【今日の1枚】Metropolis/Metropolis(メトロポリス) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

古今東西プログレレビュー垂れ流し

ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

Metropolis/Metropolis
メトロポリス/メトロポリス
1974年リリース

シンフォニックでジャズのタッチが加わった
ジャーマンプログレの知られざる逸品

 元ツァラツゥストラやミトスのメンバーをはじめ、アシュ・ラ・テンペルの『Seven Up』のレコーディングメンバーなどが集結したスーパーグループ、メトロポリスの唯一作。そのアルバムはキーボードやストリングス、ギターを中心とした実験的なサウンドとなっており、シンフォニックやフォーク、ブルース、ジャズ、クラウトロックなど、当時としては非常に革新的でユニークな複数のスタイルが融合された内容になっている。後に「Cun Cun Na Ma」のドラゴ・ムセベニが「このドイツのバンドがなぜ注目されないのか、私には想像もつかない」と語るほど、無名でありながらクラウトロックの精神を保った素晴らしい逸品となっている。

 メトロポリスは元ツァラトゥストラのマンフレッド・オピッツ(キーボード、アコースティックギター)とミハエル・ウェストファル(ベース)、元Mythosのトーマス・ヒルデブランド(ドラムス)が中心となり、さらにグループに元アジテーション・フリーの初期メンバーで、アシュ・ラ・テンペルのサードアルバム『Seven Up』のレコーディングを終えたマイケル・デュー(ギター)が加わったことで、1973年にドイツの西ベルリンで結成されたグループである。様々なグループで演奏してきた彼らが結成に至った経緯は、初期のジェネシスやソフト・マシーン、ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーターなどの英国のプログレッシヴロックをベースに、クラウトロックらしい実験精神を加味した新たな音楽を試みようとしたためである。その後、すぐに南ドイツ出身のギタリストであるヘルムート・ビンツァーと、当時ドイツのヒット曲パレードではターニャ・ベルクとして知られていた女性歌手のウテ・カンネンベルクが参加し、メトロポリスというグループ名で活動を開始している。彼らは結成後1年のあいだ、西ベルリンのクロイツベルク地区にある、かつてプロイセン兵舎だった建物を改装した「ヴランゲル・カゼルネ」のリハーサル室を利用して作曲と編曲を行っている。ここでキーボード奏者のマンフレッド・オピッツを中心にアルバムのすべての曲を書きあげ、メンバーのアイデアを盛り込みながら何度もリハーサルを行ったという。1973年末に複数の曲を収めたデモテープに興味を示したBMG傘下のアリオラとレコード契約を結び、1973年冬から1974年春にかけてマイケル・デューが在籍していたアジテーション・フリーから勧められたミュンヘンの「スタジオ70」でレコーディングを開始している。レコーディングは1973年に起こった第一次石油危機と重なった厳しい冬に行われ、グループは機材をメルセデス319に積み込み、許可証が必要なアウトバーンを避け、ほとんど車のない高速道路を走ってベルリンからミュンヘンに向かったという。このレコーディング時にはベース奏者のミハエル・ウェストファルの実兄で、署名なドイツ人編曲家のハルトムート・ウェストファルが指揮するミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のアンサンブルが参加し、フルート奏者にハインツ・ロッホやオーボエ奏者にジュゼッペ・ソレラが招かれている。こうしてフリッツ・ムシュラーがプロデュースを担当したデビューアルバム『メトロポリス』が、アリオラが新たに設立したサブレーベルであるPANから1974年5月にリリースされることになる。そのアルバムは多彩なリズムを試し、シンフォニックな要素とサイケデリックな要素、そしてジャズの影響からなる実験的なサウンドをベースに、アグレッシヴなロック風のヴォイスやフォークソング風のハーモニー・ヴォーカルを組み合わせた、当時としてはかなり珍しいミックスの音楽を創生した傑作となっている。

