【今日の1枚】Omega/200 Years After The Last War | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

古今東西プログレレビュー垂れ流し

ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

Omega/200 Years After The Last War
オメガ/最終戦争から200年
1974年リリース

キーボードの多用でよりシンフォニック色が増した
ハンガリーが誇るヘヴィプログレの傑作

 1962年結成から60年以上のキャリアを持ち、現在でもハンガリーロックシーンのトップに君臨するオメガの4枚目にあたるスタジオアルバム。そのアルバムは1972年作『エル・オメガ』と1973年作『オメガ5』より選曲の上、英語歌詞にて再録&アレンジしたドイツのベラフォン傘下のバチルスから発表された作品で、これまでのサイケデリックなハードロックの薫りを残しつつ、シンセサイザーを多用したシンフォニック色の強い内容になっている。1972年当時に母国語で録音されるも、ハードロック音楽は破壊的であるという共産主義政権の見解によりレーベル側がリリースを拒否したという曰くつきの作品でもる。

 オメガは1962年9月にハンガリーのブタペストで、オルガン奏者兼管楽器奏者のラースロー・ベンクとヴォーカル兼ギタリストのヤーノシュ・コボルが中心となって結成されたグループである。結成当初はギュシュ・バンクーティ(トロンボーン)やタマーシュ・クンシュトラー(ドラムス)、ペーター・ラング(サックス)、フェレンツ・トルノツキー(ギター)、イシュトヴァーン・ヴァルサーニ(ベース)の7人編成からスタートし、オメガというグループ名でブダペストの工科経済大学で初のコンサートを行っている。彼らは主にイギリスやアメリカでヒットしていたロックやジャズ、R&Bの曲をカヴァーし、地元では一定の人気があったという。1967年にロックやジャズ、フォークといったソングライティングのあるガボール・プレッサー(キーボード)を迎え、初めて自分たちのオリジナル曲を書き始めている。翌年にはイギリスツアーに招待され、そこで英語歌詞のデビューアルバム『オメガ:レッド・スター・フロム・ハンガリー』をデッカレコード内で録音。同年にハンガリー語で再録音され、本国でリリースされている。そのアルバムはサイケデリックロックの実験が含まれており、1969年のシングル曲『Pearls In Her Hair』は世界的にヒットし、後にスコーピオンズが『White Dove』という曲でカヴァーされている。また、彼らはハンガリーのポップ歌手であるサロルタ・ザラトナイを含めた多くの歌手のバックバンドを務め、注目を浴びていたという。1971年になると3枚のアルバムのリリースに貢献したキーボード奏者のガボール・プレッサーと1964年に加入したドラマーのヨーゼフ・クラウスが脱退し、プログレッシヴロックグループのロコモティフGTを結成。オメガは新たにフェレンツ・デブレツェニ(ドラムス)を加入させ、メンバーはラースロー・ベンク(キーボード、ヴォーカル)、ヤーノシュ・コボル(ギター)、1967年に加入したタマーシュ・ミハイ(ベース、ヴォーカル)、ジェルジ・モルナール(ギター)という5人編成なり、同じメンバーで後40年以上に渡って活動をし続けることになる。彼らは支配的だったガボール・プレッサーが脱退したことにより、これまでサイケデリックなフォーク指向の強いサウンドから、ベンクのクラシック指向のキーボードとモルナールのヘヴィなギターを加味したプログレッシヴなハードロックへと変わっていくことになる。

 彼らはツアーを敢行した後、1972年に『エル・オメガ』を新たなメンバーとなったドラマーのフェレンツ・デブレツェニと共にレコーディングを行っている。しかし、ハンガリーのレコード会社であるハンガトロンがリリースを拒否し、改めて曲を選定した経緯がある。理由は紙の不足でリリースが出来なくなり、また、政治的に不適切なタイトルが収録されていたとされているが不明な点が多い。公式にはグループのツアーのコンサート録音が含まれているが、録音はリハーサル室で行われ、ツアーの聴衆の音を混ぜたと考える人もいる。この問題は最終的にアルバムをアルミニウムケースで出すことで克服され、1972年にハンガリー初のアルミ盤としてリリースされている。本アルバムは『エル・オメガ』のスタジオバージョンとなっており、その聴衆の音を除去したものとされている。また、1973年にリリースされた『オメガ5』の楽曲『スイート』を英語歌詞&アレンジした曲を収録しており、検閲にあった楽曲を集めた『最終戦争から200年』というタイトルでドイツのベラフォン傘下のバチルスからリリースされることになる。そのアルバムはロックグループとしてハンガリーで初めてシンセサイザーが導入された記念碑的な作品となっており、パワフルなサイケハードの薫りを残しつつ、緻密な曲構成からなるシンフォニック色を増したプログレハードとなっている。

