![](https://stat.ameba.jp/user_images/20090425/02/rockcape-ship/da/83/j/o0455005810170764957.jpg)
最近、ときどき呟くようになりました。
Twitter→https://twitter.com/engiecof
★ 2014年7月 TBS『私の何がイケないの?』出演。
★ 2014年6月 日本テレビ『人生が変わる1分間の深イイ話』、フジテレビ『クイズ30』出演。
★ 2013年10月 フジテレビ『ネプリーグ』出演。
★ 2013年7月 日本テレビ『ヒルナンデス』、テレビ朝日『Qさま』出演。
★ 2013年4月13日 関西テレビ『雨上がり食楽部』出演。
★ 2013年2月26日 日本テレビ『今夜くらべてみました』出演。
★ 2013年1月18日 TBS『ぴったんこカン・カン』出演。
★ 2012年11月4日 日本テレビ『解決!ナイナイアンサー』出演。
★ 2012年10月30日 日本テレビ『踊る踊る!さんま御殿!! SP』出演。
★ 2012年9月26日 テレビ朝日『くりぃむクイズ ミラクル9』出演。
★ 2012年9月20日 日本テレビ『AKB48 vs おネエ48 vs 芸能ファミリー48』出演。
★ 2012年4月3日 テレビ朝日『中居正広の怪しい噂の集まる図書館』出演。
★ 2012年2月4日 フジテレビ『にじいろジーン』出演。
★ 2011年 ウェブアニメ『MISTEEZ』シナリオ。
★ 2011年11月13日 日本テレビ『誰だって波瀾爆笑』出演。
★ 2011年9月13日 日本テレビ『火曜サプライズ』出演。
★ 2011年7月19日 日本テレビ『メレンゲの気持ち』出演。
★ 2011年7月9日 日本テレビ『踊る!さんま御殿!!』出演。
★ 2011年6月20日 テレビ朝日『徹子の部屋』出演。
★ 2011年3月『OVA:The Epic of Zektbach~シャムシールの舞』シナリオ。
★ 2011年3月6日 日本テレビ『誰だって波瀾爆笑』出演。
★ 2011年2月22日 日本テレビ『魔女たちの22時』出演。
★ 2010年9月『ドラマCD:The Epic of Zektbach~Blind Justice』シナリオ。
★ 2010年3月『ドラマCD:The Epic of Zektbach~FRAGMENTS OF ARIA TE ‘LARIA』シナリオ。
サブセレ。
ご訪問、ありがとうございます!
しばらく、こちらのブログは停止いたします。
娯楽サイト『Subcelebrity Race〜サブセレ』を開設しておりますので、そちらにアクセスくださいませ。
映画やドラマ、商品のレビュー、ねこ写真、ポエムやら小説やらを載せております。
よろしくお願い致します。
↓コチラ
逃げて私! 今すぐ日本へ逃げるのよ! 〜番外編: ローマのホテル
2001年4月。
13年後の4月と同じように、私は『日々のリセット』を願ってニューヨークへ旅立った。このときは3ヶ月の滞在となった。
7月に一時帰国し、10月に再渡米する予定であったが、ご存知の通り9.11が発生した。両親の反対もあって、私はリセットも半ば日本に残った。
『残った』——まさに心残りだった。
ニューヨークで親しくなった友人のなかに、中東系仏人のモハメド君がいた。
彼は熱心なムスリムで、生真面目だが愉快なひとだった。諸事情あって皆が私を『ビッチ』呼ばわりするなか、礼儀正しく接してくれたのは、彼と韓国の人々だけであった。
モハメド君は戒律に背くまいと、煙草の代わりに常にストローをくわえていた。予備のストローをワイシャツの胸ポケットにストックしていたほどだ。
9.11のあと、愛国法が施行されてから一度だけ「警察に目をつけられている。僕はなにも悪いことをしていないのに」と、国際電話があった。
「逃げて、モハメド! 今すぐフランスへ逃げるのよ!」
没交渉になったいまでも、彼のことは頻繁に思い出す。
今日もストローをくわえているのだろうか。
と、いうわけで、ローマのマムーンが喫煙しているのを見て、少しだけ驚いた。戒律の解釈もひとそれぞれなのだろう。
彼は夜間責任者で、昼はアフロ君がホテルを執り仕切っている。
アフロ君の本名は知らない。
一見すると爆発ヘアのB系男子だが、おそらく彼も中東系だったと思う。
気怠そうに、いつでも誰かと電話をしている。フロントでゴキゲンな音楽を鳴らしていて、その音量は客室の私の耳にも入るほどだ。
だが、彼はイヤなヤツではないし、仕事のできるヤツだ。
これまでの記述でも判るように、ローマで滞在したホテルは、良い意味でも悪い意味でも『学生寮』のようだった。
それでも、ホテルはホテル。
毎日、客室に清掃が入る。
これは私にとって意外なことであったので、初日は枕にチップを置くのを忘れてしまった。
清掃員を見て、挨拶を交わし、建物の廊下に出たところで、これはマズイと思った。疑心暗鬼になっていたので『チップを渡さなければ、荷物を荒らされるかもしれない』と、考えたのだ。
客室に残したトランクは、重くて太い鎖でタオル掛けに繋いであった。
TASロックの他に南京錠もつけていた。これを開いてまで窃盗を働くのは、割に合わないこと。事前に日本でつけられた知恵である。
だが、もしかしたら『歯ブラシを便器に浸す』等の陰湿な悪戯があるやも知れん(いま思うと恐ろしいほどの疑心暗鬼で、ホテルの連中に申し訳ない)。
踵を返し、ホテルの扉を乱暴に開き、私は清掃員をとっつかまえた。小銭入れのコインは2€玉のみ。それを掴ませて「ごめんなさい、チップを忘れていたわ」と、作り笑いをすると、清掃員は驚かされたようだった。
短く刈り込まれた髪に、洒落っ気のない服。
実直そうに見受けられたので、ひとまず胸を撫でおろす。
観光を終えて夕暮れ時にホテルへ戻ると、室内は整頓されていた。
あくまで『整頓』である。枕にミントチョコが置かれているわけでもない。
床に落ちた毛髪はそのままだし、タオルもシーツも他人の汗が臭うまま。冷蔵庫もないので、補充などもナシ。
ただ、ゴミ袋はスッキリと片付けられている。度々コンビニ袋を入手せずとも済むように、中身だけを抜いてくれていた(イタリアではコンビニ袋が有料である)。
だが——不思議なことが一点。
決して悟られぬように、飛行機から盗んだ『鬼太郎袋』に入れたガールズ☆ダスト。これだけは始末してくれなかった。不浄のものであるから、か。
……つまりは、なかを改めてから処理しているのだな……
それからは、ゴミを通じて無言の会話がなされているようだった。
化粧品サンプルの空き瓶から、ブランドが知られぬようにする。所詮はサンプル、富裕層と思われては困る。
靴の空き箱はペタンコに潰す。立派な靴箱も厄介なものだ。
豚肉の残骸には触れたくなかろうから、サルシッチャや生ハムの空き袋は厳重に梱包する。
かなりの気遣いをした。
その甲斐あってか?清掃員は私に親しみを覚え始めたようだ。
イタリアでの最後の夜。
2週間ぶりにローマへ戻った私に
「今夜はダブルベッドの部屋を用意した。私とあなた、あなたと私のために……!!」
と——ぬらぬら黒い眼球を真っ直ぐに向けてきたのだ……!!
