サントスは関係ない。〜ローマ旅行記1 | the wrecked ship diary

サントスは関係ない。〜ローマ旅行記1

放置の限りを尽くしたブログを、更新するときがきた。

今更だが、私は4/1~24の日程でイタリア三都市を旅した。
三都主と書いて『サントス』。旅のキッカケは、貯まったマイレージである。そして旅の目的は、リセットである。リフレッシュではなく、リセットをするために憧れの国を訪ねることにしたのだ。

ローマ1

長い暗がりを抜けて、活路を求める旅……か?



第一の都市は、ローマ。
事前の調査では、在伊邦人と在日伊人が口を揃えて『ローマはアブナイ』と執拗に繰り返すのであった。スリ、ボッタクリ、詐欺、チョロマカシ。
彼らは『特に移民に注意しろ』と、警告する。
だが、果たしてそれは的を射た助言であったのか……?
私見に満ちた文面にて、この旅のありのままを記そう。

ローマ予定表

これが事前に作成した予定表のローマ部分である。



* * * * *


2014年4月1日。日本から『笑っていいとも!』が消えた日。
羽田空港を飛び立ち、14時間ほどのフライトでパリへ飛んだ。JALにはイタリアへの直行便がない。事前に英国の『EU激安旅』サイトで、パリ→ローマの往復格安航空券を押さえてあった。
ここで注意。
往路、カウンターでJALに預けた荷物はパリで乗換機に移してもらえる。だが、帰路にてエールFに預けた荷物は、一旦パリで受け取らねばならない。融通の利かない者共め……。

ドゴール

シャルルドゴール空港は実に23年振り。



前回もまたスペインを訪ねる為の経由地であった。その頃と比べてみると、陰気さは薄れたか。ターミナルは新しく清潔で、トイレに紙があった。
そう、フランスのトイレには『紙があった』のだ。
このあと、それがいかに有り難き恩恵であったか、思い知らされることとなる。

EUへの入国審査はパリで済ませ、手荷物検査を受ける。
仏人検査員に『フィウミチーノ(ローマ空港)は物騒らしいね』
と、訊ねると、堰を切ったように
「あそこの荷物検査場には防犯カメラがない。係員は金目のものを抜く。この間も数名が検挙されたばかりだ」
と、いうようなことを捲し立ててくる(さて、その係員たちは移民であったろうか?)。
「マダム、気をつけなさい」——そうか、そうなのか……。私は既に、マダムであったか。その落胆を胸にしまい、しばし空港のWi-Fiを用いて母とSkype通話。
そう、フランスの空港は『Wi-Fi環境が整っていた』のだ。

ギュウ詰めのエアバス機は、多くのラテン系民族を乗せて飛び立った。
邦人はカップルを一組、見かけたのみだった。
2時間ほどでフィウミチーノに到着。21時を回っていたので、空港内は閑散としている。入国審査はパリで済ませてあったため、荷物を受け取って通り抜けるのみ。

フィウミチーノ

日中のフィウミチーノは賑やかだ。



到着ゲートでは、知人の知人の恋人・エンミさんが『Liz Ivasky』と書かれた紙を手に、私を待っていてくれた。一瞬、ロシア人を待っているのかと思った。

ホテルまで約1時間。彼女と、彼女の両親と共にドライブ。有り難かった。一家誰一人として英語が話せず、とてつもないアウェー感を味わうも、窓外を指差し「カラカラ!」と、ライトアップされた浴場を見せてくれたのが嬉しかった。
初めて見るローマ。闇に浮かぶ数々の古代の水路、防壁、遺跡群。
通じないことは解っていたけれど、私は、日本語ではなく英語で『ワオ』と叫んだ。

ホテルに到着。
事前に注意を促されていた『中東系移民』が仕切るホテル。
夜間責任者のマムーンが、銜え煙草で出迎えてくれた。
しきりに私の到着が遅いことを責めているが、英語が聞けて安心した。『シット』『ファック』と、おなじみの単語ばかりだ。
いいホテルじゃないか。

エンミ一家は硬い表情で「いつでも電話を」とジェスチャーをして、何度も振り返りながら去って行った。

次回は、ローマでの七日間について語らせて戴こう。