★曲目★ 
01.Suite(スイート)
02.Help To Find Me(私を見つけて)
03.200 Years After The Last War(最終戦争から200年)
04.You Don't Know(君は知らない)

 アルバムの1曲目の『スイート』は、19分に及ぶ6楽章からなる内容になっており、『オメガ5』に収録された曲をアレンジしたもの。ストリングスからメロトロンに変わっており、より楽曲に深みをもたらせている。ハードロックやブルース、サイケデリックロック、クラシックの折衷的なミックスであり、キーボード奏者のラスロー・ベンクのクラシカルな要素が活かされた作風になっている。ハードロックとブルージーなギターリフを主導したパッセージと、壮大なオルガンとメロトロンによるキーボードによるテーマで、穏やかなブレイクを含んだダイナミックなサウンドが特徴であり、独特な雰囲気を湛えたプログレッシヴなハードロックである。2曲目の『私を見つけて』は、ディープ・パープルの流れを汲んだ激しいグルーヴ感のあるハードロックとなっており、スペイシーなムーヴシンセサイザーが活かされたサウンドになっている。1960年代のパワフルなサイケハードの薫りを残した彼らの音楽性を追求した楽曲と言っても良いだろう。3曲目の『最終戦争から200年』は、1972年の『エル・オメガ』に収録されていた曲の英語バージョンだが、当時はリリースされなかった楽曲。カントリー風味のあるサウンドから始まり、強いサイケデリックな要素とジャジーなギターを含めた内容になっており、こちらもメロトロンが導入されている。一風古い感覚のある楽曲だが、その聴きやすさからして彼らが国内から世界に向けて作られた曲であることが分かる。4曲目の『君は知らない』は、まさにディープ・パープルのジョン・ロードスタイルのオルガン奏法とザ・ビートルズ風のヴォーカルセクションのある楽曲。構成はシンプルでありながらもエネルギッシュで、非常にグルーヴィなサウンドになっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、プログレッシヴな楽曲とディープ・パープル風の楽曲にまとめられているが、このようなハードロックスタイルの曲ですら当時のハンガリー国では検閲の対象になってしまうということに驚きを禁じ得ない。選曲と共にオリジナル曲をアレンジをしたアルバムだが、国内の狭い音楽シーンから飛び出した彼らの音楽に対する熱意は、後に国内にとどまらず世界で賞賛されることになる。