「冗談でしょ、面白いひとね」と、躱すも「面白いことはナニも言っていない」と、更に眼力を強くする。
有無も言わさず、彼は私のスーツケースを誰もいない『離れ』に運んだ。
薄暗く、巨大なダブルベッドのみが鎮座する、殺風景な部屋。
窓は、開こうにも開けない構造である。
清掃員は
「ほら、あなたの部屋の向かいは私の部屋だ」
と……細い廊下を挟んだ先、禍々しく紅に塗られた扉を指差す。
ヒイィィィィーーーッ!!!!!
Oh, NO!!!! ピーンチッ!!!!!
そういうことに関する戒律ってないのかッ!!?
そこへ、気怠そうにアフロ君が出勤してきた。この離れは、従業員の控え室なのだ!
タスケテアフロクン!!!
どうやら、アフロ君と清掃員には上下関係があるようだった。
「ハヨザァッス! アフロ先輩!」
と、いうように、清掃員が襟を正す。
アフロ君は「あら久しぶり」的な軽い挨拶を私に投げて、とっとと母屋に消えていった。清掃員もチョロチョロと後をついていった。
まじリスペクトっス! アフロ先輩!!![キラキラ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/123.gif)
この夜。
私は
「そうか……だから宮本武蔵は風呂に入れなかったのか」
と、得心したのであった。とはいえ、斬ろうにも私に刀はない。
『ウォーキング・デッド』のことも思い出されて、扉の前に空き缶を吊るそうと考えてみたり。
一睡もできぬままに、翌朝を迎えたのであった……。
今回は番外編をお届けしました。
次回こそ『金返せ!~ローマパスの悲劇』をお送りします。
13年後の4月と同じように、私は『日々のリセット』を願ってニューヨークへ旅立った。このときは3ヶ月の滞在となった。
7月に一時帰国し、10月に再渡米する予定であったが、ご存知の通り9.11が発生した。両親の反対もあって、私はリセットも半ば日本に残った。
『残った』——まさに心残りだった。
ニューヨークで親しくなった友人のなかに、中東系仏人のモハメド君がいた。
彼は熱心なムスリムで、生真面目だが愉快なひとだった。諸事情あって皆が私を『ビッチ』呼ばわりするなか、礼儀正しく接してくれたのは、彼と韓国の人々だけであった。
モハメド君は戒律に背くまいと、煙草の代わりに常にストローをくわえていた。予備のストローをワイシャツの胸ポケットにストックしていたほどだ。
9.11のあと、愛国法が施行されてから一度だけ「警察に目をつけられている。僕はなにも悪いことをしていないのに」と、国際電話があった。
「逃げて、モハメド! 今すぐフランスへ逃げるのよ!」
没交渉になったいまでも、彼のことは頻繁に思い出す。
今日もストローをくわえているのだろうか。
* * * * *
と、いうわけで、ローマのマムーンが喫煙しているのを見て、少しだけ驚いた。戒律の解釈もひとそれぞれなのだろう。
彼は夜間責任者で、昼はアフロ君がホテルを執り仕切っている。
アフロ君の本名は知らない。
一見すると爆発ヘアのB系男子だが、おそらく彼も中東系だったと思う。
気怠そうに、いつでも誰かと電話をしている。フロントでゴキゲンな音楽を鳴らしていて、その音量は客室の私の耳にも入るほどだ。
だが、彼はイヤなヤツではないし、仕事のできるヤツだ。
これまでの記述でも判るように、ローマで滞在したホテルは、良い意味でも悪い意味でも『学生寮』のようだった。
それでも、ホテルはホテル。
毎日、客室に清掃が入る。
これは私にとって意外なことであったので、初日は枕にチップを置くのを忘れてしまった。
清掃員を見て、挨拶を交わし、建物の廊下に出たところで、これはマズイと思った。疑心暗鬼になっていたので『チップを渡さなければ、荷物を荒らされるかもしれない』と、考えたのだ。
客室に残したトランクは、重くて太い鎖でタオル掛けに繋いであった。
TASロックの他に南京錠もつけていた。これを開いてまで窃盗を働くのは、割に合わないこと。事前に日本でつけられた知恵である。
だが、もしかしたら『歯ブラシを便器に浸す』等の陰湿な悪戯があるやも知れん(いま思うと恐ろしいほどの疑心暗鬼で、ホテルの連中に申し訳ない)。
踵を返し、ホテルの扉を乱暴に開き、私は清掃員をとっつかまえた。小銭入れのコインは2€玉のみ。それを掴ませて「ごめんなさい、チップを忘れていたわ」と、作り笑いをすると、清掃員は驚かされたようだった。
短く刈り込まれた髪に、洒落っ気のない服。
実直そうに見受けられたので、ひとまず胸を撫でおろす。
観光を終えて夕暮れ時にホテルへ戻ると、室内は整頓されていた。
あくまで『整頓』である。枕にミントチョコが置かれているわけでもない。
床に落ちた毛髪はそのままだし、タオルもシーツも他人の汗が臭うまま。冷蔵庫もないので、補充などもナシ。
ただ、ゴミ袋はスッキリと片付けられている。度々コンビニ袋を入手せずとも済むように、中身だけを抜いてくれていた(イタリアではコンビニ袋が有料である)。
だが——不思議なことが一点。
決して悟られぬように、飛行機から盗んだ『鬼太郎袋』に入れたガールズ☆ダスト。これだけは始末してくれなかった。不浄のものであるから、か。
……つまりは、なかを改めてから処理しているのだな……
それからは、ゴミを通じて無言の会話がなされているようだった。
化粧品サンプルの空き瓶から、ブランドが知られぬようにする。所詮はサンプル、富裕層と思われては困る。
靴の空き箱はペタンコに潰す。立派な靴箱も厄介なものだ。
豚肉の残骸には触れたくなかろうから、サルシッチャや生ハムの空き袋は厳重に梱包する。
かなりの気遣いをした。
その甲斐あってか?清掃員は私に親しみを覚え始めたようだ。
イタリアでの最後の夜。
2週間ぶりにローマへ戻った私に
「今夜はダブルベッドの部屋を用意した。私とあなた、あなたと私のために……!!」
と——ぬらぬら黒い眼球を真っ直ぐに向けてきたのだ……!!
