【今日の1枚】Samla Mammas Manna/Måltid(ごはんですよ!) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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Samla Mammas Manna/Måltid
サムラ・ママス・マンナ/ごはんですよ!
1973年リリース

並外れたテクニックとユーモアで突き進む
北欧トラッドを融合したジャズロックの傑作

 既存の音楽ジャンルにとらわれず、孤高の音楽を創造し続けるスウェーデンが生んだ奇才&天才音楽集団、サムラ・ママス・マンナのセカンドアルバム。そのサウンドは北欧の民族的なダンス音楽と変拍子を融合させたジャズロックとなっており、独特のユーモアとジェントル・ジャイアント並みの驚異的な演奏を発揮した、まさに後のサムラミュージックといった独自性の強い音楽を完成させた傑作となっている。1978年にはイギリスの前衛的なロックグループのヘンリー・カウと共に、「ロック・イン・オポジション」と呼ばれる運動を起こしたスウェーデン代表のグループの1つでもある。

 サムラ・ママス・マンナは、1969年にスウェーデンの首都ストックホルムの北側に位置するウプサラという街で結成されたグループである。メンバーはラーシュ・ホルメル(キーボード)、ハンス・ブリュニウソン(ドラムス)、ラーシュ・クランツ(ベース)、ヘンリック・オーベルグ(パーカッション)の4人編成で、「母ちゃんのマンナ(パンのようなもの)を集めろ」という遊び心溢れた言葉をグループ名にして活動を開始している。彼らは1970年に最初のライヴを行い、8月の第2回フェステン・パー・ガルデットでも演奏。同年に鶏舎を改造した自宅スタジオ「チキンハウス」を設立して、そのスタジオを拠点に現在に至るまで創造と活動を行うようになる。その年の後半にはサイレンス・レコードの目に留まり、レコーディング契約を締結。1971年にアルバム『サムラ・ママス・マンナ』でデビューすることになる。そのアルバムはほとんどがインストゥルメンタルとなっており、フォークダンス的なメロディがふんだんに使用され、ホルメルのキーボードとブリュニウソンの複雑なドラムを前面に出した遊び心のある即興演奏となっている。1971年の後半にはパーカッショニストのヘンリック・オーベルグが脱退し、しばらくトリオ編成で活動をしていたが、1972年にギタリストのコステ・アペトレアがメンバーとして加入。アペトリアのギターはジョン・マクラフリン並みのテクニックを持っており、後の変拍子を加えたジャズロック的な要素を強めた彼らの音楽性に繋がっていくことになる。彼らは1972年のあいだ、スウェーデンの各都市を回るライヴを積極的に行い、国内ではユニークなロックグループとして一定の人気を得ていたという。その合間に次のアルバムの構想を練り、1973年の秋にスタジオ・デシベルでレコーディングを行い、1973年にセカンドアルバムの『食事時(邦題:ごはんですよ!)』がリリースされることになる。そのアルバムは前作の北欧民族のダンス音楽と明らかにギタリストのコステ・アペトレアの加入によって生まれた変則的なジャムセッションを融合した独特のジャズロックとなっており、後のサムラ・ミュージックと呼ばれる音楽性を確立した傑作となっている。

★曲目★
01.Dundrets Fröjder(歓喜の轟き)
02.Oförutsedd Förlossning(不意の出産)
03.Den Återupplivade Låten(甦った旋律)
04.Folkvisa I Morse(朝食のための民謡)
05.Syster System(シスター・システム)
06.Tärningen(サイコロ)
07.Svackorpoängen(逆行の世紀)
08.Minareten(尖塔の光)
09.Værelseds Tilbud(不動産の価格)
★ボーナストラック★
10.Minareten II(尖塔の光Ⅱ)
11.Probably The Probably(プロバブリー・ザ・プロバブリー)
12.Samlajass 72/Lyckliga Titanic 74(サムラジャズ/リックリガ・タイタニック)
13.Kärlek Tralala 73/Drumfailure Opera 75(カリック・トラララ/壊れたドラムのオペラ)

