【今日の1枚】Artcane/Odyssée(アートケイン/オデッセイ) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

Artcane/Odyssée
アートケイン/オデッセイ
1977年リリース

キング・クリムゾンの影響下にある
畏怖を音像化した漆黒のフレンチプログレ

 プログレが終焉しつつあった1977年に唯一のアルバムを残したフランスのプログレッシヴロックグループ、アートケインのデビューアルバム。そのサウンドはロバート・フリップ並みの硬質なギターや手数の多いドラミング、独特のラインを描くベース、そして変調のシンセサイザーが融合したダーク系テクニカルプログレとなっており、キング・クリムゾンの『太陽と戦慄』期のスリリングな演奏にスペイシーなキーボードが交わったと言っても良い内容となっている。また、語り口調で沈み込むようなメランコリックでシアトリカルなヴォーカルもあり、暗黒の中に耽美さと気品さが漂ったフレンチプログレの傑作でもある。

 アートケインは1973年にフランスのオーヴェルニュ・ローヌ・アルプ地域圏にある都市クレルモン・フェランで、共に同じグループで演奏していたギタリスト兼ヴォーカルのジャック・ムリンスキーと、ギタリスト&ベーシスト兼ヴォーカルのアラン・クーペルの2人が中心となって結成されたグループである。アラン・クーペルは元々ギター&ベース奏者だったが、電子音楽に興味を持っていたことからキーボード&シンセサイザー奏者に転向している。アランはより実験的なサウンドを求めるため、半ば強引にジャック・ムリンスキーを誘って結成した経緯がある。2人はメンバーを集めるために地元で募り、クラシックピアニストであり、また、ドラマー兼パーカッショニストでもあるダニエル・ロッチが加入。さらに1974年5月にはベーシスト兼ヴォーカルとしてスタニスラス・ベロックが加入して4人編成で活動を開始している。その後、メンバーは田舎に定住してレコーディングスタジオを設立し、そこで作曲とリハーサルを行ったという。この頃に「アート」と「難解」という2つの単語の組み合わせた「Artcane」というグループ名にし、また、ナイル川流域で見かける伝統的な木造の帆船である「フェルッカ」を象徴としたロゴとマークにしている。1974年11月にグループは初めてコンサートを開催し、そのパフォーマンスに感銘を受けたラ・モンターニュ新聞とFR3オーヴェルニュの支援を受けたライヴ活動を続けたという。その後、1975年7月に彼らはダニエル・ジルベールによって民間テレビ局のTF1のショー「ミディ・プルミエール」に招待され、9月に同局のTF1のカメラの前で、バーナード・トーマス指揮の室内オーケストラとステージを共にしている。TF1のチャンネルのホストとなった彼らは、デビュー2年目でフランス国内で飛躍的な知名度を上げることになる。そんな折、1976年の2月と3月に、フランスのシンガーソングライターであるバーバラのアルバム『ラ・ルーヴ』に曲を提供したことで有名なアーティスト兼作詞家でもあるフランソワ・ヴェルテメールとアラン・ヴィーニュの2人が彼らの音楽プロデュースに名乗りを上げたという。フランスのヴァンセンヌにあるレオ・クラレンス・スタジオに入り、この時に本アルバムの全曲が録音され、その後、パリのファーバー・スタジオでミックスされている。その合間の2月11日に録音した楽曲をクレルモン・フェラン大学の法学部の講堂で数百人の観客の前で初めて演奏を行ったという。しかし、プログレッシヴな音楽が凋落の一途をたどっていた時期でもあり、なかなかアルバムをリリースしてくれるレコード会社は決まらなかったが、周囲のバックアップもあって1977年4月に大手フィリップスとのレコード契約の締結に成功している。このフィリップスとの契約を果たしたアートケインは当時、国際的なレコードレーベルと契約した最初のオーヴェルニュ出身のロックグループと言われている。こうしてレコーディングした楽曲を元にレコードとしてプレスされ、1977年5月に『オデッセイ』というタイトルでリリースされることになる。そのアルバムはキング・クリムゾンの『太陽と戦慄』を彷彿させるテクニカルなギターとリズム、そしてスペイシーなキーボードをミックスさせた畏怖を音像化した漆黒のプログレッシヴロックとなっている。