「冗談でしょ、面白いひとね」と、躱すも「面白いことはナニも言っていない」と、更に眼力を強くする。
有無も言わさず、彼は私のスーツケースを誰もいない『離れ』に運んだ。
薄暗く、巨大なダブルベッドのみが鎮座する、殺風景な部屋。
窓は、開こうにも開けない構造である。
清掃員は
「ほら、あなたの部屋の向かいは私の部屋だ」
と……細い廊下を挟んだ先、禍々しく紅に塗られた扉を指差す。
ヒイィィィィーーーッ!!!!!
Oh, NO!!!! ピーンチッ!!!!!
そういうことに関する戒律ってないのかッ!!?
そこへ、気怠そうにアフロ君が出勤してきた。この離れは、従業員の控え室なのだ!
タスケテアフロクン!!!
どうやら、アフロ君と清掃員には上下関係があるようだった。
「ハヨザァッス! アフロ先輩!」
と、いうように、清掃員が襟を正す。
アフロ君は「あら久しぶり」的な軽い挨拶を私に投げて、とっとと母屋に消えていった。清掃員もチョロチョロと後をついていった。
まじリスペクトっス! アフロ先輩!!
![キラキラ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/123.gif)
この夜。
私は
「そうか……だから宮本武蔵は風呂に入れなかったのか」
と、得心したのであった。とはいえ、斬ろうにも私に刀はない。
『ウォーキング・デッド』のことも思い出されて、扉の前に空き缶を吊るそうと考えてみたり。
一睡もできぬままに、翌朝を迎えたのであった……。
今回は番外編をお届けしました。
次回こそ『金返せ!~ローマパスの悲劇』をお送りします。
猫たちよ、盗んだバイクで走り出せ!! 〜ローマ旅行記3
万人にとっての『ローマの見所』。
それは、コロッセオであり——
それに隣接するフォロ・ロマーノ遺跡群であり——
もしくはヴァチカン美術館、システィーナ礼拝堂——
或いはスペイン広場と、その周辺に軒を連ねるブランドショップ……かもしれない。
私にとって、ミケランジェロの『システィーナ礼拝堂天井画』『最後の審判』は衝撃であった。ひとたび仰ぎ見れば、しばし放心状態とならざるを得ない。鎮座しているようで浮遊しており、絶対的なようで果敢なくもある。人類の才の頂点。生の躍動が未だに息づいている。
何世紀もの間に生命は循環したけれど、この絵画はこの絵画のままに、いつしか『不滅の生』をまっとうするだろう。
あくまで私見であるが、フィレンツェはウフィツィ美術館のレオナルド・ダ・ヴィンチ『受胎告知』などは、奥深くあれど物静かなもので、こちらから歩み寄らねばならないような代物だった。だが、ミケランジェロは毎度、『執拗にJKを追い回す露出狂』のようなディープインパクトをぶつけてくるのだ。震える。
ちなみに、ヴァチカン美術館内は原則撮影OKの様子だが、システィーナ礼拝堂のみ撮影厳禁・お喋り厳禁・ミニスカ厳禁。
ミケランジェロが設計を担当した『サン・ピエトロ大聖堂』も眺めた。
だが個人的に、建築や、彼が得意としていた彫刻よりも、絵画のほうが刺激的に感じられた。
そして……
万人にとっての見所、ではないかもしれない場所を紹介したい。それは『アルジェンティーナ神殿跡』だ。
パッと見はフォロ・ロマーノの延長線上にある、遺跡のひとつ。
しかし、近づいてみれば、そこは……
野良猫たちの巨大コロニーなのである!!
以下の流れはTwitterでの呟きと重複する。
鉄柵に囲まれ、侵入不可である遺跡であるが、回り込むと階段がある。それを降りれば、猫の楽園へ踏み込むこととなる。
レストランの厨房脇、10畳ほどのスペースに常時入れ替わりに4~5匹。皆、餌をねだるでもなく、媚びるでもなく、ただただ満足げだ。
ある猫は木の上でシエスタを決め込み……
ある猫は『紫のスーツのオヤッサン』に捕まっている。
……『紫のスーツのオヤッサン』……?
紫というより、光沢のある藤色である。
オヤッサンは私に「こっち」と手招きをした。「ほら、絶好のシャッターチャンスだ」と、看板の前で居心地悪そうにしている猫を指差した。それもそのはず、この不憫な猫はオヤッサンによって運ばれてきたのだ。
イタリアでは野良猫を『自由猫』と呼ぶそうだが、明らかに自由を奪われ、憮然としている。
すると、オヤッサンが「ペンを貸せ」と言う。
懐にしのばせていたのは親父の形見のモンブランである。到底、見ず知らずのオヤッサンには渡せない。「ない」と応えると、彼は厨房に上半身を突っ込んで、コックにペンを持ってこさせた。
同じくコックから受け取った紙ナプキンに、なにやら走り書きをしている。
よもや、電話番号ではあるまいか?
これが、イタリアでの初ナンパなのか?
でも、このひと……殆ど歯が無いし……!!
色々な意味で高鳴る胸を押さえ、その紙を受け取った。
そこにあったのは『ローマ猫.net』と、いうようなURL。
「君が撮った写真、ここにアップして」
単なる『猫好きオヤッサン』は、そう言い残し、他の観光客の元に猫を運んで行った。
この日は遺跡近くのカフェで、昼食をとった。
次回は『金返せ!~ローマパスの悲劇』を、お送り致します。
それは、コロッセオであり——
それに隣接するフォロ・ロマーノ遺跡群であり——
もしくはヴァチカン美術館、システィーナ礼拝堂——
或いはスペイン広場と、その周辺に軒を連ねるブランドショップ……かもしれない。
私にとって、ミケランジェロの『システィーナ礼拝堂天井画』『最後の審判』は衝撃であった。ひとたび仰ぎ見れば、しばし放心状態とならざるを得ない。鎮座しているようで浮遊しており、絶対的なようで果敢なくもある。人類の才の頂点。生の躍動が未だに息づいている。
何世紀もの間に生命は循環したけれど、この絵画はこの絵画のままに、いつしか『不滅の生』をまっとうするだろう。
あくまで私見であるが、フィレンツェはウフィツィ美術館のレオナルド・ダ・ヴィンチ『受胎告知』などは、奥深くあれど物静かなもので、こちらから歩み寄らねばならないような代物だった。だが、ミケランジェロは毎度、『執拗にJKを追い回す露出狂』のようなディープインパクトをぶつけてくるのだ。震える。
ちなみに、ヴァチカン美術館内は原則撮影OKの様子だが、システィーナ礼拝堂のみ撮影厳禁・お喋り厳禁・ミニスカ厳禁。
予約した場合、エントランスでパスポートの提示を求められる。
早めに到着しておこう。
ミケランジェロが設計を担当した『サン・ピエトロ大聖堂』も眺めた。
だが個人的に、建築や、彼が得意としていた彫刻よりも、絵画のほうが刺激的に感じられた。
そして……
万人にとっての見所、ではないかもしれない場所を紹介したい。それは『アルジェンティーナ神殿跡』だ。
パッと見はフォロ・ロマーノの延長線上にある、遺跡のひとつ。
しかし、近づいてみれば、そこは……
野良猫たちの巨大コロニーなのである!!
