は、いっそ捕まってみること。

変態、キチガイだと思われるくらいに、何かをやってみること。

命の危険に関わる時は、そこでも頑張って生きようとしている自分に気付いてみること。

新しい出会いや、経験を積極的に行っていくこと。

それが難しい場合は無理せず、ゆっくり少しづつでも変わっていけたら良いなと思ってみること。

やっぱり何とか生きようとしている自分を認めてあげること。



さて、

統計的に考えれば、自分が該当してもおかしくは無いのだな、と考えてしまう。

今の私に自殺をする理由等、無いけれど、

現実から逃げたい、と思う時が頻繁にあって、

それが行き着く先、辿り着いてしまうので、

現状打破する為に、

もっと家出をしなければいけないと、思っている。

そして死ぬ前に絶対、外国へ行くのだ。



この世界は、自分と全く瓜二つな人間が10人以上いると思うくらい、

人の数が多いと思っていいことに越したことは無いだろう。

それでも自分というものは、世界にたった一人しか居ない訳だから、

超集団化された枠組みの中で、自我や個性という「持ち味」、キャラクター等、

いわゆる「自分」ならでは、といった部分を見出していかないと、

何だか人生が味気ないものになってしまうと、

私は感じているのだが、

他の人がそれをどう思っているかについては分からない。

普通で良い、と思う人も十分いると思うし、

何処にでもある様なもの、というのは意外に何処にも無い様なものなので、

普通、というのも「普通」以上大変である。

人は生きているうちに、何らかの「方法」を見出していく。

人間関係構築術、仕事のスキル、家庭計画等、

平たく言えば、「生きていく方法」

それはその人が培った、独自の方法であることに間違いは無いと思う。



それでも、生きることに疑問を持ち、

何だか生かされているような感覚があって、

楽しいことなんかあんまり無くて、

無駄なことを繰り返していて、

時間も足りなくて、

友達も居なくて、

自分の生活とかに堂々と誇りが持てなくて、

人生つまらないと、

今痛みを伴わず「死ねる」なら喜んで死にます、という私の様な人が、

一人でも存在していて、この文章を読んでいるのなら。



究極論。

仕事をするにしても、堕落するにしても、

究極までやり遂げてみること。

きっと、中途半端にふらふらとメーターを振り切らないでやっていると、

後悔の波が押し寄せてくる。

研ぎ澄ました感覚、行き着いた先にこそ、

何らかの真理が少なからず、見えてくる。

行けるとこまで行った時、また違った考え方が現れてくるものだと思うから。

行くことに対して、恐れずに、勇気を振り絞って、向かってみる。

それがまた、希望や愉しみへと変貌し、毎日が違って見えてくる。



投げてやる、この言葉を。