実家地元のカフェ | 露久左庵音楽出版 Rockza Music Edition

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実家地元にこういう店があるというのを知りました。

 

 

ってより。

地元にちっとも帰れないので、しかも帰っても日帰りで帰ってきてしまったりしますし、それに公共交通機関を使うから自分で動ける車がないし、そういうことでちっとも地元の変化を知ることがないんですよね。

原チャとかで回れればいろいろ発見できるんでしょうけどね。

 

それに。

こうやって地元を知ろうとすると、けっこういろんなガキ時代のことがトラウマになってんだなぁってことに気づきます。

自分がガキ時代、なんていうんでしょうね、目に見えない境界線ってのがそこらじゅうにあって。

そういうもののひとつがまず学年の違い、上だろうが下だろうが学年が違う人間がいるだけでなんか近寄りづらいものがあって。

 

もっと顕著な境界線は「学区」と呼ばれるもので。

学区が違う場所へは足を踏み入れること自体に罪悪感があるというか。

 

こういうのは無意識のうちにいろんなイヤな目に遭っていたってことなんでしょうか。

それともそういう土地柄だったのでしょうかね。

土地柄かどうかは地元に戻って数年暮らしてみないと今はなんとも言えませんが、たぶんそういうものは多分にあるんだろうなとは思いますね。

日本って、やっぱそういう民族性があるんだと思うのです。

 

それに。

もうひとつ、これも今だから思いますが、無意識のうちにいろんなイヤな目に遭っていたってのも事実なんだと思うのです。

誰にしても多かれ少なかれあることでしょうしね、うちだけが特別ではない。

特別ではないけど、いや~な目に遭っていたんだなぁってことは今思い返すと様々気づいたりします。

 

母方の実家は同じ町内でそれなりの家なのでいいんですけどね。

ま、同じ町内と言っても学区が違うし昔は移動手段がとても限られていたので遥か遠くの地の家のように存在自体が遠かったんですけどね。

父の方が大変だったようです。

自分にはもうそんな記憶もないのですけど。

自分は大人数の兄弟の末弟で20代には父親が死んでますし、自分がガキ時代にも母方の祖母は知ってますが、他の祖父母ももうこの世の人ではなく。

そうすると家の歴史というものは誰に聞いたらいいものかもわからず聞いて良いものかどうかもわからず。

だからはっきりとした事情はよく分からないのですけどね。

 

父方の祖父は浜松の街で腕のいい大工だったとか。

それが父兄弟がまだ幼いうちに、なんか急死したんだとか。

大正から昭和の頭の時代の話で。

当時、自分がガキ時代なんぞ比較にならないほどな~んにもない時代ですもんね。

一例で言えば、田舎は上水道も下水道もない社会で。

電気だってほとんど田舎には縁のない社会。

当然保険関係なんてなんの保証もない時代ですもんね。

当時の家はそれぞれそれなりに子供数も多い例に漏れず父の兄弟も5・6人はいたのでしょう。

それで一家の大黒柱が死んだとなれば、後家さんは子供たちを抱えて、当然実家に頼るしかなかったのでしょう。

 

でもね~。

そうするとどういう目に遭うか、想像に難くないですねぇ。

実家に戻る女性、しかも子供がそれなりの数。

兄は聞いたこともあるのかもしれませんが、実は父から父の幼少のそのころの話を自分は聞いたことがないのです。

兄から伝え聞いた話ですが、父の弟である叔父(既に故人)も「当時のことは思い出したくない」とのことです。

だから父方の祖母、つらかった後半の人生だったでしょうねぇ。

写真の一枚も残っていません。

もちろん祖父の写真もありませんが。

一般人の写真なんて、きっと昭和の戦争前後からなんでしょうねぇ。

 

ってことで。

かなり厳しい子供時代を過ごしたらしい父兄弟ですが。

そのつらさの中始まったのが太平洋戦争。

父ももちろん徴兵され父はたった一度だけ聞いた話ではたぶんソビエトとの戦線へ。

叔父の一人は南方で戦死。

この叔父については想像するのはつらいですねぇ。

享年16歳だったと記憶しています。

まだ子供ですよね。

南方の玉砕部隊の犠牲となった一人でしょうから。

つらかったでしょうね。

戦闘で死ねたのならまだいいでしょうが、大概は敗走のさなかの餓死や病死と言いますし。

父もそういうのとは別でしょうが、戦争中のたいへんさはねぇ。

 

とにかく。

それで父は帰還したのですが。

父の場合、実家の援助なんてないわけで。

しかも兄弟の長兄だったんだと思うし。

復員して、そこから一から商売を始めたのでしょうね。

 

そうすると。

ここからは母から若干の話は聞いたことがあるのですが。

すっげ~いやがらせを受けたとのことです。

もちろんそんなイヤなヤツばかりじゃないから商売が成り立ったのでしょうけどね。

ハンパじゃないいやがらせ。

 

一例を挙げれば。

うちで売っている和菓子の饅頭を入手して、底の皮を一旦剥いで中に農薬を詰め込んで。

今じゃ考えられないことしますよね。

それでその饅頭をうちに持ってきて怒鳴り込む。

 

「饅頭を拾ったが中に農薬の毒が詰め込まれている、

 おまえの店では毒饅頭を売っているのか!」

 

あぁた、食ってもいないのになんで毒饅頭だとわかった?

しかも「拾った」って、落ちてるものを食おうとしたんかぃ?

ま、どっちにしても警察沙汰にもなったらしいのですが、あまりに稚拙ないやがらせなので警察も相手にしなかったらしいですが。

とにかくそういう荒んだいやがらせ。

 

さらに。

商売をしていると、それだけで「カネを持っているように見える」らしく。

実際にはねぇ、今と違って借金一つするのにもその方法自体がないわけですしね。

ローンなんてないし。

とにかくその日その日をなんとか暮らすので精一杯なんですけどね。

それはともかく。

まぁ戦争直後はどこの家でも大変ですし。

でも今でも同じですが、隣の芝生は青く見える。

ってことで。

自分の実家よりよっぽど裕福な家なんでしょうが。

ある近所の家の人間が「カネを貸してほしい」とのことで。

そんなカネはないのに「お互い様だから」となんとか工面していくばくかのカネを渡して。

 

で。

後日とにかくうちもカネがない。

マジ、明日食うコメが買えないくらいじゃなく。

商売のための材料の支払いもできない。

で。

母はそのいくばくか都合したことを思い出し、いくらかでも戻してもらえるかとその家に頼みに行ったとか。

そこで遭ったことは。

 

「おたくなんかにカネを借りた覚えはない、

 貸してもいないカネを返せだと!

 とんでもない家だ!」

 

こういうのはほんの一例です。

日本ってそういう民族の国なんですよね。

 

長くなりましたが。

自分自身が遭ってきたこともあるのですがそれは置いといて。

そんなこんなでどうしても地元とかかわろうとするとそういうことが頭をよぎるのでしょう。

「地元の人間や浜松人は冷淡なのかもしれない」と感じてしまうのもそういうことからも関連して考えてしまうことなのかもしれません。

 

今は違うと思いたいとこですけどね。

とにかく。

実家地元で活動するってのはなかなか考えてしまいますねぇ。

峠を越えた愛知県側に親近感を感じてしまうのは、高校で通って幼少時代のトラウマを感じずに済むからなのかもしれません。

それでもちょっとずつは探ってみましょうか。