以下の流れはTwitterでの呟きと重複する。
鉄柵に囲まれ、侵入不可である遺跡であるが、回り込むと階段がある。それを降りれば、猫の楽園へ踏み込むこととなる。
レストランの厨房脇、10畳ほどのスペースに常時入れ替わりに4~5匹。皆、餌をねだるでもなく、媚びるでもなく、ただただ満足げだ。
ある猫は木の上でシエスタを決め込み……
ある猫は『紫のスーツのオヤッサン』に捕まっている。
……『紫のスーツのオヤッサン』……?
紫というより、光沢のある藤色である。
オヤッサンは私に「こっち」と手招きをした。「ほら、絶好のシャッターチャンスだ」と、看板の前で居心地悪そうにしている猫を指差した。それもそのはず、この不憫な猫はオヤッサンによって運ばれてきたのだ。
イタリアでは野良猫を『自由猫』と呼ぶそうだが、明らかに自由を奪われ、憮然としている。
すると、オヤッサンが「ペンを貸せ」と言う。
懐にしのばせていたのは親父の形見のモンブランである。到底、見ず知らずのオヤッサンには渡せない。「ない」と応えると、彼は厨房に上半身を突っ込んで、コックにペンを持ってこさせた。
同じくコックから受け取った紙ナプキンに、なにやら走り書きをしている。
よもや、電話番号ではあるまいか?
これが、イタリアでの初ナンパなのか?
でも、このひと……殆ど歯が無いし……!!
色々な意味で高鳴る胸を押さえ、その紙を受け取った。
そこにあったのは『ローマ猫.net』と、いうようなURL。
「君が撮った写真、ここにアップして」
単なる『猫好きオヤッサン』は、そう言い残し、他の観光客の元に猫を運んで行った。
この日は遺跡近くのカフェで、昼食をとった。
次回は『金返せ!~ローマパスの悲劇』を、お送り致します。
神々の潜む街。と、そのトイレ事情。〜ローマ旅行記2
チェックインを済ませると、既に23時を回っていた。飲料水を確保しなくてはならない。
マムーンによると「徒歩2分でテルミニ駅だ。その地下にスーパーがある」とのこと。早速、闇夜を駆ける。
巨大な『Termini』という文字が眼前に迫ってきた。
確かに近い。だが、辺りは物騒である。
幸運にも、路地の正面にあるエスカレーターを降りると、すぐ手前に店があった。イタリアでは一般的な『Cnad(コナード)』というチェーン店である。
あとから判ったことだが、やはり観光地。住宅地の店舗よりも物価が高い。この夜は取り急ぎ、水とレッドブルを購入することができた。
水については、これまでの知恵の活かし所。大きなボトルで購入し、漏斗で小さなボトルに小分けする策を決行。大した知恵ではないが、1€前後で1Lは実にオイシイ。観光名所では500mlで2€以上することもザラである。
そしてもうひとつ、私の知恵が輝く。
それは——『ニッポンのトイレットペーパー』の持参だ。
イタリアの紙質は、日本で言うところのキッチンペーパー、もしくは藁半紙並みだ。ホテルの備え付けを使用し……
「この紙で拭き続けたならば、必ずや血を見ることとなる」
そう実感した。
更には、空港やデパート、カフェなどで御不浄を拝借すると、『紙がない』ことが『常』と言っても過言ではない。
有料(概ね2€)の公衆便所でさえ紙皆無である。少し巻き取って持ち歩くが良し。
ちなみに8割方は便座もないので、数十秒~数分間、尻を浮かせるだけの脚力も必要となる(便座除菌クリーナーでは歯が立たない不浄度である)。
ともあれ、酔いどれやホームレスの喚き声、昼夜を問わぬ犬の咆哮、鳴り止まぬサイレンを子守唄に、初日のローマはブラックアウトする。
無料Wi-Fiを謳っていた部屋は、まるで圏外。ネットでの調べ物は不可、ツイッターもスカイプも不通。他に、なずべきこともなかった。
翌朝、7時。
ガランゴロンと、容赦なく教会の鐘の音が響き渡る。
ホテルはマンションの広い一室を区切ったような造りなので、フロントの話し声、果ては隣室の鼾まで、音の洪水に呑み込まれたかのようであった。
『ここにはおられまい』と、腹を括る。
中芯から汗の臭う、薄い掛布から抜け出た。
「とりあえずはアソコへ向かおう」——シャワーを浴び、濃厚にアイメイクを施し、巨大なピアスを垂らして、到底日本人が選びようのないビビッドでクレイジーな服を身にまとった。
作戦通り、道では概ね「エスパーニャか?」と、声をかけられた。
用心には用心を重ねる。左手薬指にラブリング(質流れ品)。鞄には二つの南京錠。iPhoneは首から下げて服の下に隠した。
カメラを構えただけで『観光客である』ことは見え見えだ。
常に『殺気』を以てして、動く……。
ローマパスを購入していたので、7日間は地下鉄A線とB線が乗り放題だ(のちに、このローマパスに泣かされることとなるのだが……)。
駅構内は観光客で溢れ返っている。斜め掛けした鞄を腹に抱えて乗車。
Barberini駅で下車。
地図を広げる際は、物陰に隠れた。壁を背にし、周囲を警戒しつつ。
お陰で、すっかり道に迷ってしまった。
1.9mはあろうドイツ人らしき老夫婦が通りかかったので、道順を尋ねる。「自分で考えろ!」と、妻から叱責されるも、夫は親切に方向を指し示す。
そちらへ進むと、運良くカラビニエリ(国家憲兵)の群れに出くわした。その案内を受けて、土産物の屋台が並ぶ細道を進むと、パッと視界が開けた。
想像以上であった。圧巻。緻密で巨大な彫像が、複雑にも妙なる調和をもって配置されている。それが、神の御業であるかのように。
コインは投げず、ともかく前後左右に動きながら眺めた。
それでも、人垣から出てみると、ポケットが裏返しに引っ張り出されていた。これまたスリの神業である (ポケットになど物を入れるか、愚か者め)。
帰り路に休息が求められたので、アーケードのような建物内でカフェに立ち寄る。さて、いかに注文したものか?