★曲目★
01.Odyssée(オデッセイ)
02.Le Chant D'Orphée(オルフェウスの歌)
03.Novembre(11月)
04.25ème Anniversaire(25周年)
05.Artcane 1(アートケイン 1)
06.Nostalgie(ノスタルジー)

 アルバムの1曲目の『オデッセイ』は、スペイシーなシンセサイザーと叩きつけるようなドラムで始まり、ヘヴィなギターのリフが素晴らしい楽曲。2分30秒辺りから曲調が変わり、アコースティックギターのアルペジオ上で語るようなヴォーカルとなる。前衛的なシンセサイザーと手数の多いドラミングと重いベース音によってダークな雰囲気を創り上げ、クリムゾン的なギターワークを交えたドラマティックなサウンドになっていく。2曲目の『オルフェウスの歌』は、キング・クリムゾンの『太陽と戦慄』を彷彿とさせる楽曲となっており、同じフレーズを繰り返すキーボード上で不安や緊張をあおるようなギターとリズムが攻撃的である。4分過ぎには抑制されたキーボードを中心としたインストが展開され、インプロゼーション的なギターが飛び交う。後半は繊細なリズム隊とギターによるジャズロック的なアプローチのあるサウンドで終えている。3曲目の『11月』は、キング・クリムゾンのリフをそのまま利用した感のあるサウンドとなっており、不協和音のコントラストがもたらす偏執的な楽曲。ジェイミー・ミューア風のリズムと硬質なギターで構成されているが、バックで蠢くように鳴り響くシンセサイザーが巧みである。4曲目の『25周年』は16分を越える大曲となっており、近未来的なシンセサイザーから電子ピアノとフルートシンセによるアンビエントなサウンドが続き、リズム隊やギターが加わって次第にヘヴィな展開になっていく楽曲。メロウなギターリフと手数の多いドラミング、悪夢的なシンセサイザー音が鋭角的に轟いている。7分過ぎにはアコースティックギターによるアルペジオをバックに畏怖をイメージしたピアノやシンセサイザー音が重なる。9分過ぎには攻撃的なギターワークと電子ピアノによる狂気にも似た邪悪なサウンドとなり、緩急を交えながら暗黒的な世界を構築している。後半はジャズロック的なテクニカルなアンサンブルで終えている。5曲目の『アートケイン 1』は、メロディックなアコースティックギターのアルペジオとシンフォニックなキーボードをバックにしたヴォーカル曲。メンバー4人の全員がヴォーカルを務め、ダークでありながら幽玄な雰囲気が漂う好作品である。後半の泣きのギターソロは聴きどころである。6曲目の『ノスタルジー』は、アコースティックギターが加わるスペイシーなキーボードで始まり、感情的なヴォーカルがどこか物悲しい15分に及ぶライヴ曲。エッジの効いたリズム隊と硬質なギターワークが中心となっているが、意外にもメロディアスであり、展開がドラマティックである。曲は1977年2月に行われたクレルモン・フェラン市内にある大学の講堂の模様を録音したものと思われる。こうしてアルバムを通して聴いてみると、『太陽と戦慄』期のキング・クリムゾンやヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイター、アンジュ、ピュルサーといった英国やフランスのプログレッシヴロックの要素を巧みに取り入れた暗黒系テクニカルプログレッシヴロックといっても良いだろう。強靭なギターリフと尖ったリズム隊で突き進む攻撃的なサウンドがある一方、アコースティックギターによるリリカルなアルペジオを聴かせたりするメロウなサウンドがあるなど、ダークでノイジーな雰囲気の中にフランスらしい耽美さと気品さが漂っている。

