『シザーハンズ』 | やりすぎ限界映画入門

やりすぎ限界映画入門

ダイナマイト・ボンバー・ギャル

■自称「本物のエド・ウッド」(※活動再開準備中)
■「やりすぎ限界映画」評論


テーマ:

■『シザーハンズ』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

1990年/アメリカ映画/105分
監督:ティム・バートン
出演:ジョニー・デップ/ウィノナ・ライダー/ダイアン・ウィースト/ヴィンセント・プライス


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界女優賞:ウィノナ・ライダー


やりすぎ限界男優賞:ジョニー・デップ


■第3稿 2015年8月29日 版

[淀川長治「愛の映画」]


■淀川長治



『日曜洋画劇場』での『シザーハンズ』TV初放映時の淀川先生の解説が忘れられない。今DVDで見れる解説は再放映時のもの。初放映時は「5回」見て「5回」とも「泣いた」という解説だった。今この狂気の解説を再び見れないのが残念でならない。大きい方が出るほど怖かった。僕は21歳のリアルタイムで見た時『シザーハンズ』の “本質” が理解できなかった。「5回」とも「泣いた」という淀川先生の言葉が理解できない恐怖。人間として僕に「やさしさ」の度量がないことを叩きつけられた恐怖だった。



あらゆる本に掲載された『シザーハンズ』の評論から、淀川先生がどれほど好きだったかが今伝わる。僕が『ロッキー・ザ・ファイナル』を映画館に「4回」見に行ったのは淀川先生の影響だった。「愛の映画」の意味が最近まで理解できなかった。なぜ「愛の映画」かは淀川先生の評論以上のものはないかもしれない。僕は今も淀川先生から映画を学んでる。

[「まぁ可哀想に」]



■「ちょっと怖いね、グロテスクですね。長いハサミが、両手についてたんですね。そこへ、女の化粧品売りにきたおばさんが、それを見て「きゃーっ!」と言わないで、「まぁ可哀想に」、そう言ったんですね。いいなぁ、ここがいいですね。「まぁ可哀想に」。「いらっしゃいいらっしゃい」。

■「化粧品売りのおばさんが、「まぁ可哀想ね」と言ったところで、この映画は見事な、愛の映画になりましたね。という訳で怖いもの、汚いものを見て、ああ汚いな怖いなと叩き潰す。こういう癖がありますね。みなさん毛虫を見ても蛇見てもああ怖いと叩きますね。殺しますね。蛇がどんな悪いことするんでしょうか? あの毛虫がどんな悪いことするんでしょう? 叩き殺しますね。いけないことですね」
(『日曜洋画劇場』より)

■「これ見たら、『E.T.』思い出した。妙な人間を、みんながびっくりしたり、珍しがったりしながら、これだけかわいがる。そこに感激した」
(『おしゃべりな映画館③』より)

「外見で人間を判断してはいけない」。エドワード(ジョニー・デップ)の心の美しさは「ハサミの手」からは判断できない。その人間がどんな人間かは “人間の本質” を見なければ絶対判断できない。「ハサミの手」は「外見で人間を判断してはいけない」ことの誇張表現だ。「人間の思考は全て行動に現れる」ように「やさしさ」はエドワードの「行動」によってキム(ウィノナ・ライダー)に伝わる。「毛虫がどんな悪いことするんでしょう?」最近まで僕にはこの「やさしさ」が見えなかった。

[「やったらやれる」]



■「こういう人もやったらやれるということ。生活ね。そういうものをジメジメしないで描いている。それでいて、哀しいんだね。でも「エレファントマン」なんかと違って、みんながいじめないでしょ。そこが、うれしいな」

■「この子がだんだんデザイナーみたいになってくる。自分のハサミを使って、庭の木を刈り、奥さんたちの髪の毛をカットし、氷の彫刻まで作る。ああいう、ハサミの手でもやったらやれるんだということね」
(『おしゃべりな映画館③』より)

「どんな人間にも必ず取り柄がある」。「座頭市」が目が見えなくても「居合の達人」のように「長所」と「短所」があって人間。「この世にダメ人間はいない」ことを『シザーハンズ』が叩きつける。「外見で人間を判断してはいけない」ことに始まり “人間の本質” を見極めることを僕は淀川先生から学んだ。

[「可哀想」]



■「抱いて」
 「出来ない」


■「このハサミ男が、可愛らしいお嬢ちゃんに、恋をします。好きになって好きになって、その彼女を抱こうと思っても抱けないのね。だってこの男は両手がハサミ。ハサミといっても日本のハサミみたいに小さいものじゃないんです。先が鶴の口ばしよりも大きなハサミなんです。だから、抱き合っても抱きしめられないのね。このあたりは観ていて可哀想だと思いますね」
(『わたしは映画からいっぱい愛をもらった』より)

「どんな人間も必ず哀しみを背負ってる」。人生が「全部思い通りになる」人間など「絶対ありえない」。欠点のない人間はいない。誰もが「悲劇性」を背負って生きてる。「苦しいのは自分だけではない」と『シザーハンズ』から学んだ。「出来ない」人生だった僕もエドワードの苦しみに涙が出た。

[氷の彫刻から降る雪 “Ice Dance” 「極限の美」]



キムの氷の彫刻から降る雪の “Ice Dance”。「どんな人間にも必ず取り柄がある」ことが一番輝くシーン。ここまで美しい「極限の美」は滅多に見ることができない。映画史に刻まれる「極限の美」が淀川先生の「やったらやれる」「愛の映画」が何かを叩きつける。「この世にダメ人間はいない」ことを見せる「極限の美」を涙なしに見ることはできない。

[俺の人生の間違い「許すことができなかった」心の狭さ]



■「なぜ承知したの?」
 「君が頼んだから…」


強盗に入って逮捕されるエドワード。「君が頼んだから…」の一言でキムを許す。僕にもエドワードの心の度量と寛大さがあったら、僕の人生は今頃変わってたかもしれない。

「どこまで許せるか」で人間の度量は決まるのかもしれない。キリストが偉大なのは「全てを許した」からだ。今僕が不幸なのは『シザーハンズ』が「愛の映画」だとわからなかったからだ。僕の不幸の原因がエドワードほどの「やさしさ」がなかったからだと悟った。自分の「心の狭さ」を思い知らされ涙が出た。「核ミサイルのスイッチを押す」ことまで許すのは間違いだが、僕は許せる限り許すことに挑みたい。「エドワードのように生きたい」と今僕は過去の過ちの「反省」と「償い」の日々を生きてる。僕もキムと幸せになるために、エドワードの「やさしさ」に近づく努力をしたい。




画像 2015年 8月

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