ポウジュ「Downstate」観劇
2025/12/18(金)18:30開演 ポウジュ「Downstate」
アンディ:尾上寛之
エム:豊田エリー
フレッド:大鷹明良
ディー:植本純米
ジオ:串田十二夜
フェリックス:大石将弘
アイヴィー:桑原裕子
エフィー:夏目愛海
<物語>
イリノイ州の南部。未成年者に対する性犯罪で有罪となり、刑期を終えた4人の男がグループホームで共同生活を送っている。ある日、グループホームの年長者フレッドから、幼少期に性的暴行を受けたアンディが、妻のエムに伴われてホームを訪れる…
非常に重いテーマですが、これぞ演劇、これぞ翻訳劇の醍醐味!を味わえた作品でした。
以下は自分のメモ的感想です。
1) 日本でも「未成年者に対する」性犯罪者については、出所後にGPSモニターを付けて常に所在が明らかにされるべきだと思う。カウンセリングも必須。
2)被害者であるアンディと妻エムの関係
特に加害者であるフレッドに対峙する時には、パニック障害も起こしそうになり、準備してきた要望書?を読み上げることもスムースにはできなくなるアンディ。
それに対して、彼の次の行動を待ちきれず、「全部言えたの?」などと尋ねるエム。
夫と妻というよりは、子供にしょっちゅう「早くしなさい!」と怒る母親のよう。
彼女はアンディを愛してはいるのだろうが、エムもアンディにとってはかなりのストレスではないだろうか…
そしてエムは、アンディ以外の人間(特にグループホームの入居者)に対しては、相手がどんな感情を抱くかは全く考慮していない。ああ、アンディの気持ちもあまり考えてはいないのかも。
3)加害者たちの人種
人種を特定する台詞はなかったと思うが、植本純米さんが演じるディーが黒人であることは途中で何となくわかる。フレディがジオに対して「ディーがどんな酷い目に遭ってきたか、知らないだろう?」と言うが、全く自分のせいではないことで不条理に虐待されたり、差別されたりする経験をして来たことが想像される。
フェリックスはスペイン語で独り言を言っているのでヒスパニック。
フレッドは、クラシックピアノの教師で、穏やかな言葉遣い。グループホームに同居する4人の中ではいちばん知性・教養を感じる。
ジオの人種はわからないが、ものすごいマッチョで金髪。そして聖書の言葉をすぐに引用できる敬虔なクリスチャン。ヒスパニック/黒人と白人のミックス?
もしくは白人の労働者階級で、経済的に苦しく、トランプを支持するQアノンに近い印象。
自分で起業しようとしていて頭も良く、自分が関心を持つ相手には人当たりも良いが、何を考えているのかわからない不気味さもある。
グループホームの入居者たちは犯した罪に応じてレベル1~3に振り分けられている。ジオは自分のした罪はたいしたことはなく、他の3人と同じ扱いとされることに憤慨し、また他の3人を見下している。
最後にジオが舞台に一人残り、聖書を引用して観客に語りかける長い場面。自分が聖書をほとんど知らないせいもあるが、台詞はほとんど覚えておらず、ただ彼の舐め回すような視線がすごく気持ちが悪かったのが印象的。
4)フレッドとアンディ
性犯罪の加害者と被害者。2幕で別の被害者・トミーの話題が出ることで、無差別・面識のない相手から被害を受けたよりも、アンディが深く傷ついたことがわかる。
子供の時にフレッドからピアノを習っていたアンディは、フレッドから「君には才能がある。特別だ」と言われていた。でも彼から性被害に遭い、その後自分だけではなく、別の生徒トミーに対しても「特別だ」と言っていたことを知る。おそらくアンディはフレッドを尊敬して好きな大人だっただろうし、彼が「特別だ」と言っていたのが自分だけではなかったことで裏切られたと感じ、さらに深く傷ついたのだと思う。
<フレッド>
ピアノ教師で、音楽を深く愛し、物腰も柔らかい。一見犯罪者だったようには見えない。
しかし、事件後に付き合った恋人(男性)が彼の罪を知ったことで激怒し、暴力を振るわれ、一生歩けなくなる怪我を負った。
