■『グッド・ストライプス』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]
2014年/日本映画/119分
監督:岨手由貴子
出演:菊池亜希子/中島歩/臼田あさ美/井端珠里/相楽樹/山本裕子/中村優子/杏子/うじきつよし/蕨野友也/木ノ本嶺浩/上原拓馬/大崎章/唐木ちえみ/ラテ
2015年 第31回 やりすぎ限界映画祭
■2015年 ベスト10 第4位:『グッド・ストライプス』
■やりすぎ限界グランプリ/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『グッド・ストライプス』
[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。
■やりすぎ限界女優賞:菊池亜希子
■やりすぎ限界男優賞:中島歩
■やりすぎ限界女優賞:山本裕子
■第2稿 2022年 7月20日 版
[「時間が止まった」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「菊池亜希子」「女優生命限界点」恐るべき「極限の美」]
僕が「初めて」、「超依怙贔屓」「自称」「永遠の下僕」「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「菊池亜希子」を見たのは「2015年」『海のふた』。『海のふた』の「時間が止まった」「ショック」「衝撃」で、同年の劇場公開作品『グッド・ストライプス』も見てしまう。跪いて「瞬間」「下僕」と化すのが僕の「運命」だったのかもしれない。
『海のふた』『グッド・ストライプス』を見て恐るべき「極限の美」に心奪われた。「超依怙贔屓」「自称」「永遠の下僕」「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「菊池亜希子」「全出演作品」を見る「決意」をした。デビュー作『東京の嘘』から『海のふた』まで、映画「13作品」に出演してること調べた。
■「え 産まないの?」
「てゆうかもう5ヶ月目だし
堕ろせないよ」
「俺はいいよ 産むので…
予定日4月8日なんだ」
「うん お釈迦様と同じ誕生日」
「へー いいじゃん」
■「ああ結婚 する… よね?」
「うん」
「うん」
「どうして?」
「いや 一応」
■「うち
お父さんが鉄工所で
お母さん経理で
お姉ちゃんデブ」
「13作品」「全部」見て、最初の頃見た『グッド・ストライプス』こそが、「一番菊池亜希子らしくない映画」だったこと思い知る。「恋愛」「仕事」に破れ「男性社会に挫折した就職女子の苦悩なら菊池亜希子にまかせろ!」な女優が、「初めて」「結婚」「幸せ」になる役。「超依怙贔屓」「自称」「永遠の下僕」「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「菊池亜希子」にとって『グッド・ストライプス』こそが、「もうこれ以上美しく菊池亜希子を撮れない」「女優生命限界点」 “棲息速度域” 恐るべき「極限の美」だったと思い知らされた。
[「試練」がない「安心」「平和」な生活]
■「絶対私のことバカにしてるもん
こないだ-
髪型が荻窪っぽいって言われた」
倦怠期のカップル緑(菊池亜希子)と真生(中島歩)。真生がインドに転勤しても、緑は殆ど連絡しない冷めた関係。真生は友達に「別れた」と話してたが、緑が妊娠する。
「堕ろす話」にならないで「完全共感」。もの凄い盛り上がる訳でもなく、「自然」に「結婚」が決まる。もの凄いドラマチックな「試練」がない「安心」「平和」な生活に、「俺もこうなりたい」と心から憧れた。僕には「もの凄く」「超うらやましい」。
[「アラ50」で「独り者」]
■「やっぱり俺 アイ・アム・ロボット
悪く言う人と結婚できないわ」
「言ってないじゃん
分けるならそこじゃないって言っただけ」
「絶対こうなると思った」
「なら思った時言えば」
「でタイトル書いてないの
何でこんなにあんの?
これ並べた時わかんないじゃん」
「わかる」
「これどうやったら
こんな割れんのよ?」
「知らない!」
「倦怠期のカップル」と「結婚」の現実を見せたのかもしれない。だが、「やっぱり俺 アイ・アム・ロボット 悪く言う人と結婚できないわ」「言ってないじゃん 分けるならそこじゃないって言っただけ」………… と、「言える相手」、「生涯を一緒に暮らす伴侶」がいる「幸せ」が、僕には生きてて一番の「幸せ」に見える。それは僕が「今」、「アラ50」で「独り者」の、「孤独」な毎日を生きてるからに尽きる。
緑と真生がそれぞれの親に結婚の挨拶に行く。淡々とした日常の、恐らく誰もが極限のくそリアリズムで似た経験をするのだろう。「結婚するということ」の「現実」が僕にはうらやましく見えてならない。
[何で「映画監督」になろうとしたのか?]