ショーケースの向こうにバーテンダーのような男たちが見えたので、「オーダーできるか?」と、尋ねた。「ここで飲み食いするのならば、テーブルで待て」とのこと。日本と同じだ。
テーブルに着席すると、前の客が残したチップが置きっぱなしになっている。『この客を喜ばせたであろう正統な者に渡れば良いが』——そう願いながら「お忘れ物よ」と指差した。
近くのボーイが俊敏に駆け寄り、コインをかっさらい、去って行く。……おい、オーダーをきいてくれ(コイツにはチップをやらん)。
結局、illyのエスプレッソは、日本で飲むのと変わりがなかった。
チョコレートのコルネッティ(クロワッサン)は、甘みが控え目。まずまずの味。
その後、隣のRepubblica駅で下車。
駅から徒歩3分、ローマ三越の御不浄を拝借。清潔であった。
少しでもヒールがあると、石畳は堪える。ペタンコブーツを大通り界隈で購入。店員と談笑。
テルミニ駅に戻ると、またも地下に足を運び、Conadのプライベートブランドであるハムやチーズ、バナナとヨーグルトを購入。それらを夕餉として、ローマ2日目/観光初日は幕を閉じた。
シャワーを浴び、テレビはアニメチャンネル。日本のアニメが多く放送されていた。
消灯。
フロントより口論の声が漏れ聴こえる。路地で犬が吠えている。酔っ払いが甲高く笑っている。
汗臭い布団をかぶると、やがて喧噪は遠退き、深く深く、心地よい眠りに落ちていった。
次回は、ローマの見所へ。
マムーンによると「徒歩2分でテルミニ駅だ。その地下にスーパーがある」とのこと。早速、闇夜を駆ける。
巨大な『Termini』という文字が眼前に迫ってきた。
確かに近い。だが、辺りは物騒である。
昼間は物騒ではない。
幸運にも、路地の正面にあるエスカレーターを降りると、すぐ手前に店があった。イタリアでは一般的な『Cnad(コナード)』というチェーン店である。
あとから判ったことだが、やはり観光地。住宅地の店舗よりも物価が高い。この夜は取り急ぎ、水とレッドブルを購入することができた。
水については、これまでの知恵の活かし所。大きなボトルで購入し、漏斗で小さなボトルに小分けする策を決行。大した知恵ではないが、1€前後で1Lは実にオイシイ。観光名所では500mlで2€以上することもザラである。
漏斗は旅の必需品。
そしてもうひとつ、私の知恵が輝く。
それは——『ニッポンのトイレットペーパー』の持参だ。
イタリアの紙質は、日本で言うところのキッチンペーパー、もしくは藁半紙並みだ。ホテルの備え付けを使用し……
「この紙で拭き続けたならば、必ずや血を見ることとなる」
そう実感した。
更には、空港やデパート、カフェなどで御不浄を拝借すると、『紙がない』ことが『常』と言っても過言ではない。
有料(概ね2€)の公衆便所でさえ紙皆無である。少し巻き取って持ち歩くが良し。
ちなみに8割方は便座もないので、数十秒~数分間、尻を浮かせるだけの脚力も必要となる(便座除菌クリーナーでは歯が立たない不浄度である)。
ともあれ、酔いどれやホームレスの喚き声、昼夜を問わぬ犬の咆哮、鳴り止まぬサイレンを子守唄に、初日のローマはブラックアウトする。
無料Wi-Fiを謳っていた部屋は、まるで圏外。ネットでの調べ物は不可、ツイッターもスカイプも不通。他に、なずべきこともなかった。
翌朝、7時。
ガランゴロンと、容赦なく教会の鐘の音が響き渡る。
ホテルはマンションの広い一室を区切ったような造りなので、フロントの話し声、果ては隣室の鼾まで、音の洪水に呑み込まれたかのようであった。
写真映りの良い部屋だ。
『ここにはおられまい』と、腹を括る。
中芯から汗の臭う、薄い掛布から抜け出た。
「とりあえずはアソコへ向かおう」——シャワーを浴び、濃厚にアイメイクを施し、巨大なピアスを垂らして、到底日本人が選びようのないビビッドでクレイジーな服を身にまとった。
作戦通り、道では概ね「エスパーニャか?」と、声をかけられた。
用心には用心を重ねる。左手薬指にラブリング(質流れ品)。鞄には二つの南京錠。iPhoneは首から下げて服の下に隠した。
カメラを構えただけで『観光客である』ことは見え見えだ。
常に『殺気』を以てして、動く……。
ローマパスを購入していたので、7日間は地下鉄A線とB線が乗り放題だ(のちに、このローマパスに泣かされることとなるのだが……)。
駅構内は観光客で溢れ返っている。斜め掛けした鞄を腹に抱えて乗車。
Barberini駅で下車。
地図を広げる際は、物陰に隠れた。壁を背にし、周囲を警戒しつつ。
お陰で、すっかり道に迷ってしまった。
1.9mはあろうドイツ人らしき老夫婦が通りかかったので、道順を尋ねる。「自分で考えろ!」と、妻から叱責されるも、夫は親切に方向を指し示す。
そちらへ進むと、運良くカラビニエリ(国家憲兵)の群れに出くわした。その案内を受けて、土産物の屋台が並ぶ細道を進むと、パッと視界が開けた。
『トレビの泉』である。
想像以上であった。圧巻。緻密で巨大な彫像が、複雑にも妙なる調和をもって配置されている。それが、神の御業であるかのように。
コインは投げず、ともかく前後左右に動きながら眺めた。
それでも、人垣から出てみると、ポケットが裏返しに引っ張り出されていた。これまたスリの神業である (ポケットになど物を入れるか、愚か者め)。
帰り路に休息が求められたので、アーケードのような建物内でカフェに立ち寄る。さて、いかに注文したものか?
ショーケースの向こうにバーテンダーのような男たちが見えたので、「オーダーできるか?」と、尋ねた。「ここで飲み食いするのならば、テーブルで待て」とのこと。日本と同じだ。
この先の通路にテーブルが並んでいる。
テーブルに着席すると、前の客が残したチップが置きっぱなしになっている。『この客を喜ばせたであろう正統な者に渡れば良いが』——そう願いながら「お忘れ物よ」と指差した。
近くのボーイが俊敏に駆け寄り、コインをかっさらい、去って行く。……おい、オーダーをきいてくれ(コイツにはチップをやらん)。
結局、illyのエスプレッソは、日本で飲むのと変わりがなかった。
チョコレートのコルネッティ(クロワッサン)は、甘みが控え目。まずまずの味。
その後、隣のRepubblica駅で下車。
テルミニ駅以外は割と閑散。
駅から徒歩3分、ローマ三越の御不浄を拝借。清潔であった。
少しでもヒールがあると、石畳は堪える。ペタンコブーツを大通り界隈で購入。店員と談笑。
足首から上はメッシュ、牛革、イタリア製!