★曲目★
01.Birth(誕生)
02.Superplasticclub(スーパープラスチッククラブ)
03.Metropolis(メトロポリス)
 a.Haven't You Heard?(聞いたことがないかい?)
 b.Nostalgia(ノスタルジー)
 c.The Dream(夢)
 d.I'm Leaving The City(その街を離れて)
04.Dreamweaver(ドリームウィーバー)
05.Glass Roofed Courts(ガラス屋根のコート)
06.Ecliptic(黄道)
 a.Spaziergang(散歩)
 b.Panic(パニック)
 c.Reassurance(安心)

 アルバムの1曲目の『誕生』は、オルガンをバックにゴングを含めたドラミングから始まり、フルートを基点に煌びやかなキーボードを主体としたアンサンブルとなる楽曲。その後はメロトロンと男女のコーラスを経て、英語歌詞のヴォーカルとなる。転がるようなキーボードの響きと美しいコーラスの妙があり、その後のストリングスやブルージーなギターによるパートの盛り上がりは聴き応えがある。2曲目の『スーパープラスティッククラブ』は、前衛的なサウンドスケープの中での劇的な男性と女性のヴォーカルが印象的な楽曲。アメリカンなノリのあるファンキーさがあり、そこに荘厳なストリングスやキーボードが絡み合うポップテイストにあふれている。3曲目の『メトロポリス』は4つの楽章からなる曲になっており、サイケデリックなヴォーカルから始まり、ギターとオルガンをバックに浮遊感が漂う中で、突然にホーンセクションやオルゴールが加わった劇的なサウンドとなっている。テンポの速いヴォーカルとハーモニーはザ・ムーディー・ブルースを思い出させる。中盤ではクラウトロック的な効果音を駆使したサイケデリックなサウンドとなっており、映画的な手法が使われている。4曲目の『ドリームウィーバー』は、オルガンとドラムス、男女のヴォーカルによるリズミカルな楽曲。アップテンポな流れの中で時折加わるギターが効果的である。1曲の中でジャズやロック、ブルースといった多くのジャンルが聴き取れる。5曲目の『ガラス屋根のコート』は、オーボエとアコースティックギターをバックにしたフォーク調の楽曲。メロウな男女のヴォーカルとアコースティカルなギターは、アメリカのジェファーソン・エアプレインのような雰囲気がある。中盤ではラテン的なギターやフルートの響きがあり、時折加わるストリングスが盛り上げてくれる。6曲目の『黄道』は3つの楽章からなる組曲となっており、風の音をバックに語りかけているようなヴォーカル、そしてシンフォニックなキーボードやフルートが鳴り響くというアルバムの中でも緊迫感のある楽曲になっている。後には歪んだギターソロやパーカッションなどが加わった変拍子の中、力強いベース音と共にテクニカルに攻めており、オルガンとギターが激しくせめぎ合うところは聴き応えあり。7分過ぎにはチェンバロやフルートを加わったオーケストラが入り、エマーソン・レイク&パーマーのようなクラシカルな展開がある。こうしてアルバムを通して聴いてみると、男女のヴォーカルとコーラスをメインにしたメロディアスな楽曲ばかりだが、そのバックの演奏があまりにもバラエティに溢れている。ストリングスによるシンフォニック、フォーク、ブルース、オルガンロック、ファンク、サイケデリックなど、あらゆるジャンルを取り入れており、それを親しみやすい曲にした彼らのセンスは驚くばかりである。