 アルバムの1曲目の『歓喜の轟き』は、10を越える楽曲となっており、キーボードとドラムスが先導したキャッチーでアップテンポなメロディとなった楽曲。後半ではテクニカルなリズム上でメロトロンとヘヴィなギターが鳴り響き、緩急をつけた圧巻のアンサンブルを披露している。即興的な側面が強いが奇妙なパーカッションとヴォーカル、そしてリリカルなギターがダンス的なノリを創り上げており、グループの音楽的な方向性を体現した見事な内容になっている。2曲目の『不意の出産』は、不協和音的なピアノと甲高いヴォーカルに反するような柔らかなギターとリズムを対比させた楽曲。3曲目の『甦った旋律』は、不安感が募る奇妙な音から始まり、リズムセクションが加わると一気にメロディアスな雰囲気になる楽曲。ピアノはシンフォニックな要素を持ち合わせており、即興的なギターが緊迫感をあおっている。最後は素晴らしいギターとピアノの競演となっている。4曲目の『朝食のための民謡』は、朝食を食べているような物音と合わせたキャッチーなフォークソング。鼻歌のようなヴォーカルが心地よく、次第に夢の中に誘うようなキーボードの音色が優しく感じてしまう。5曲目の『シスター・システム』は、反復するピアノとドラムスのリズム上で歌う陽気なヴォーカルが印象的な楽曲。最後まで劇的な変化はなく、叫び声とピアノが絶え間なく続いている。6曲目の『サイコロ』は、ギターとキーボードを中心とした緩急のある楽曲。フュージョン的な側面があり、キーボードに合わせたギターフレーズがフォーカスのヤン・アッカーマンを彷彿とさせる。7曲目の『逆行の世紀』は、クラシカルでリズミカルなピアノと演劇的なヴォーカルから始まり、次第に現代クラシック風に移行していくのが面白い。8曲目の『尖塔の光』は、こちらも煌びやかなキーボードとヤン・アッカーマン的なドラマティックさのあるギターが美しい楽曲。ヨーデルのようなヴォーカルが民族的であり、意外と複雑な展開のある内容になっている。9曲目の『不動産の価格』は、神秘的で流麗なピアノと美しいギターが混ざり合うような即興的な要素の強い楽曲。リズムレスながらロマンティックであり、アルバムの締めにふさわしい内容になっている。ボーナストラックの『尖塔の光Ⅱ』は、インプロを中心にジャズ的なアプローチとなった楽曲。『プロバブリー・ザ・プロバブリー』は、プログレ的でテクニカルな演奏となった高水準の楽曲。珍しくサムラ色の薄い1曲となっている。残りの曲はライヴからのテイク曲である。