テルミニ駅に戻ると、またも地下に足を運び、Conadのプライベートブランドであるハムやチーズ、バナナとヨーグルトを購入。それらを夕餉として、ローマ2日目/観光初日は幕を閉じた。
シャワーを浴び、テレビはアニメチャンネル。日本のアニメが多く放送されていた。
フランス…万歳……!!
消灯。
フロントより口論の声が漏れ聴こえる。路地で犬が吠えている。酔っ払いが甲高く笑っている。
汗臭い布団をかぶると、やがて喧噪は遠退き、深く深く、心地よい眠りに落ちていった。
次回は、ローマの見所へ。
サントスは関係ない。〜ローマ旅行記1
放置の限りを尽くしたブログを、更新するときがきた。
今更だが、私は4/1~24の日程でイタリア三都市を旅した。
三都主と書いて『サントス』。旅のキッカケは、貯まったマイレージである。そして旅の目的は、リセットである。リフレッシュではなく、リセットをするために憧れの国を訪ねることにしたのだ。
第一の都市は、ローマ。
事前の調査では、在伊邦人と在日伊人が口を揃えて『ローマはアブナイ』と執拗に繰り返すのであった。スリ、ボッタクリ、詐欺、チョロマカシ。
彼らは『特に移民に注意しろ』と、警告する。
だが、果たしてそれは的を射た助言であったのか……?
私見に満ちた文面にて、この旅のありのままを記そう。
2014年4月1日。日本から『笑っていいとも!』が消えた日。
羽田空港を飛び立ち、14時間ほどのフライトでパリへ飛んだ。JALにはイタリアへの直行便がない。事前に英国の『EU激安旅』サイトで、パリ→ローマの往復格安航空券を押さえてあった。
ここで注意。
往路、カウンターでJALに預けた荷物はパリで乗換機に移してもらえる。だが、帰路にてエールFに預けた荷物は、一旦パリで受け取らねばならない。融通の利かない者共め……。
前回もまたスペインを訪ねる為の経由地であった。その頃と比べてみると、陰気さは薄れたか。ターミナルは新しく清潔で、トイレに紙があった。
そう、フランスのトイレには『紙があった』のだ。
このあと、それがいかに有り難き恩恵であったか、思い知らされることとなる。
EUへの入国審査はパリで済ませ、手荷物検査を受ける。
仏人検査員に『フィウミチーノ(ローマ空港)は物騒らしいね』
と、訊ねると、堰を切ったように
「あそこの荷物検査場には防犯カメラがない。係員は金目のものを抜く。この間も数名が検挙されたばかりだ」
と、いうようなことを捲し立ててくる(さて、その係員たちは移民であったろうか?)。
「マダム、気をつけなさい」——そうか、そうなのか……。私は既に、マダムであったか。その落胆を胸にしまい、しばし空港のWi-Fiを用いて母とSkype通話。
そう、フランスの空港は『Wi-Fi環境が整っていた』のだ。
ギュウ詰めのエアバス機は、多くのラテン系民族を乗せて飛び立った。
邦人はカップルを一組、見かけたのみだった。
2時間ほどでフィウミチーノに到着。21時を回っていたので、空港内は閑散としている。入国審査はパリで済ませてあったため、荷物を受け取って通り抜けるのみ。
到着ゲートでは、知人の知人の恋人・エンミさんが『Liz Ivasky』と書かれた紙を手に、私を待っていてくれた。一瞬、ロシア人を待っているのかと思った。
ホテルまで約1時間。彼女と、彼女の両親と共にドライブ。有り難かった。一家誰一人として英語が話せず、とてつもないアウェー感を味わうも、窓外を指差し「カラカラ!」と、ライトアップされた浴場を見せてくれたのが嬉しかった。
初めて見るローマ。闇に浮かぶ数々の古代の水路、防壁、遺跡群。
通じないことは解っていたけれど、私は、日本語ではなく英語で『ワオ』と叫んだ。
ホテルに到着。
事前に注意を促されていた『中東系移民』が仕切るホテル。
夜間責任者のマムーンが、銜え煙草で出迎えてくれた。
しきりに私の到着が遅いことを責めているが、英語が聞けて安心した。『シット』『ファック』と、おなじみの単語ばかりだ。
いいホテルじゃないか。
エンミ一家は硬い表情で「いつでも電話を」とジェスチャーをして、何度も振り返りながら去って行った。
次回は、ローマでの七日間について語らせて戴こう。
今更だが、私は4/1~24の日程でイタリア三都市を旅した。
三都主と書いて『サントス』。旅のキッカケは、貯まったマイレージである。そして旅の目的は、リセットである。リフレッシュではなく、リセットをするために憧れの国を訪ねることにしたのだ。
長い暗がりを抜けて、活路を求める旅……か?
第一の都市は、ローマ。
事前の調査では、在伊邦人と在日伊人が口を揃えて『ローマはアブナイ』と執拗に繰り返すのであった。スリ、ボッタクリ、詐欺、チョロマカシ。
彼らは『特に移民に注意しろ』と、警告する。
だが、果たしてそれは的を射た助言であったのか……?
