物事を認識していく概念として、自分自身が行っていく所業を縦軸に置き、
時間の流れを横軸に据える。
時間は有限である。
そして、有限であることを分かっていながらも、
それについてどの程度、有限なのか全く分からない。
例えば自分が大変な病気になってしまって、
病状の進行具合や様々な臨床データ、統計等によって「余命うんぬん」と医者から告げられた場合、
それは時間が有限であることを再確認出来ただけに過ぎないのであって、
それが絶対的な数値である訳がない。
この世の全てを知っている人など存在しない。
100%正しいことなんか何も無い。
だから人は、その絶対的な判断や知識に寄り縋る対象として「神」を求め、宗教に依存する。
宗教に依存していくことで、自分もまた組織の一部であることに快感を得る。
そうしていく間にも、時は流れ、時代は変わり、人の心も変わっていく。
残り時間が分からないからこそ、
常に、今という瞬間を精一杯生きる、後悔しないように。
という考え方もポピュラリティを誇っています。
ただ、残り時間が分からないから、
目標に対して向かっていく努力をしても、
その目標が達成される前に、タイムアウトしてしまうのでは無いのか、という
不安が懸念されてしまいます。
そうなると、全てに対して無駄に思うようになり、無気力、消極的で、
何もかもつまらない、イコール、生きていることがつまらない、イコール、
人生がつまらない。
結果。
しかし、そうやって縦軸を無駄に遊んでいる間にも、
横軸は一刻のパルスを乱さずに流れていきます。
時間が有限であれば在るほどに、
自らの行動、知識、生命力もまた有限である関係。
煩わしいことこの上無いが、
レールの上にはまってしまえば、あとはゴールまで一直線。