『ジャスミンの花開く』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『ジャスミンの花開く』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2004年/中国映画/129分
監督:ホウ・ヨン
出演:チャン・ツィイー/ジョアン・チェン/チアン・ウェン

2006年 第22回 やりすぎ限界映画祭
2006年 ベスト10 第1位:『ジャスミンの花開く』
やりすぎ限界パルムドール/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『ジャスミンの花開く』

D.B.G.生涯の映画ベスト100
第96位:『ジャスミンの花開く』


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界女優賞:チャン・ツィイー


やりすぎ限界女優賞:ジョアン・チェン


■第4稿 2019年 4月15日 版

[「茉」「莉」「花」の生涯]



『ジャスミンの花開く』は、1930年代の「茉」、1950年代の「莉」、1980年代の「花」の母娘三代の女性達をチャン・ツィイーが一人三役で演じる。母娘三代に渡る、「茉」「莉」「花」達の「結婚」「育児」に生きた生涯が描かれる。



「女性」について男は想像しかできない。知ってることは「子供がほしい」本能があること。僕が今生きてるのも母親の本能のお陰。母が産んでくれなければ、僕は今映画を見ることもできない。『ジャスミンの花開く』が見せた、「セックスしたい」酷い男に負けない、「子供がほしい」強い女に、僕は「圧倒」され「尊敬」した。

[「女を妊娠させて逃げる男」]



子供を堕ろす手術の痛みは男の僕に解らない。どのくらい痛いのだろう? 見てるだけで僕もお腹が痛くなってくるほど怖い。「女を妊娠させて逃げる男」。こんな「酷い男」が実際にいるのが見てて申し訳なかった。男は逃げられた女性の「苦しみ」から目を背けてはならない。男の「セックスしたい」が、どれほど女性に迷惑かの極限のくそリアリズムを思い知る。

[女性にとって「最高の幸福」「最悪の不幸」]



女性にとって最高の幸福が「最高の環境での育児」なら、最悪の不幸は「最悪な環境での育児」だろう。「最悪な環境での育児」とは「男の援助なしの貧困状態でする女性一人の育児」だ。女性の行動の殆ど全てが、そうならないための努力に見える。



だが男の僕に理解できない感覚は、「最悪な環境での育児」になってさえ子供がほしい女性がいること。現代では産まない女性もいるが、「120%産まない女性」でない現実に男の僕は驚愕する。これが「母性」だとしか想像できない。この最悪な環境で「産む」と決意する、「茉」、「花」の生き方に、度肝を抜かれ震撼した。



■「子供は軽々しく
  産むものじゃないわ
  私はそのために一生を
  誤ったんだから」
 「誤ったかどうかは
  子供がいなければ
  もっと悲惨だったかも」


お婆さんの「茉」が孫の「花」の出産を止めるシーン。「茉」が「子供は軽々しく 産むものじゃないわ 私はそのために一生を 誤ったんだから」と説得すると、「花」は「誤ったかどうかは 子供がいなければ もっと悲惨だったかも」と言い返す。



女優として映画スターになりかけてた「茉」は、「花」の母親の「莉」を産んだことをずっと後悔してた。仮に「茉」が「莉」を産まずに女優を続けてたとしても、成功したか失敗したかは、いくら想像しても本当はわからない。「茉」が「莉」を産んで成功か失敗かも、本当はわからないという話。人間の人生とはそういうものだと僕も思う。「最悪の環境での育児」の状況にいて、「子供がいなければ もっと悲惨だったかも」と思える価値観に驚愕した。「自分は不幸」だと思ってたことが、第三者の視点からは幸福にも見えるということ。男の僕にこんな考え方はできなかった。



「女を妊娠させて逃げる男」のことなんか考えてるより、「子供がいた方が幸せ」だという考え方は、「男」の僕には想像もできなかった。「びっくりした」。もの凄い衝撃を受けた。女性の「子供がほしい」が男の「セックスしたい」に負けてないことを「感じた」。

[「母性」の強さ「第一章 茉」]




この時代の手術では、二度と妊娠できなくなる失敗もありそうに見える。「怖い」と逃げる「茉」の怖さが伝わった。だが手術の前に「茉」は、本当は孟社長にちゃんと父親になってほしかっただろう。子供を捨てる母親もいるのに、「茉」は一人で「莉」を育てる人生を選ぶ。「子供がほしい」本能が映画スターでも変わらないことを僕は思い知った。「茉」の「母性」の強さを感じ圧倒された。

[「母性」の強さ「第二章 莉」]




「莉」の精神異常の原因は「不妊」だった。これほど「子供がほしい」ことに苦しむのだろう。精神異常が進行し、「莉」は最愛の夫が養子の娘「花」を強姦した幻覚を見てしまう。幻覚を見たのは「自分の娘ではないから」なのかもしれない。どれほど「子供がほしい」ということに情念があるかを「感じた」。夫を自殺に追い込み、自分も自殺で人生を終えた全ての原因は「不妊」。「莉」の「母性」の強さを感じ圧倒された。

[「母性」の強さ「第三章 花」]




この時代の手術では、妊娠できなくなる失敗は少ないかもしれない。だが男に裏切られても、「最悪な環境での育児」を決意する「花」。なぜ堕ろさないのか? 男をまだ好きだからか? もはや男は関係ないのか? 僕にはもう理解できない「子供がほしい」本能に驚愕した。病院に辿り着けない大雨の路上で、「花」の誰の助けもない出産が始まる。たった一人でも産むという「執念」に、「花」の「母性」の強さを感じ圧倒された。

[「子供への想い」]



「茉」が女優をあきらめた理由が「莉」を産むことだったのに、全生涯と引き換えに産んで育てた「莉」が自殺する。これ以上哀しことはないだろう。「もし僕だったら」、「アル中」に堕ちて再起不能かもしれない。生きる全部を失うほどの衝撃に見えた。



だが「茉」は養子の「花」を「孫」として育てた。「子供への想い」。誰にでも真似できることではない。「育児」と対峙する「茉」の生き方は「本能」なのか「母性」なのか? 男の僕にとって『ジャスミンの花開く』は、「驚愕」「震撼」「圧倒」の連続だった。

[チャン・ツィイー女優生命限界点「極限の美」]



『やりすぎ限界映画』とは?[定義⑤]『恋愛映画における女優の私見』において、僕はチャン・ツィイーと結婚したいと “本気” で思った。『ジャスミンの花開く』は「もうこれ以上美しくチャン・ツィイーを撮れない限界点に到達してる映画」で、現時点でのチャン・ツィイーのベスト1の映画だ。2018年現在でこれ以上美しいチャン・ツィイーを見ることはできない。



「莉」の、「子供がほしい」「母性」の強さ。「茉」と「花」の、「酷い男」に負けない「子供がほしい」「母性」の強さ。「茉」「莉」「花」の「極限の美」に、僕は「圧倒」され「尊敬」するしかもはやなす術はなかった。






画像 2018年 5月