 アルバムはフランスの専門メディアである「Rock et Folk」や「Rock en Stock」、「Best」、アメリカの専門雑誌「Unicorn Times」などで高く評価され、当時はキング・クリムゾンを継承したグループと持てはやされたという。彼らはリリース後にその音楽を宣伝するためにフランス全土を巡るツアーを行い、メゾン・ド・ラ・カルチャーや劇場、文化センターなどで演奏したというが、それ以上の大規模なコンサートは実現しなかったという。1978年1月にフランスのテレビ局であるFR3のオーヴェルニュは、ジャーナリストで監督のジェフロワ・ストレルの下、アートケインの短編映画「ランドーニュ城のアートケイン」の撮影を行っている。この20分に及ぶ短編映画は、現在のビデオクリップの先駆けとも言われている。そんな中、1978年の春には次のセカンドアルバムの楽曲を用意して録音の準備を整えていたが、レコード会社であるフィリップスの人事異動でマネージャーが交代し、音楽の方向性における違いで契約が終了する事態に陥ってしまう。彼らはライヴを中心に活動することになり、1978年12月にロアンヌ劇場で最後のコンサートを行っている。その後、グループの創設者であるアラン・クーペルが脱退したことで回らなくなり、1979年初頭に解散することになる。解散後、アラン・クーペルは独自に設計するシンセサイザーの技術者となり、1984年のフランスのクレルモン・フェラン出身のポストパンクグループであるカルネージのレコーディング&ミックスの技術者として活躍。ダニエル・ロッチは1985年にフランスの実験的なプログレ&フュージョントリオであるヒューマンというグループを結成して1枚のアルバムをリリースしている。ジャック・ムリンスキーとスタニスラス・ベロックは、地元のクレルモン・フェランでセッションミュージシャンとなって活躍したという。本アルバムの廃盤後、長い間プログレ愛好家によって高く取引されるアイテムとなり、2000年代には非正規のCDが出回ることがあったという。しかし、リリースから約40年後の2018年にフランスのムゼアによって初めて正規のCD盤が発売され、アークノイと共にキング・クリムゾンを継承したフレンチプログレグループとして認知されることになる。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は以前に紹介したアークノイと共にキング・クリムゾンのサウンドを継承したフランスのプログレッシヴロックグループ、アートケインの唯一作を紹介しました。ナイル川流域に見かける古代の帆船「フェルッカ」を象徴とした黒のロゴとマークがかっこいいですね。アートケインはつい最近、ムゼア盤を入手しましたが、2003年にCDRで販売する日本のタチカレコーズからも出ているようです。非正規盤は手にしないことにしているので無視していましたが、早くアークノイと同じように紙ジャケでリイシューしてほしいアルバムでもあります。

 さて、本アルバムですが、キング・クリムゾンの『太陽と戦慄』期を彷彿とさせるリズム&ギターが出てきます。ロバート・フリップ並みの硬質でヘヴィなギターワークとアルペジオ、繊細で手数が多いドラミングとベースラインによる強迫的なリズム隊、そして畏怖を音像化したような前衛的でスペイシーなキーボードといった楽器を巧みに配置して、一種不均衡ともいえるサウンドを構築している感じがします。クリムゾンスタイルを継承していますが、フランスらしいシアトリカルなヴォーカルを加味していて、アンジュやモナ・リザ、ピュルサーといった偉大なフランスのプログレッシヴロックの影響もあります。また、ハードロック的なギターリフやジャズロック的なリズムがあるところから、早くから古典的なプログレから脱却しようとするアイデアや才能が詰まっています。せっかく大手フィリップスからリリースしたのだから、もっと大々的にプロモーションを行い、フランス国内以外でも大規模なツアーを行っていれば、長く人気が続いただろうと思いますが、その頃からすでにプログレ的な音楽は冷遇されていたのかも知れません。後になぜか短編映画を作ることになりますが、演奏を主にするグループとして売り方がちょっと違うかな~と一瞬考えたものです。でも、これはアーティストとして売るビデオクリップと同じ方式なんですよね。多くのテレビ番組に出演した彼らの経歴から、フランスの若い人や女性にもウケるグループに仕立てようと試みたレコード会社の思惑が見え隠れします。結局、音楽的な相違でレコード会社から契約は取り下げられ、解散に追い込まれていくのを見ると、何となくプログレグループらしいな~とちょっと思ってしまった今日この頃です。

 本アルバムはキング・クリムゾンのトリビュート的な位置づけのある作品だと評する人もいるそうです。暗黒の中に気品さが漂ったフレンチプログレの逸品をぜひ一度聴いてほしいです。紙ジャケ希望します。

それではまたっ!