そのことで、「自分は愛する人をそんなに怒らせる罪を犯したのだ」と反省するのではなく、自分は不運な被害者だという感覚になっている感じがする。
1幕での保護観察官・アイヴィーの指摘。「(行動範囲が制限されることなどで自由がなく)あんたたちは被害者顔をする。自分が何をやったのか考えてみて」。
これは、移動の自由がないことに不満を言う残りの3人に対しての言葉に聞こえたが、2幕でフレッドも同様なのでは…と考えさせられる。
そもそも、被害者のアンディに再会することは、数十年前の自分の罪を突きつけられて普通なら嫌だと思うが、「君に会えてうれしい」と何度も言い、涙ぐむアンディの手を取ったりするのもものすごく気持ちが悪い。
大鷹明良さんは声がとてもソフトで素敵なので、余計に不気味かも。
フレッドはディーにはとても優しく、ディーを蔑むジオに対して「彼がどんな酷い目に遭ってきたか知らないだろう!」と憤る。ディーの辛さは理解できるのに、アンディの気持ちは理解できないアンバランス。
5)翻訳、演出、美術
12/18のアフタートークで、演出の稲葉賀恵さんから「どういう風に言葉を言ったら、相手の怒りに触れるのか、その程度を探って稽古をしている」というお話。
ディーがアンディに何度も言う、「ハニー」(ベイビーも?)。初めて合う相手にハニーとかベイビーと言われるのは気分が悪いし、「僕は子供じゃない」とアンディははっきり拒絶している。ディーはアンディに対して、「フレッドをそれ以上責めるのはもう止めたらどうだ」と説得しているのだが、そこでも執拗にハニーと呼びかけるのは、まさにアンディの怒りに油を注いでいた。
グループホームの壁に、白い線。花と茎を描いたインテリアだと思っていたが、もしかしたら入居者たちが怒りをぶつけた傷跡かも。美術の土岐研一さんがイメージしたのは「心理的・社会的牢獄」というのを読んだ後では、鉄条網のようにも見えてきた。
二兎社「鴎外の怪談」11/25夜
[「鴎外の怪談」 東京芸術劇場シアターウエスト
プログラムにある[学問の自由研究と芸術の自由発展を妨げる国は栄えない]という鴎外の言葉が響く。鴎外の書斎だけを舞台に、家族と友人だけで進行する家庭劇でありながら大逆事件など差し迫る時代の流れを描き出す。この鴎外の想いは作者・永井愛さんや主演の松尾貴史さんに通じている。
なぜ「怪談」なのかは野田秀樹さんとのトークでも話に出たが、ホラー的な怖さはほぼ0なのでご安心を。なぜの答えは観る人それぞれの考え。私が一番怪談?だと思ったのは最後の【ネタバレあり】へ。
鴎外が軍医だったのは知っていたが、総理大臣との会議に列席する程の最高ポストにいたこと、また大逆事件の被告側弁護士の相談に乗っていたことは初めて知った。母や妻との関係など鴎外自身をより深く知ると改めて彼の作品を読んでみたくなった。
何の力もないが、全中高生とそのご両親+特に国語と歴史の先生に全力で勧めたい傑作。
鴎外は、出世のためにドイツ留学で出会った恋人を切り捨てたと思っていたが、母や周囲の友人から強く反対されて仕方なく諦め、その結果鬱になった。プログラムでは他の著名な日本人留学生の例も書かれている。留学先に愛人を持って帰国時に手切れ金で別れた人たちと比べると、結婚を約束し、別れた後精神的に病んで長年後悔を引きずった鴎外には、真剣な愛と良心が感じられた。
エリーゼとの結婚に反対し、最初の妻と二度目の妻、その間の妾!まで母・峰の意向に沿った鴎外。マザコン?と思えるほど母親を重んじていたことと、エリーゼと別れたから後は投げやりだった部分もあるかも。
母の峰、妻のしげ、友人・賀古との関係にしても、とにかく相手に対して、断固としてNO!が言えない人という印象が強くなる。
プログラムでの永井さんによれば、『義理のある人から「こうしろ」と言われるとその期待に沿わなければ申し訳ないと考える人』というのがよくわかる。
義理と世間体を重んじる明治の考え方と、欧米文化から得た自由な思想・表現を尊重する近代的な考え方の狭間で苦しみ悩んだ人かもしれない。
