【今日の1枚】Jerusalem/Jerusalem(エルサレム) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

Jerusalem/Jerusalem
エルサレム/エルサレム
1972年リリース

後のNWOBHMの布石とも言える
英国アンダー系ハードロックの名盤

 ディープ・パープルのイアン・ギランに見出されて初プロデュースした英国のハードロックグループ、エルサレムのデビューアルバム。そのアルバムはブルージー臭はあるものの、攻撃的なギターリフやアグレッシヴなシャウトを聴かせたヴォーカルなど、当時の英国の空気感が漂うヘヴィかつストレートなハードロックとなっている。その疾走感あふれるビートやダークな曲想、パワフルなヴォーカルから、最近では1970年代末期に勃興するNWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・オブ・ヘヴィ・メタル)の走りとまで言われるほど再評価されている。

 エルサレムはイングランド南部にあるソールズベリーで結成されたグループである。元々は1967年頃にポール・ディーンとレイ・スパロウ、そしてクリス・スケルチャーという同じ学校に通う3人の16歳の少年たちが、友人からジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズを聴かされて衝撃を受けたことから始まっている。彼らはさらに同グループのライヴを観て感激し、自分たちも何か楽器を持って演奏したいという気持ちが募り、グループ結成に動いたとされている。3人は楽器経験が全く無く、たまたまギターを手に入れたクリスがギタリストとなり、ベースを手に入れたポールがベーシストになり、そして貧乏ゆすりが多いという理由でレイがドラマーになるという半ば冗談のような楽器担当を決めている。また、ヴォーカルは弦が4本しかないベース担当が楽だろうということでポールが兼任している。彼らはブルースのレコードを聴いては毎日練習に励み、アルバイトで稼いだお金でアンプやマイクなどを揃え、少しずつ腕が磨かれていったという。興味深いのはどこの誰のアーティストに絞ってコピーをしなかったというのが面白い。最初はブルースやブギーといったシンプルな曲調から始めたが、後に曲自体はポールが作り、その作った曲に合わせて肉付けしていくように彼らは演奏を覚えていったという。彼らは数か月後に地元のカレッジのホールを借りて、集めた友人たちの前で初めてライヴをしている。この時に18世紀イギリスの詩人であるウィリアム・ブレイクの預言詩『ミルトン』の序詩に、英国の作曲家であるチャールズ・ヒューバート・パリーが1916年に曲をつけたオルガン伴奏合唱曲『エルサレム』を元にしたグループ名にしている。

 後に3人は大学に進学し、学業に専念するために脱退したギタリストのクリスの後任に、大学で知り合ったボブ・クックとセカンドギタリストとしてビル・ハインドを迎えている。また、ポールがベースと作曲に専念するために、新たなヴォーカリストとしてフィル・ゴダードを加入させている。ギターの腕と知識のある2人が加入したことによって、サウンドはブルース路線からヘヴィでサイケデリックなハードロック路線になっていくことになる。彼らは地元のソールズベリーにあるホールやパブ、クラブなどで演奏する日々を送っていたが、1970年のある日に大きなチャンスが舞い込むことになる。それはロンドンのレコード会社で働いていたポール・ディーンの姉のゾーイが知り合いだったというディープ・パープルのイアン・ギランに、エルサレムというグループを話したところ、すぐにイアン・ギランは彼らの演奏を観に行って気に入り、何と自らマネジメント&プロデュースを手掛けたいと言い出したという。これにメンバーはさすがに驚き、ヴォーカリストだったフィル・ゴダードが怯えて脱退する羽目になっている。この頃、ゾーイとイアンは恋仲だったらしく、それがグループの運命を変えたと言ってもよいだろう。彼らはロンドンでオーディションを行い、40名の候補の中からリンデン・ウイリアムズが新たなヴォーカリストとしてメンバーに迎え入れている。こうして5人のメンバーはイアン・ギランのプロデュースの下、デ・レーン・リー・スタジオに入り、レコーディングを開始。さらにイアンはデッカ傘下のデラムレコードとの契約交渉も行い、数週間の録音とミキシングを終えて、1972年にデビューアルバム『エルサレム』がリリースされることになる。そのアルバムはブルースをベースにしながらも、攻撃的なリフとあふれんばかりの疾走感の中でアグレッシヴなシャウトを聴かせるヴォーカルがキラリと光った、ヘヴィなハードロックとなっている。