 本アルバムはサイケデリックでアングラ感が漂う前作から一転して、北欧の土着的な民族音楽をテクニカルなアンサンブルで披露したことで注目を浴び、さらにその演奏力が加わったことでユーモアの部分が冴えわたった魅力的な作品となっている。このアルバムから北欧トラッド色やテクニカルな急展開、ひねくれ&おちょくり、ユーモアを孕んだ踊れるジャズロックグループとしてのスタイルが確立されることになる。彼らはヴォーカルにヨーデルを組み入れ、アコーディオン奏者のブリン・セッテルズをゲストに迎えた3枚目のアルバム『クロッサ・クナピタット(邦題:資本主義をぶっ壊せ!~踊る鳥人間~)』をリリース。そのアルバムはジョークすれすれのギャグを加え、さらに北欧民族音楽志向を強めた独自の音楽を完成させた画期的な作品となっている。彼らの音楽は決して政治的なものではなかったが、スウェーデンの政治的な「progg」運動(左翼であり反商業音楽運動)の最前線にいたという。後にブラス・セクションを加えた彼らは、グレッグ・フィッツパトリック作曲の『スノルンガルナス交響曲』と共にツアーを行い、1976年に『シンフォニー・オブ・ザ・ツインズ』というタイトルでアルバム化している。ツアーとレコーディングの後、ギタリストのコステ・アペトレアが脱退。元ナッシュメンのエイノ・ハーパラが新ギタリストとして加入したのを機にグループ名をZamla Mammaz Mannaに変更している。彼らの音楽は即興演奏に重点を置くようになり、1977頃からヨーロッパの音楽運動であるロック・イン・オポジション(RIO)で国際的な交流を深めていくことになる。その中には英国の前衛のロックグループ、ヘンリー・カウやベルギーのユニヴェル・ゼロなどがおり、英国をはじめとするヨーロッパの各地域で、RIOのツアーやフェスティバルに参加している。1980年にドラマーのハンス・ブリュニウソンが脱退し、代わりにビルゴット・ハンソンが加入したアルバム『Familjesprickor(邦題:家庭のひび割れ)』をリリースするが、グループの維持が難しくなり解散することになる。翌年の1981年にメンバーだったラーシュ・ホルメルとエイノ・ハーパラは、ドラマーのモルテン・ティセリウスとアコーディオン兼キーボード奏者のハンス・ロエルブを迎え、アルベール・マルクールやユニヴェル・ゼロといったRIO運動の他のグループのミュージシャンと共に新プロジェクト、フォン・ザムラを結成。1980年代初頭には2枚のアルバムのレコーディングを行い、スウェーデンのテレビ番組やラジオに出演したり、ライヴツアーを積極的に敢行したりするなどしたが1984年に解散している。しばらくメンバーはバラバラになってしまったが、1990年にドラマーのハンス・ブリュニウソンの40歳の誕生日パーティで、かつてのメンバーだったホルメルやアペトリア、クランツが集まって再結成。当初、この再結成は一度限りの予定だったが、コンサートが大成功を収めたため、サイドプロジェクトとして継続。1990年代には定期的にコンサートを開催し、1999年には20年ぶりとなるアルバム『カカ』をリリースしている。その後、ドラマーのハンス・ブリュニウソンは正式にグループから離れ、代わりに日本人ドラマーの吉田達也を迎えて、2002年にスウェーデンのウプサラで録音されたライヴアルバム『Dear Mamma(母へ)』を発表。そこには日本の音楽グループ、ルインズとの即興コンサートも収められているという。2003年にはサムラ・ママス・マンナのグループ名を巡って、ホルメルとブリュニウソンの間で法的闘争となったが、その後和解して名前の権利はホルメルが持つようになっている。この機にライヴを含めて、精力的に活動を続けようとしたラーシュ・ホルメルだったが、残念ながら2008年12月25日にガンのために亡くなっている。享年60歳である。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は北欧の民族音楽と変拍子を融合し、ギタリストのコステ・アペトレアが加入したことによってグループ独自のカラーが打ち出されたサムラ・ママス・マンナのセカンドアルバム『ごはんですよ!』を紹介しました。当初、サムラ・ママス・マンナという愉快なグループ名に加えてアルバムの邦題が妙にフランク・ザッパっぽいな~と思っていましたが、やはり多くの点でフランク・ザッパのスタイルを踏襲しており、その天才的ともいえるミュージシャンシップとサーカスのような演奏力、そして何よりも愛すべきバカっぽいユーモアがとても魅力的なグループだと思います。本アルバムの邦題は『ごはんですよ!』となっていますが、原題は『Måltid=食事時』であり、ジャケット絵にある公園のベンチに腰かける老夫婦に三木のり平風の声で『ごはんですよ!』と呼びかけているような感じがしてしまうのは私だけでしょうか。ちなみにジャケットの絵はスウェーデンの画家であるターゲ・オーセンが描いた絵画であり、後に30年間にわたってグループや個々のメンバーのためにジャケット絵を手掛けることになります。サムラ・ママス・マンナは、1978年の英国の前衛ロックグループであるヘンリー・カウが提唱した音楽運動、ロック・イン・オポジション(RIO)と呼ばれるフェスティバルの最初期のメンバーであり、イタリアのストーミー・シックス、フランスのエトロン・フー・ルルーブラン、ベルギーのユニヴェル・ゼロと共に活動したグループとしても有名ですね。

 さて、本アルバムですが、サイケデリックでアングラ感が漂っていた前作から、ギタリストのコステ・アペトレアが加入したことで劇的に変化した作品となっています。何よりもマハヴィシュヌ・オーケストラのジョン・マクラフリン並みのテクニカルなギターによってジャズロック的な要素が加味され、フレッド・フリスを彷彿とさせる変則的なリズム隊ともに驚異的なアンサンブルを繰り広げることになります。1曲目からカンタベリーミュージック的なジャズロックからの強い影響とフランク・ザッパのスタイル、スウェーデンの民族音楽の要素をユーモラスに融合しており、このアルバムからサムラミュージックが確立されたといっても良いと思います。とにかくインプロゼーション(即興)が充実であり、完全フリーなインプロという手法ではなく、ある状況によって変化する構造的なインプロといった高度な演奏をやってのけているのも驚異的ですが、そのような演奏力の高さが加わったことで、サムラ特有のユーモアやおちょくりの要素が、より冴えわたっていると感じます。北欧トラッドやテクニカルな急展開、ひねくれ、ユーモアを持った踊れるジャズロックというサムラ・ママス・マンナの個性が如実に表れた画期的な作品だと思っています。

 3作目の『資本主義をぶっ壊せ!~踊る鳥人間~』と共に聴くと、巡るましく時代が変化する1970年代の鬱憤を晴らすかのような痛快さが感じられます。ぜひ、聴いたことの無い方は彼らの圧巻のパフォーマンスに触れてみてください。

それではまたっ!