Recover my heart, change the world. -24ページ目

Recover my heart, change the world.

日々の思想、小説、詩、エッセイ、悟り、妄想、体験、揺れる気持ち、音楽など、私の表現です。


小学校の同級生とか、

松本人志とか、

会社の上司とかが、結婚もしくは再婚するにあたって、

寿的なことであり、正義なことであり、道徳的に善良なことであるのは間違いないのだが、

ふと、エスカレーションな思考を立ち止め、気付いてみると、

それは社会一般的な抽象的で存在しないユートピアの様な概念的思想であって、

決して、それが生じたからといって、嬉しい筈がないのである。

勿論、たくさんの他人が存在している前では、ニコニコとしていますが、

それは「仲間はずれ」にされて、協調性がないとか、KYだとみなされて、

酷い「いじめ」を受けたり、お給金が下がったり、職を失う羽目に成るのが怖いから。

変な話、一瞬で死ぬよりも、長い時間生きながら苦痛を味わうことの方が今は怖い。

私は、憶病者ですから、皆の衆に都合を合わせて暮らしています。

きっと、他の人もそうだと思うのです。

私は出来れば、その中で「他人」とは違う何かを表現ないし演出して生きていたい。

それは自分が心に決めていれば決行大いに可能なんで、

別に他人に迷惑を掛けたり、嫌な思いをさせるつもりはありませんので、

私はこの世界に生きている時、「黙る」ことを選択します。

黙っているのは、何も考えていないからではありませぬ。


考えているから、黙っているのです。


事実、この半年以上、黙り続けた私の脳内は活性化されてきたので、

知能指数は半年前とは比べ物にならないでしょう。


しかしながら、人はやはり、見える範囲でしか物事を計れない、

それは社会構造や日本教育、環境、経済性のせいなのですが、

私については「何も考えていない」だったり、「何を考えているか分からない」だったり、

ネガティブな評価です。

ただ、私がここで100%ポジティブな自分を表現することに完全に成功できたとしても、

100%の評価が返ってくる保証はどこにもありませぬ。

社会保険庁の年金と同じシステムなのですね。

別に評価を望んでいる訳ではありません。


この世界で必要なものは、色々ありすぎて、それが混乱を招いて、戦争等を引き起こしています。



結局、何なのか、ということなのです。


人は、なんやかんやいって、孤独を生きていかなければならない。


上記は結婚とか夫婦関係とか家族とか血縁とか色々のものとは次元が違っていて、

自分自身が、自分自身として生きていくときになって初めて、孤独であることを悟るのです。

それは、孤独が醸し出す寂しさ、というよりも、やらなければならない瞬間というか、

覚悟、のようなニュアンスに近いと言えます。

そんな孤独を忘れようとして、人は友達を作ったり親と話したり、何処かへ遊びに行ったりします。

それはそれで良いのです。

いつしか、その瞬間が訪れるか、訪れないかは人それぞれでしょう。




分からないことよりも、分かることをする。


会話・料理・音楽等、

我々が何も無い所から創造して表現する全ての事象は、

分かりやすい方が絶対的に良いです。


ただ、難しいのは、

分かりやすいだけ、では、

興味はすぐに薄れてしまいます。もったとしても最初の1回。

分かりやすい物事の本質的な欠陥の一つに、

飽きられやすい、ということがあります。

これは、習慣で生活する我々人間の生物学的特徴の一つでもあります。

長所であり短所、欠点であり才能です。


毎回、全く同じことを繰り返さないことがポイントです。

ほんの少しだけ変えるだけでも、印象が変わる時が在ります。

順列の組み合わせの数だけ、在りますので、

それをローテーションしていけば、

人生、少し気が楽になる気がしませんか。


私は、疲れてしまっているので、

それを行うことをすこし怠けてしまっています。

というのが最近の私のことについてです。


もしよければ、あなたのことについて聞かせて下さいな。

















私自身の普段の生活において、

あまり足を動かさない生活習慣となってしまっているので、

(仕事はデスクワークだし、勤務地はほぼ自宅だし)

休日の日は、なるべく運動というか、遠出をするようにしていますかね。

そんなんで、今日はとある劇団公演を観てきました。

オルガンヴィトー Vol、18
「ガリガリ博士の犯罪」


at:不思議地底窟 青の奇蹟



作 寺山修司
演出 不二稿京  


あらすじ


 

ここは、どこだ?

まだ、どこでもないなら、おれが名づけてやろう。

そして、お前は誰だ?

まだ、誰でもないなら、おれが名づけてやろう。

存在するというのは、名づけること、

生きるというのは、化けること、

扉のかげにはいつも死神、

「きれいがきたなく、きたないが、きれい」の花物語、

お父さん、きいておどろくな。
ぼくは今こそ、怪人二十面相の正体を見せてやろう。




開演時間ギリギリで、道に迷うこと数回、ハラハラしながら到着。

中に入るといきなり、「靴と靴下を脱いで下さい」と言われる。

靴はともかくとして、靴下まで脱がなければならないとは。

靴下を脱ぐと今度は、「荷物をお預かりします、これを着て下さい」

渡されたのはコンビニやダイソーに売っているような合羽であった。

ここは何と、

劇場のセットは、膝まで浸かってしまう程の水位があるプールみたいな所だった。

他のお客さんは数人。
(構造的に、狭めの劇場の様子)

当然皆、雨合羽を着込んでいる。

濡れる、という情報は知ってはいたが、ここまでなのか、と思っていたら、

どうやら空いている席に行くには、プールの向こう側まで渡っていかなければならない。

どうせ濡れるんだからもういいや、と思って、ジーンズを捲り上げ、

バシャバシャと水しぶきをたてて向こう側へ。

これを見ていたスタッフ(主演の人?)とお客さん、クスクス笑い。


内容は、予習してこなかっただけあって、ちょっと理解が追いつかない部分もあったけれど、

あらすじの部分を体現していると思います。

そしてここの場所ならではの表現方法、「水」を利用することによって、

空気では分からない、非現実的な所作を水しぶきと水圧によって演出する。

思えば昔、水遊びが大好きだったなぁということ、不意に思い出してしまった。



存在するということは、名付けること。

人は、成ろうと思えば何にでも成れること。

自分というものは、自分が成りたくて自分に成っている訳ではないのだと。

こちらの公演は、6月いっぱいまでやっていますので、

興味と時間の都合がある方は、是非足を運んでみてください。

舞台セットには驚きますよ。
 

帰る前に、出演者に挨拶。

ムラタさん、またお願いします!


それに対して憧れているのかもしれない。

何だかこの世界に存在しない「自由」を得られるような気がして。

いざとなれば、それのせいにも出来る。

自分自身を投げ出すことで、楽になれる。

一人はいやだ。これからもずっと一人で生きていく。

それならばいっそ。

あとは時間の問題。早いか、遅いか。

それだけ。



負ける訳にはいかないが、

現実ではうまくいかないことのほうが圧倒的に多い。

やんなっちゃうね、まったく。