★曲目★
01.Frustration(フラストレイション)
02.Hooded Eagle(フーディド・イーヴル)
03.I See The Light(アイ・シー・ザ・ライト)
04.Murderer's Lament(殺人者の悲歌)
05.When The Wolf Sits(狼のほえる夜)
06.Midnight Steamer(ミッドナイト・スティーマー)
07.Primitive Man(プリミティヴ・マン)
08.Beyond The Grave(ビヨンド・ザ・グレイヴ)
09.She Came Like A Bat From Hell(地獄のこうもり)
★ボーナストラック★
10.Kamikaze Moth~Non-LP Single Track~(カミカゼ・ムース~非LPシングル・トラック~)

 アルバムの1曲目の『フラストレイション』は、テンポの速いリズム上でツインギターのリフやリンデンのシャウトがあり、ヘヴィで攻撃的なサウンドになっている。ディープ・パープルの『ファイアーボール』に近く、硬質なリズムギターとリードギターのリフが意外にもドラマティックな演出を作り上げている。2曲目の『フーディド・イーヴル』は、英国のハードロックらしいダークな雰囲気のある楽曲。リンデンのヴォーカルとメロディアスなギターが冴えた内容になっている。3曲目の『アイ・シー・ザ・ライト』は、シャウトするリンデンのヴォーカルと彼らのルーツでもあるブルージーなギターフレーズが飛び交う楽曲。4曲目の『殺人者の悲歌』は、土着的なフォーキーサウンドからダークな曲想に変わる楽曲であり、おどろおどろしい雰囲気があるが、リリカルなギターとの対比がユニークである。5曲目の『狼のほえる夜』は、アップテンポでストレートなハードロック。パワフルなヴォーカルと自由なギターワークがあり、NWOBHMの色合いが垣間見える内容になっている。6曲目の『ミッドナイト・スティーマー』は、手数の多いドラミングと多彩なギターリフと表現を盛り込んだ楽曲。前のめりなテンポで進んでいるが、聴きやすいツインギターのメロディが秀逸である。7曲目の『プリミティヴ・マン』は、アルバム中最もヘヴィネスな楽曲となっており、1970年代のハードロックを装ったプロトドゥームともいえる豪快な内容になっている。8曲目の『ビヨンド・ザ・グレイヴ』は、ビルとボブのギタリスト2人が書いた最初の曲で、一見陽気なイントロから重苦しいヴォーカルを乗せたダークな展開となる楽曲。ヘヴィだがクラシカルな曲調のギターフレーズがあり、他の楽曲とは一線を画している。9曲目の『地獄のこうもり』は、結成間もない頃に書いたポールの曲で、ブルージーな2本のギターによるドラマティックな展開と最高にシャウトするリンデンのヴォーカルが素晴らしい。ボーナストラックの『カミカゼ・ムース~非LPシングル・トラック~』は、デラムからシングルカット用の未発表曲を求められた際、ポールが2日で仕上げたという楽曲。ヘヴィながらキャッチーなメロディのある楽曲になっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、ブラック・サバスのようなヘヴィネスやディープ・パープルやレッド・ツェッペリンのような洗練さはないが、時代を先取りしたようなサウンドとスタイルを備えている。このプロトメタルのエネルギーが感じられる演奏は当時としては斬新であり、彼らの何ものにも寄らないソングライティングの質の高さには驚きを禁じ得ない。