私見に満ちた文面にて、この旅のありのままを記そう。
これが事前に作成した予定表のローマ部分である。
* * * * *
2014年4月1日。日本から『笑っていいとも!』が消えた日。
羽田空港を飛び立ち、14時間ほどのフライトでパリへ飛んだ。JALにはイタリアへの直行便がない。事前に英国の『EU激安旅』サイトで、パリ→ローマの往復格安航空券を押さえてあった。
ここで注意。
往路、カウンターでJALに預けた荷物はパリで乗換機に移してもらえる。だが、帰路にてエールFに預けた荷物は、一旦パリで受け取らねばならない。融通の利かない者共め……。
シャルルドゴール空港は実に23年振り。
前回もまたスペインを訪ねる為の経由地であった。その頃と比べてみると、陰気さは薄れたか。ターミナルは新しく清潔で、トイレに紙があった。
そう、フランスのトイレには『紙があった』のだ。
このあと、それがいかに有り難き恩恵であったか、思い知らされることとなる。
EUへの入国審査はパリで済ませ、手荷物検査を受ける。
仏人検査員に『フィウミチーノ(ローマ空港)は物騒らしいね』
と、訊ねると、堰を切ったように
「あそこの荷物検査場には防犯カメラがない。係員は金目のものを抜く。この間も数名が検挙されたばかりだ」
と、いうようなことを捲し立ててくる(さて、その係員たちは移民であったろうか?)。
「マダム、気をつけなさい」——そうか、そうなのか……。私は既に、マダムであったか。その落胆を胸にしまい、しばし空港のWi-Fiを用いて母とSkype通話。
そう、フランスの空港は『Wi-Fi環境が整っていた』のだ。
ギュウ詰めのエアバス機は、多くのラテン系民族を乗せて飛び立った。
邦人はカップルを一組、見かけたのみだった。
2時間ほどでフィウミチーノに到着。21時を回っていたので、空港内は閑散としている。入国審査はパリで済ませてあったため、荷物を受け取って通り抜けるのみ。
日中のフィウミチーノは賑やかだ。
到着ゲートでは、知人の知人の恋人・エンミさんが『Liz Ivasky』と書かれた紙を手に、私を待っていてくれた。一瞬、ロシア人を待っているのかと思った。
ホテルまで約1時間。彼女と、彼女の両親と共にドライブ。有り難かった。一家誰一人として英語が話せず、とてつもないアウェー感を味わうも、窓外を指差し「カラカラ!」と、ライトアップされた浴場を見せてくれたのが嬉しかった。
初めて見るローマ。闇に浮かぶ数々の古代の水路、防壁、遺跡群。
通じないことは解っていたけれど、私は、日本語ではなく英語で『ワオ』と叫んだ。
ホテルに到着。
事前に注意を促されていた『中東系移民』が仕切るホテル。
夜間責任者のマムーンが、銜え煙草で出迎えてくれた。
しきりに私の到着が遅いことを責めているが、英語が聞けて安心した。『シット』『ファック』と、おなじみの単語ばかりだ。
いいホテルじゃないか。
エンミ一家は硬い表情で「いつでも電話を」とジェスチャーをして、何度も振り返りながら去って行った。
次回は、ローマでの七日間について語らせて戴こう。
探し物はなんですか→孫の手。
はっ……。
目が覚めた瞬間、アレが『どこの店の味なのか』……記憶を辿ってしまった。
親父は、いつもオロオロと何かを捜していた。
本、万年筆、腕時計……。
「どこに置いたっけ。いつもはあそこにしまっているのに」
しかし、しばらくすると
「あ。違う。
僕は、アレを目にしたけれど『買わなかった』んだ。
つまり『手に入れなかった』んだ」
と、我に返る。
ボケが始まったかと疑っていたけれど。理解できたゼ。親父。
捜していたんじゃない。探していたのだ。
『目にした理想』を凌駕するものなんて、ない。
夢を見なければ、緩慢に充たされている。
だけど『探求』は、一歩進むごとに感動の連続……『素敵な旅』なんだゼ☆
生涯、止むことのない『ムズが痒さ』。痒いところに手が届いた、かのような快感。
そして
買うことのできない『偶然の巡り合わせ』は『宝物』……『孫の手』みたいなモノなんだゼ(なんかよくわかんないけど)。
そういや、いつも冬時に臑を掻いていたよな。
乾燥肌だゼ。
そんな親父の口癖は、こうだった。
「キミ、僕が死んだら墓石に『探し続けた男』と刻んでくれ」
うん……。
ソレは忘れてたゼ☆
目が覚めた瞬間、アレが『どこの店の味なのか』……記憶を辿ってしまった。
親父は、いつもオロオロと何かを捜していた。
本、万年筆、腕時計……。
「どこに置いたっけ。いつもはあそこにしまっているのに」
しかし、しばらくすると
「あ。違う。
僕は、アレを目にしたけれど『買わなかった』んだ。
つまり『手に入れなかった』んだ」
と、我に返る。
ボケが始まったかと疑っていたけれど。理解できたゼ。親父。
捜していたんじゃない。探していたのだ。
『目にした理想』を凌駕するものなんて、ない。
夢を見なければ、緩慢に充たされている。
だけど『探求』は、一歩進むごとに感動の連続……『素敵な旅』なんだゼ☆
生涯、止むことのない『ムズが痒さ』。痒いところに手が届いた、かのような快感。
そして
買うことのできない『偶然の巡り合わせ』は『宝物』……『孫の手』みたいなモノなんだゼ(なんかよくわかんないけど)。
そういや、いつも冬時に臑を掻いていたよな。
乾燥肌だゼ。
そんな親父の口癖は、こうだった。
「キミ、僕が死んだら墓石に『探し続けた男』と刻んでくれ」
うん……。
ソレは忘れてたゼ☆
世界最凶の悪夢。
うわ……目が覚めた…4時、5時なら『めざにゅ~』もやっていようが、AM2:45……最悪だ。
しかもナニ、この夢。
サイアクだ……。
中太、平麺に近いが程よい。塩豚骨、だが鶏ガラの旨味も利いている。ドロっとはしていないが麺に絡む濃度。青ネギ、万能ネギではなくわけぎほどの太さ。スープの熱にとろける柔らかさを湛えた薄切りの焼豚が2枚、主張があるようで出過ぎず、存在感は大きい。メンマなし。スープそのものでなくタレに一味、加えられている。だが焦がしニンニクのようなアクやエグみはなく。
麺はそう……パスタでいうとリングイネに近い太さだが、もっとモッチリと白く、歯ごたえは優しい。手打ちではない。小麦とカンスイが香る。卵は強くない。
スープは決して魚介系でなく、生粋の動物系。
ああ、でもあの一味は、ナンプラーに近いのかな。
上品過ぎず。しかし清潔感はある。
澱んでいるようで澄んでいるような煮詰め方。
……。
この、『夢に見た究極の、唯一無比なるラーメン』。
今後、ラーメンを食す度に『なにか違うな』と思ってしまうだろう、リアルな感覚。
捜せば捜すほど
『いや、どこかが違う、微妙な違和感がある……
コレじゃない!コレじゃないんだよ、求めているものは……!!!』
と、ひとほりひとほりしていた彫刻家がノミを投げ捨てるようなムズ痒さに、苛まれ続けるのかッ!!?
『理想』とは、『足枷』に他ならない。
一歩一歩をスっ飛ばして、この高みを追求し続けなければならないなんて……。しかも、時を経るごとに美化されて、より『完璧』になっていってしまう。真夏の蜃気楼のように、決して近づけない。
Oh... ミッドサマー☆ミラージュ。
これは客観ではなく『超主観』ゆえ、評判の良い店なら良いというわけじゃない。
美味しければ良いというわけでもない。
だって、正解は、このひとつだけになってしまったのだから。
こんな夢ッ!見なければよかったのにッ!!!