何で僕は「映画監督」になろうとしたのか? 「アラ50」になって人生を振り返る。なぜ「今」僕が殆ど毎晩「独り」で、『グッド・ストライプス』のような映画を「涙を流しながら」見て、ビールにベロンベロンに酔っ払うことが「日課」になってるのか?
■「でも もらって頂けるなら…
ねぇ?
返品不可だから
フフフフフフ」
「あ いや
僕もそんな高給取りじゃなくて」
「これ家で漬けたの
箸伸ばして食べて」
「漬物食べられないから」
「20代」の頃、「菊池亜希子」のような恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” と「結婚」するには、どうしたらできるのかを考えた。『イン・ハー・シューズ』のように、男性社会での「夢」、「どうやって金持ちになるか?」の方法に、「映画監督」への挑戦を決意した。
僕の人生の「間違い」の始まりだった。「20代」の頃、脳みそが「鶏」くらいしかなかった。「鶏」の時の決意を疑うこともなく、「20代」から「30代」を突っ走ってしまった。
そしてある時気づく。「菊池亜希子」のような恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” と「結婚」するには、「映画監督」とか「俳優」が、「一番間違ってるんじゃないか?」と。生活できない収入しかなくて「遊び」としか思われない。社会から「最も信用されない人間」。「このまま続けても有名になんかなれない現実」が「40代」で見えた時、「映画のことしか知らない人間」、他に何も取り得もない「能無し」に成り果ててた。
[「あいにく俺は警官だ」]
■『インファナル・アフェア 無間序曲』より
■「お前は7年 うちにいる
デカだな」
「20年間」以上務めたバイト先で、「最も信用されない人間」を更生させようと、何度「就職」を迫られたか知れない。「20年間」もいて就職しない人間は正体を疑われる。「お前は7年 うちにいる デカだな」。「いい歳こいて」「就職」しない「バイト」は、もはや『アリとキリギリス』の「キリギリス」級「不真面目」「ろくでなし」「不良」にしか見えない。
■『インファナル・アフェア』より
■「俺を殺すか?」
「あいにく俺は警官だ」
「安心」「平和」な将来が全く想像できない「バイト」の日々は、「潜入」のような心境だった。だが “殉職した英雄 その志は永遠なり” となっても「後悔」しない決意で、「あいにく俺は俳優だ」と、「俳優」とか「映画監督」への決意を貫いた。
と、書くと、もの凄く「カッコいい」イメージだが、「現実」は「自意識過剰」な、「完全勘違い」、「妄想」「白昼夢」「幻覚」でしかない。脳みそが「鶏」くらいしかなかったから、「一番間違ってるんじゃないか?」と「40代」まで「解かんなかっただけ」。さらに、映画のことしか知らない「能無し」に成り果ててたから、「菊池亜希子」のような恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” を「口説く方法」が、もう「解かんなくなってしまっていた」。
僕は「もの凄く頭が悪い」。自分が「どんな人間か」「どんな男か」、女性への「アプローチの方法」、「口説く方法」さえ、映画を通してしか表現できなくなっていた。
[「隣の芝は青い」]
■「子供の頃から
何か期待してもいつも違うことが起こる」
「大丈夫だよ
私には何も起こんないから
私には 特別なことなんて
何も起こんないから
大丈夫
今日だってどうせ 地味に救助されるだけだよ」
「アラ50」になって人生を振り返る。何で僕は「映画監督」になろうとしたのか? 「菊池亜希子」のような恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” と「結婚」するなら、「最初からこんことしなきゃよかった」。
「もしも」僕が、「超依怙贔屓」「自称」「永遠の下僕」「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「菊池亜希子」のお母さんに、「返品不可だから」なんて言われたら、「幸せ過ぎて死んでしまうかもしれない」。
「自然」に「結婚」が決まる。もの凄いドラマチックな「試練」がない『グッド・ストライプス』に、「俺もこうなりたい」「もの凄く」「超うらやましい」と「死ぬほど」「今」、「心から憧れる」のは、「亀がくしゃみをした」世界に帰りたくても、「もう戻れない」から。
「隣の芝は青い」。僕が殆ど毎晩「独り」で、『グッド・ストライプス』のような映画を「涙を流しながら」見て、ビールにベロンベロンに酔っ払うことが「日課」なのは、ドラマチックな「試練」がない「安心」「平和」な生活が、「もの凄く」「超うらやましい」から。だがもう「後悔」しても「無駄」。この先の人生はもう「自分にできること」をして生きるしかない。もはや「なるようにしかならない」。
画像 2022年 7月