 アルバムリリース後、彼らはイアン・ギランの口利きで大手のエージェンシーと契約したことで、ライヴツアーの規模が拡大。ヨーロッパ中で行ったライヴでは、ブラック・サバスやディープ・パープル、ユーライア・ヒープ、スティタス・クオーなどと同じステージを共有し、いくつかの主要なフェスティバルでも演奏したという。ところが1973年にメンバー間の音楽性の相違により、活動が停止してしまう。よりストレートなロックを目指したいポールとレイに対して、プログレッシヴな進化を志したいリンデンとビルで意見が衝突したらしい。イアンも交えて話をしたというが、結局2つの道に分かれることになり、エルサレムは解散することになる。解散後、ポールとレイはメンバーだったギタリストのボブ・クックを誘って、ストレートなロックを演奏するPussyというグループを結成。イアンのプロデュースでデラムから1枚のシングル『Feline Woman』を残している。実はアルバム制作も行っていたが実現はせず、その後音源が発掘されて2012年にCD化している。ポールはその後、イアン・ギランの妹であるポーリンと組んで、ギラン/ディーンという名でアルバム『ロックス・オン』をリリースし、南アフリカやカリブ、フィリピンといった国を転々としながらプロデュース業をしている。一方のリンデンは多くのミュージシャンが参加しているデッキチェア・ポエッツの活動をしつつ、2009年にボブ・クックとエイジアのジェフ・ダウンズ、そしてスポックス・ビアードのメンバーらと共に、エルサレム名義でアルバム『エスカレーター』を発表している。ギタリストだったビル・ハインドは、解散後もセッションミュージシャンとして活躍していたが、1975年に交通事故で他界している。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はイアン・ギランに見出され、後のNWOBHMの布石とも言える強力なハードロックアルバムを残したエルサレムのデビューアルバムを紹介しました。ディープ・パープルのイアン・ギランが初プロデュースしたグループだということで、ロックを聴いている人にとっては知っている方も多いと思います。私は輸入盤のCDで初めて聴いたのですが、日本で初CD化したのが2005年だそうです。それまで1972年にリリースしたという日本のアナログ盤が法外ともいえる値段で中古レコード屋で売っていたのは覚えていて、たぶん今でも10万円以上の値段で取引されてるのではないでしょうか。ちなみにアナログ盤は1990年にウォーロックレコードという非公式のレーベルからリイシューされるまで、ずっと廃盤状態が続いていたようです。

 さて、グループの結成からアルバムリリースに至るまで、非常にユニークな経歴を持っているエルサレムですが、考えてみればバンドやろうぜ!といって組んだアマチュアグループがやっとパブやクラブで演奏できるレベルになって、いきなり超大物アーティストの手によって一気にスターダムに押し上げられたような流れになっています。これを若干20歳の若者(学生)たちにとって幸運と呼ぶべきか不幸と呼ぶべきか。レコーディングエンジニアにはディープ・パープルやシン・リジィのアルバムを手掛けたルイ・オースティン、ジャケットの裏にはイアン・ギランによるライナーノーツが掲載されるなど、至れり尽くせりの作品ですが、商業的には芳しくなかったようで、1枚のアルバムを残して解散してしまうことになります。イアン・ギランが彼らのどんなところに惹かれたのかは分かりませんが、アルバムリリース後に大規模なヨーロッパツアーを敢行させ、大物グループとステージを共有させるなど、イアンが彼らを売り出そうと懸命なところが泣ける。もう1、2枚くらいアルバムを出していれば、メジャーになっていたかも…しれません。

 サウンド自体は正直言ってしまえば、20歳の学生のグループらしい青臭いというか勢い任せに近い内容になっていますが、1曲目の『フラストレイション』のインパクトは絶大です。疾走感あふれるギターリフやリズム、シャウトするヴィーカルなど、人によってはここからNWOBHMが始まった!とか、これぞメタリカの原点!なんて語る人もいて、当初は英国アンダーグラウンド系ハードロックと揶揄していたアルバムが時代が進むごとに評価が変わっているのが面白いです。個人的には2曲目の『フーディド・イーヴル』や4曲目の『殺人者の悲歌』、5曲目の『狼のほえる夜』なんて、1970年代のツインギター系のハードロックをベースにしたプロトメタルといった感じで、メタルを聴いてきた私にとっては結構ゾクゾクします。ただ、プロデュースやレコーディングエンジニアの影響で何となくディープ・パープルっぽくなっているのは否めません。それでもツインギターを活かしたドラマティックな展開やクラシカルに曲調が変化するところもあって、ハードロックとしてのメロディやツボはきっちり抑えた好作品になっています。

それではまたっ!