という、Twitterに書き込むには長過ぎる深夜の慟哭。
さて。また寝るか。
しかもナニ、この夢。
サイアクだ……。
中太、平麺に近いが程よい。塩豚骨、だが鶏ガラの旨味も利いている。ドロっとはしていないが麺に絡む濃度。青ネギ、万能ネギではなくわけぎほどの太さ。スープの熱にとろける柔らかさを湛えた薄切りの焼豚が2枚、主張があるようで出過ぎず、存在感は大きい。メンマなし。スープそのものでなくタレに一味、加えられている。だが焦がしニンニクのようなアクやエグみはなく。
麺はそう……パスタでいうとリングイネに近い太さだが、もっとモッチリと白く、歯ごたえは優しい。手打ちではない。小麦とカンスイが香る。卵は強くない。
スープは決して魚介系でなく、生粋の動物系。
ああ、でもあの一味は、ナンプラーに近いのかな。
上品過ぎず。しかし清潔感はある。
澱んでいるようで澄んでいるような煮詰め方。
……。
この、『夢に見た究極の、唯一無比なるラーメン』。
今後、ラーメンを食す度に『なにか違うな』と思ってしまうだろう、リアルな感覚。
捜せば捜すほど
『いや、どこかが違う、微妙な違和感がある……
コレじゃない!コレじゃないんだよ、求めているものは……!!!』
と、ひとほりひとほりしていた彫刻家がノミを投げ捨てるようなムズ痒さに、苛まれ続けるのかッ!!?
『理想』とは、『足枷』に他ならない。
一歩一歩をスっ飛ばして、この高みを追求し続けなければならないなんて……。しかも、時を経るごとに美化されて、より『完璧』になっていってしまう。真夏の蜃気楼のように、決して近づけない。
Oh... ミッドサマー☆ミラージュ。
これは客観ではなく『超主観』ゆえ、評判の良い店なら良いというわけじゃない。
美味しければ良いというわけでもない。
だって、正解は、このひとつだけになってしまったのだから。
こんな夢ッ!見なければよかったのにッ!!!
という、Twitterに書き込むには長過ぎる深夜の慟哭。
さて。また寝るか。
ああ、またDIOの仕業だよ。
こんばんは、岩崎です。
実に半年間に渡ってブログを放置してきました、岩崎です。
時間が止まってました・ザ・ワールドッ!!!
今更感満載でお送りします。
出演させて戴いた番組が放映になりますと、読者になってくださる方がいらっしゃいます。
嬉しいです!! ありがとうございます![ドキドキ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
そして……誠に申し訳ありません
更新は『半年スパン』です!!
Twitterでさえ放置気味m(__)m
『どうぶつの森』のせいではありません。。。
全く以て無精者に生まれついてしまいまして。
ご報告できるような内容も思いつかず。。。
ともあれ。
今後は少しずつ、iPhoneからでも投稿できれば。
長い目で見守って戴ければ幸いにございます!
がんばりますッ('▽';;
実に半年間に渡ってブログを放置してきました、岩崎です。
時間が止まってました・ザ・ワールドッ!!!
今更感満載でお送りします。
出演させて戴いた番組が放映になりますと、読者になってくださる方がいらっしゃいます。
嬉しいです!! ありがとうございます
![ドキドキ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
そして……誠に申し訳ありません
![汗](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
Twitterでさえ放置気味m(__)m
『どうぶつの森』のせいではありません。。。
全く以て無精者に生まれついてしまいまして。
ご報告できるような内容も思いつかず。。。
ともあれ。
今後は少しずつ、iPhoneからでも投稿できれば。
長い目で見守って戴ければ幸いにございます!
がんばりますッ('▽';;
今更、金環日蝕を振り返る。
こんにちは。
ブログ放置も甚だしいですね!あははは。はは…は……。
せっかく読者になってくださった方もいらっしゃるのに、殆どTwitterでしか近況報告できていないんです。
失礼この上ないですね!あはははは。は…m(__)m
さて。
遠く過ぎ去った5/21は、ご存知、金環日蝕でした。
手持ちのEOS KISS X3と三脚で撮影を試みようと思ったのですが、いろいろと買い足さねばならないものがありました。
ネットで情報収集して、いざ☆お買い物。
まず、ケンコーのND400。
『大光量減少用NDフィルター』なのですが、これを2枚重ねにして使用。
それから、CANONの『EFS55-250mm』。
これが正式名称か判りませんが。望遠レンズです。
普段の太陽を試し撮りして、あとは当日の好天を祈るだけ。
そして、曇天の早朝。
三脚を担いで、ウチより見晴らしの良い実家へ!
見事に雲が晴れ、太陽が欠け始めました!!
そして、運命の瞬間!
雲がぁぁあああ!!
……でも、これはこれでアリかな、と。
もう網膜保護は忘れて、2枚重ねのND400を1枚、かなぐり捨てました。雲のせいで光量が足りなかったので……。
うむ、満足![音譜](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
意外にも雲が美しかった。
東京では、生きているうちでこれが最後だと思ったので、気合いが入っちゃいました(*'ω'*)
6/6の金星前通過は悪天候で断念。
これからもまた、時折は空を眺めたいです♪
ブログ放置も甚だしいですね!あははは。はは…は……。
せっかく読者になってくださった方もいらっしゃるのに、殆どTwitterでしか近況報告できていないんです。
失礼この上ないですね!あはははは。は…m(__)m
さて。
遠く過ぎ去った5/21は、ご存知、金環日蝕でした。
手持ちのEOS KISS X3と三脚で撮影を試みようと思ったのですが、いろいろと買い足さねばならないものがありました。
ネットで情報収集して、いざ☆お買い物。
まず、ケンコーのND400。
『大光量減少用NDフィルター』なのですが、これを2枚重ねにして使用。
それから、CANONの『EFS55-250mm』。
これが正式名称か判りませんが。望遠レンズです。
普段の太陽を試し撮りして、あとは当日の好天を祈るだけ。
そして、曇天の早朝。
三脚を担いで、ウチより見晴らしの良い実家へ!
見事に雲が晴れ、太陽が欠け始めました!!
そして、運命の瞬間!
雲がぁぁあああ!!
……でも、これはこれでアリかな、と。
もう網膜保護は忘れて、2枚重ねのND400を1枚、かなぐり捨てました。雲のせいで光量が足りなかったので……。
うむ、満足
![音譜](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
意外にも雲が美しかった。
東京では、生きているうちでこれが最後だと思ったので、気合いが入っちゃいました(*'ω'*)
6/6の金星前通過は悪天候で断念。
これからもまた、時折は空を眺めたいです♪