永井荷風についても、私生活は「金持ちのぼんぼんの遊び人で女たらし」という印象しかなかったが(←酷い;;)、本作に描かれたように、大逆事件で強い衝撃を受けて、不真面目になる、戯作者になると転換したのかもしれない。
永井さんの脚本は、母・峰(孟母でも猛母でもある)、鴎外、永井荷風、妻しげ…
どの登場人物に対しても愛を感じられる。
<キャスト>
私は松尾貴史さんのファンで、二兎社の作品を観劇するのは「ザ・空気 ver.2」に続いて2作目。「ザ・空気 ver.2」で政権寄りの政治部記者を演じた時には、松尾さんならではの形態模写が面白かった。
今回はザ・空気とは対照的に、登場から「あれ、松尾さん?」と思い、物語に引き込まれるほど松尾さんであることを忘れるほど、鴎外として生き、存在していた。
木野花さん
舞台で拝見するのは2018年のミュージカル「リトル・ナイト・ミュージック」以来。
鴎外の母・峰は、エリーゼとの結婚に猛反対して別れさせ、最初の妻と二度目の妻、その間の妾!まで連れてくる。
一方で鴎外のために勉強して本が読めるようになった努力家で、息子とその妻の作品を全てチェックする。鴎外の友人たちとも互角に話し合い、作品の本質を見抜く発言をする。
そんな賢い彼女の息子に懸ける情熱を表現する木野花さんのエネルギーはものすごく、驚くと共に憧れる。
<美術・衣装>
プログラム裏表紙にある鴎外自宅(観潮楼)の間取り図を見ると、馬小屋まである大邸宅。本作の舞台である書斎は、回り廊下・階段など[洋間2階]という部屋をそのまま再現したよう。舞台手前側には1階の瓦屋根まで作られている。当時は千駄木から海が見えたことも驚き。
鴎外(は軍服姿も見せるが)と賀古は着物姿が素敵で、男前がさらに上がる感じ。
母の峰(木野花さん)と妻しげ(瀬戸さおりさん)も、素敵なお召し物…と見惚れる。特に、しげが鴎外と子供たちとの外出を楽しみにする場面の衣装が美しく、「お出掛け」「よそいき」という、自分が子供だった頃の特別感を思い出した。(昭和後期以降に生まれた人にはもう無い感覚だろうな…)
プログラムの表紙裏にある、鴎外を顔・脚・腕を6つずつ持つ(各面に3つの目)大威徳明王に模した絵。鴎外は積んだ本の横に立ち、2本の腕にペンを、1本の腕には脚気診断のハンマー?←あ、トラウマかも;;
軍医と作家両方で活躍した鴎外をこう表現した高村光太郎のセンス。
【ネタバレあり】
永井さんのお話では、制作日程上、脚本が完成する前にタイトルを付けないと間に合わなかったので、後から盗み聞きする妻しげのシルエットなどを加えたとのこと。私が一番怪談だと思ったのは↓
鴎外の故郷津和野でキリシタンが弾圧され、風に乗って聞こえた拷問の鞭や囚人の呻き声が現在の鴎外にフラッシュバックする場面だった。
ネタバレあり注意!フェイクスピア感想
1.アブラハムと三日坊主
この二人は言葉の箱を運ぶ使者であり、
ハムレットの中で手紙を運ぶ使命を託された登場人物=
ローゼンクランツとギルデンスターンに譬えられている。
でもなぜアブラハムと三日坊主?
アブラハムは、旧約聖書で息子イサクを殺して神に捧げる試練を受ける父親。
坊主は仏に仕える身で、「神の使者」としての名前なのかもしれない。
前半でアブラハムはオタコ姐さんに「水で走る自動車」や「ウソ発見器」を
売りつけようとする胡散臭い人物で、
三日坊主も「盗っ人」呼ばわりされる。
前半では宗教の胡散臭さ。
後半ではオタコ姐さんと三人でmonoの仲間。
対照的な役割を体現しているのが面白い。
2.「ヴァルプルギスの夜」
って何だろう。
以下、Wikiから抜粋。
「ヴァルプルギスの夜は『死者を囲い込むもの』とされていた。
北欧神話の主神オーディンがルーン文字の知識を得るために死んだことを
記念するもので、その夜は【死者と生者との境が弱くなる時間】だといわれる。
かがり火は、生者の間を歩き回るといわれる死者と無秩序な魂を追い払うためにたかれ…」
なるほど!神から言葉を盗むプロメテウス(の従兄)、日本のお盆とも通じるし、
かがり火=イタコ達が口寄せの時に使う火、お盆の迎え火・送り火
いろいろなイメージが重なる。