 アルバムはPANという新たなレーベルからリリースされたものの、ほとんどプロモーションは行われず、売れ行きも少なかったとされている。その後もシングル『誕生』をリリースしたが芳しくなく、1974年初夏にギタリストであるヘルムート・ビンツァーとヴォーカリストのウテ・カンネンベルクが脱退。残ったメンバーでベルリンを中心に西ドイツでコンサートを行い、彼らは「カレイドスコープ」と呼ばれる新しいプログラムのショーを開発している。それはレイ・ブラッドベリの「イラストレイテッド・マン」の「万華鏡」という物語に基づいて、彼らはマルチメディアショーであり、メトロポリスのローディー兼技術者のアルフ・ホイヤーがスライド、液体ゲル投影、フィルム、ストロボスコープ、スポットライト、スモークマシンを使用した「光のショー」、さらには電気調理プレートを使った「香りのショー」まであったという。このライヴイベントは1975年のクリスマスイブにベルリンのカント映画館で初演され、来場した観客は満員だったという。他にボンやフランクフルト、ハンブルク、ニュルンベルクでのコンサートに加えて、ベルリンでもメーリンダムでもイベントコンサートとして開催されている。しかし、1976年の夏にラジオ塔の下のサマーガーデンでのコンサートを最後にグループは解散。メンバーはそれぞれの道に進むことになる。マイケル・デューはベルリンのコンサート代理店であるアルバトロスを設立し、1978年にクラウス・シュルツと共に最初のソロアルバム『MICKIE D's UNICORN』をプロデュースしている。その後はサウンドトラックの作曲家として活躍している。マンフレッド・オピッツは、1980年代に活躍するニューウェーヴグループ、リリ・ベルリンをハラルド・グロスコフと共同で設立。その後は演劇やサウンドトラックの音楽を作曲家として活躍することになる。マイケル・ウェストファルはアシュ・ラ・テンペルで短期間演奏し、テキーラ・サンライズやグループ66などのベルリンのカヴァーグループに参加したという。本アルバムはその後も再発されることなく廃盤となってしまうが、1990年代頃から海賊盤や非公式の粗悪なCDが出回ったことでメトロポリスの名が浮上。数少ないオリジナルレコードは高値を呼び、コレクターアイテム化となったことは言うまでもないが、2020年にはソニーミュージックによってようやく再リリースされている。その再リリース盤の後には1975年の夏に録音され、シングルとしてリリースされるはずだったザ・バーズの『ミスター・スペースマン』のニューバージョンもリリースされたという。


 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はスーパーグループでありながらなぜか無名扱いにされていたドイツのプログレッシヴロックグループ、メトロポリスの唯一作を紹介しました。メトロポリスというあってもおかしくはないグループ名が、最近までプログレマニアの一部の人たち以外、ほとんど知られることのない幻のグループだったそうです。蓋を開けてみると元ツァラツゥストラやミトスのメンバーをはじめ、アシュ・ラ・テンペルの『Seven Up』のレコーディングメンバーなどが集結したスーパーグループであり、映像や光、香りを用いたマルチメディアショーである「カレイドスコープ」を発案したグループだったことに驚きです。「Cun Cun Na Ma」のドラゴ・ムセベニが「このドイツのバンドがなぜ注目されないのか、私には想像もつかない」と語ったというのも頷いてしまいます。彼らがあまり有名にならない理由として、PANという弱小レーベル(以前に紹介したサハラのアルバムもPANです)からのリリースだったことやプロジェクト的な意味合いの強いグループだったことも起因している可能性があります。

 さて、そんなグループが残したアルバムはというと、初期のジェネシスやソフト・マシーン、ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーターなどのグループから明らかに影響を受けた音楽をベースに、5/4や7/4、11/4のリズムを試し、シンフォニックな要素とサイケデリックな要素、ジャズの要素を巧みに利用した実験的なサウンドとなっていて、アグレッシヴなロック調のヴォーカルやフォークソング風のハーモニーが融合した、革新的というかユーモアたっぷりの内容となっています。当時としてはかなり珍しいミックスではないでしょうか。また、忘れてはいけないのは、グループのベーシストの実兄であるハルトムート・ヴェストファルの指揮の下、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のアンサンブルが参加していることです。ハルトムートは一部の曲をアレンジし、スタジオで指揮したといわれています。楽曲はすべて英語歌詞になっていて、主に文明と環境に対する批判ともとれる内容になっていて、アルバムのジャケットには、汚染された空気から発生した怪物に脅かされる風景が描かれています。クラウトロックならではの実験性はあるもののアルバムの完成度は高く、煌びやかなキーボードワーク、サイケデリックな雰囲気、そしてパワフルな女性のヴォーカル、手数の多いドラミングなどが素晴らしく、もっと評価されていてもおかしくはない逸品です。ぜひ、お勧めしたい1枚です。

 

 ちなみに1980年代のカナダのニューウェーヴグループであるストレンジ・アドバンスは、元々メトロポリスというグループ名でしたが、本グループの存在により名前を変更したというエピソードが残っています。

それではまたっ!