 本アルバムは事実上、ハードロック音楽は破壊的であるという共産主義政権の見解によりレーベル側がリリースを拒否した作品として認識されている。彼らはそんな政治的な思惑に屈することなく、1987年までに国内外に向けたアルバムを10枚以上リリースし、英語とハンガリー語の両方を収録したという。ハンガリー国内では活動が制限されていたこともあり、彼らは東ドイツでツアーを行い、その国のファンのためにドイツ語でいくつかの曲を書いている。1980年代に入るとSF志向の歌詞が注目され、特にドイツをはじめとするヨーロッパで人気を得ていたという。1987年の13枚目のアルバム『バビロン』リリース後、メンバーがサイドプロジェクトに集中するようになり、オメガの活動は一旦休止している。その後、1994年にブタペストのネプシュタディオンでの大規模コンサートに出演するために再結成し、元メンバーであるキーボード奏者のガボール・プレッサーと、スコーピオンズのルドルフ・シェンカーやクラウス・マインが参加。ハンガリー国の共産主義が崩壊したことで、これまで抑圧されてきたオメガのアルバムがCD化され、多くの聴衆から再活動したオメガというグループに大きな関心を寄せたという。彼らは1995年に12年ぶりとなるアルバム『トランス・アンド・ダンス・イン』をリリースし、多くのハンガリーのロックグループから尊敬の念を抱かれ、ハンガリー国家から国の音楽と文化に貢献した重要なグループとして国民賞をはじめとする多くの賞を受章する。2000年代に入っても40年以上も同じメンバーで活動を続けていたが、2014年にベーシストのタマース・ミハイがライヴパフォーマンスから引退。その後も新たなメンバーを加えながら定期的にツアーを行い、2017年に『55 -ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ワイルド・イースト』をリリースしている。2020年11月にはアルバム『テスタメントム』が発表されたが、リリース日は延期されたという。理由は創設メンバーであったキーボード奏者のラスロー・ベンクが2020年11月18日に死去し、その3日後の11月21日にベーシストを務めたタマース・ミハイが死去したためである。そのアルバムには「お別れ」としてのメッセージが書き加えられ、2020年11月末にリリースされたという。また、2021年12月6日には同じく創設メンバーであったヴォーカル兼ギタリストのヤーノシュ・コボルがコロナ感染症のために死去してしまい、誰もがオメガの活動は断念せざるを得ないと考えていたが、残りのメンバーで2022年8月12日から14日までジリゼンペテルで行われた3日間のフェスティバルに出演し、グループ結成60周年を祝ったという。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は現在でも活動を続けるハンガリーで最も偉大なロックグループであるオメガの4枚目のアルバムにあたる『最終戦争から200年』を紹介しました。このアルバムは4枚目のアルバムとしてリリースされる予定でしたが、タイトル曲が政治的なニュアンスが強いということと、ハードロックは破壊的であるという共産国家特有の検閲に遭い、ライヴアルバムであった『エル・オメガ』の曲と『オメガ5』の曲をスタジオでアレンジし直して、ドイツのレーベルであるベラフォン傘下のバチルスからリリースされたアルバムです。そんな国内の抑圧された状況の中で活動を続け、後に多くの聴衆やロックグループから尊敬の念を示され、1986年のリスト・フェレンツ賞や1998年のハンガリー国民賞、コシュート賞など多くの賞を授与するハンガリーの重要なグループとして認知されることになります。オメガは1962年結成から多くのアルバムやシングルを国内外でリリースしており、すべてを聴いた訳ではありませんが、本アルバムあたりから国内初のシンセサイザーを導入し、プログレッシヴなハードロックに移行した作品として注目しています。

 さて、本アルバムはドイツやフランス、スペイン、オーストラリアからリリースされていますが、結局ハンガリーでは未だリリースされていないアルバムで、曰くつきと言われています。後に40年以上にわたって活動をする黄金メンバーによって録音された最初期の作品であり、作曲家であったガボール・プレッサーの脱退が転機となり、これまでのサイケデリックなフォークロックから、1つの時代の終わりと新しい時代の始まりを示したプログレッシヴな音楽を踏襲した作品になっています。アルバム『オメガ5』からアレンジ&収録した20分に及ぶ6楽章の『スイート』は、ロックグループが共同で作成した初のハンガリーのプログレッシヴロックの作品とされています。この曲はストリングスの代わりにメロトロンを使用したアレンジになっています。また、『最終戦争から200年』など政治的なニュアンスの強い楽曲が支配しており、非常に挑戦的な作品になっています。個人的には1曲目は穏やかな瞬間はザ・ムーディー・ブルースのようであり、ファズのかかったオルガンを演奏はユーライア・ヒープのようなサウンドになっていると思います。ディープ・パープルといった英国のハードロックスタイルを真似た楽曲もありますが、全員が質の高いヴォーカルを兼任し、ライヴで培ったレベルの高い演奏を鑑みて、何となく彼らの抑圧された静かな魂を感じます。

 本アルバムは1998年には、1972年のオメガの4枚目のハンガリー盤『エル・オメガ』のスタジオバージョンとして、『最終戦争から200年』というタイトルでリリースされています。こちらは11曲が収録されており、ライヴで初披露した『最終戦争から200年』の曲が収録されています。『オメガ5』と合わせて本アルバムのオリジナルバージョンとして聴いてみるのも良いと思います。

それではまたっ!