『ネバーランド』 | やりすぎ限界映画入門

やりすぎ限界映画入門

ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『ネバーランド』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2004年/イギリス=アメリカ映画/100分
監督:マーク・フォースター
出演:ジョニー・デップ/ケイト・ウィンスレット/ダスティン・ホフマン/ケリー・マクドナルド

2005年 第21回 やりすぎ限界映画祭
2005年 ベスト10 第1位:『ネバーランド』
やりすぎ限界パルムドール/やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『ネバーランド』


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界男優賞:ジョニー・デップ


やりすぎ限界女優賞:ケイト・ウィンスレット


[<事実に着想を得た物語>]



1900年の記録で<事実に着想を得た物語>はどこまで事実かわからない。『ピーター・パン』は何作も書かれ現在の形へ書き換えられた。脚本家や監督が要求されるのは「どこまで本当のことに見えるか?」を残された歴史の記録を基に「成立」させられるかだ。極限のくそリアリズムなくして観客は共感できない。「実話を基にした創作」の面白さはここにある。だがマーク・フォースター監督は極限のやりすぎ限界映画をこの世に生み出した。

[人間の想像力は何もない無から生まれない]



「人間の想像力は何もない無から生まれない」は、映画監督梶間俊一の教えだ。「H・R・ギーガーがデザインしたエイリアンでさえ地球上に存在する物質の何かの形が基になってる」「人間は一度も見たことも聞いたこともない完全な未知の物を想像することができない」「人間の想像力は過去の自分が見聞きした経験上の物に置き換えてしか生み出せない」と言う。

「ピーター・パン」「ティンカーベル」「フック船長」。微塵のリアリズムも感じないブっ飛んだ創作の中にも人間のリアリズムが存在した。人間の創作物に「1000%嘘」が絶対「ありえない」証明だ。この世の全ての「創作物」「想像力」が生身の人間の現実の経験から生まれてることを『ネバーランド』が見せる。真実は創作物に「こんなの嘘だ」と言う「完全な嘘」が一つもないということだ。

[人間の想像力「嘘」の偉大さ]



■「子供たちは わかってる
  病気じゃないフリはよせ」
 「フリ?
  あなたが “フリ” を
  教えたのよ
  信じれば現実を変えられると」


「嘘を吐かない」。この美しい響きの言葉は時と場合により人間を自殺させるほど残酷なことにもなる。本当に嘘を吐かないとは明日癌で死ぬ人間に「おまえは明日死ぬ」とハッキリ言うこと。真実は人間の想像力が生み出す「嘘」が社会の秩序を守ってる。

「想像力」が生み出す「嘘」と「創作物」が人間の心を癒やす。愛する家族のために「私はフリを続けるわ 最後まで あなたと」と言うシルヴィア・L・デイヴィズ(ケイト・ウィンスレット)の魂の叫びに涙が出た。シルヴィアと家族の心を救ったジェームズ・M・バリ(ジョニー・デップ)の想像力におしっこ垂れ流し状態だった。『ネバーランド』は「嘘」が人間の心を救う極限の優しさと成り得る真実をも見せた。

[「新しいこと」への挑戦と批判]



「新しいこと」に挑戦する人間はいつの時代も叩かれる。『ピーター・パン』で厳しい批判を受けるジェームズ。現実は失敗して責任を取らされる人間が大多数だ。失敗した人間の末路は多額の負債を抱える。だがこの恐怖に打ち勝たねば人生の成功はない。

[本物の「フック船長」]



■「すばらしい」

スティーブン・スピルバーグ監督は『E.T.』で『ピーター・パン』をリスペクトした。それでも足りず『フック』まで到達する。『ネバーランド』のプロデューサー役がモノ本の「フック船長」でまずおしっこを漏らした。

だが極限狂気は “ピーター・パン 初日” だ。「イカれとる」と批判したチャールズ・フローマン(ダスティン・ホフマン)=モノ本の「フック船長」が、ピーター達が宙に浮くのを見て「すばらしい」と目を潤ませる。病的な映画ヲタクには刺激が強すぎた。もはや床は洪水状態だった。ジェームズ・M・バリの「新しいこと」への挑戦と勇気を合わせたこの狂気の演出。涙なしに見れるかを問いたい。

[決め台詞]



■「これがネバーランドだ」

あまりに「やりすぎ」で、聞いた瞬間に大きい方が出る寸前まで追いつめられる台詞が「決め台詞」だ。映画史に刻まれる極限の「決め台詞」が『ネバーランド』から生まれた。

「内容を言わないで」と言う映画ファンもいるだろう。だが「極限の映画ヲタク」は内容を知った上でそれが「真実」か「嘘」かを確かめる。またその真実が「自分の想像」をどれだけ超えるかを確かめる。何回見ても大きい方が出る寸前まで追いつめられる映画が “本物” の極限のやりすぎ限界映画だからだ。「これがネバーランドだ」がなぜ「決め台詞」かを自分の目で確かめてほしい。「ヤバ男」とは何か? ジョニー・デップがやりすぎ限界男優賞の称号を与えられた真実を思い知るだろう。




画像 2014年 7月